ここからは、ツアーの自由行動。ロンドンは見所が沢山ありすぎ。「ナショナル・ギャラリーがお勧め」と添乗員さんが助言。
ナショナルギャラリーNational Gallery は1824年に設立。設立の経緯は、画家で教育者のサー・ジョージ・ビーチャーが、人々が美術品を見る場所が必要と考え、自分の美術コレクションと美術館建設・維持費用を提供した。すごいね。
その後、寄贈、寄託、購入、贈与、遺産により美術品を収集。文化芸術を身近なものとするため、創設時から入館無料。
場所は、ロンドンの中心部のトラファルガー広場。
世界史は大の苦手だが、「トラファルガー」は、聞いたことがあるぞ。ナポレオン戦争の1805年、トラファルガーの海戦での歴史的勝利(イギリス艦隊がフランス・スペイン連合艦隊に勝利、ナポレオンの侵略計画を阻止)を記念して建設され命名された。広場には、4体の巨大なライオンの彫刻がある。ライオンは勇気と力を表し、トラファルガーの海戦での勝利を象徴。
ガイドブックの「一生に一度は見ておきたい作品」を探すことに。
「大使たち The Anbassdors」1533年 ハンス・ホルバイン・ザ・ヤンガー(ドイツ)
ヘンリー8世の3度目の離婚をローマ教皇が拒否し、国王と教皇が対立していた時に、ヘンリー国王が命じて画かせた。
ローマ教皇からの分離・独立を思いとどまらせようとするフランスからの大使達を、ホルバインは巧みに描いた。
左側は、ヘンリー8世の4回目の結婚式に出席したフランス大使のダントヴィル 。フランス王は教皇からの分離を心配していた。
右側は、ラヴォール(フランス)司教のセルブ 。20代のフランス人で親友同士。
楽器の弦は1本外れ、不和を表すが、賛美歌は「聖霊に来なさい」と「十戒」でキリスト教の一致を表現。
二人の足下の床は、英国国教会のウェストミンスター寺院の主祭壇の床模様を表している。
※ ↓ ウェストミンスター寺院の主祭壇の床模様
足下の細長い棒のようなものは、右下から見ると、なんと、骸骨が浮かび上がる。
ナショナルギャラリー グーグルバーチャルツアーで、右下から見た写真↓。
絵の左上のカーテンの影には十字架。贖い:キリストの犠牲による救いの希望を表現している。
イギリスがローマ教皇と決別し、イギリス国教会が成立した背景を、後世に伝えようとしたのか。
画家ホルバインは、様々な道具に意味を載せて、毛布や衣装に繊細な質感を載せて、描いた。
「バッカスとアリアドネ Bacchus and Ariadne」1520~3年 ティツィアーノ(イタリア)
ギリシャ神話を表現。クレタ島の王女アリアドネは、ギリシャのナクソス島に置き去りにされた。彼女に惚れたワインの神バッカスは、戦車から飛び降り、アリアドネ(左端)の冠を空中に投げると、それは、天空のかんむり座となり、不滅になった。
「鏡を見るビーナス The Toilet of Venus」1599 - 1660 年ディエゴ・ベラスケス(スペイン)
顔は鏡に映っているが、息子のキューピットが描かれており、ビーナスとわかる。
なお、この絵は、1914年にフェミニスト活動家の女性によって包丁で傷つけられた。「神話の歴史の中で最も美しい女性を攻撃した。男性客が長いこと見とれているのが我慢できなかった」。
「睡蓮の池 Water-Lilies」1899年 クロードモネ(フランス)
モネは自宅に「花の庭」「水の庭」を造り、それをモデルに、1926年に亡くなるまで約250点の「睡蓮」の作品を描いた。橋は、浮世絵からインスピレーションを得た。
「睡蓮」1916年以降
「ヒマワリ Sunflowers」 1888年 フィンセント・ファン・ゴッホ(オランダ)
「睡蓮の池 Water-Lilies」1899年 クロードモネ(フランス)
モネは自宅に「花の庭」「水の庭」を造り、それをモデルに、1926年に亡くなるまで約250点の「睡蓮」の作品を描いた。橋は、浮世絵からインスピレーションを得た。
「睡蓮」1916年以降
「ヒマワリ Sunflowers」 1888年 フィンセント・ファン・ゴッホ(オランダ)
世界の美術館に現存するヒマワリ5点の1つ。「ひまわりは私のものです」と宣言したゴッホ。7点描き4番目のもの。1点は東京空襲で焼失。
ゴッホは、友人で仲間の芸術家であるポールゴーギャンの訪問に備え、アルルの家を飾るために描いた。
「ビーナスとマルス Venus and Mars」1485年頃 サンドロ・ボッティチェッリ(イタリア)
眠りに落ちている軍神マルスを見つめる女神ビーナス。
「解体されるために最後の停泊地に曳かれていくテレメール号 The Fighting Temeraire, tugged to her last berth to be broken up.1838」1839年ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー(イギリス)
1805年のトラファルガーの海戦で活躍した軍艦テレメール号は、製造後48年。木材の価値しかなく、材木商人に6ポンドで売却された。マストがなく自力航行できず、テムズ川に沿って蒸気タグボートで曳航された。今でも英国人に最も人気のある絵画。
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