【アイヌコタン】
阿寒湖畔にアイヌコタンがあります。コタンは集落という意味です。
看板に由来が書いてあります。
・北海道はかって蝦夷地といわれ、先住民族であるアイヌは各地の沿岸や川の近くにアイヌコタンを形成し、独自の信仰に基づき、漁猟・狩猟の生活が送られていた。
・しかし、明治時代の初め、日本政府はエゾを北海道に改称されアイヌは日本人名を名乗り、日本の言語・伝統・文化を強いられることになる。
・1906年、前田正名氏が日本政府から阿寒湖畔地区の3900ヘクタールの土地の払い下げを受け、前田正名氏は美しい景観が公益になると判断し、管理者として活動する。
・1957年、前田正名氏の息子の妻である前田光子さんが3代目の管理者になり、自然環境の保全と北海道東部のアイヌ支援を目的に阿寒湖アイヌコタンを創設し、アイヌを招待した。
・当時は45名だったが土地の無償提供により北海道各地からアイヌが移住し、現在は120名。阿寒独自のアイヌ文化が形成された。
ポンチセ
アイヌ語で小さな家という意味。
アイヌの人々の暮らしとお店が並んでいます。
このほか、アイヌの古式舞踊や現代舞踊などが鑑賞できる専用シアターもあります。
【前田一歩園】
前田正名氏の信条「万事に一歩が大切」が名前の由来です。
鹿児島出身の前田正名氏は、官僚から実業界に転身し、各地で農場経営や山林事業を展開した。
阿寒湖畔の国有地の払い下げを受け牧場としたが、阿寒湖畔の景観に深い感銘を受け「この山は、伐る山から観る山にすべき」とした。
さらに、「前田家の財産はすべて公共の財産となす」という家訓は、前田光子に受け継がれた。
1983年、前田光子は前田一歩園財団を設立し、すべての財産を財団法人に寄付した。
【財団法人 前田一歩園財団】
環境省の阿寒湖畔エコミュージアムセンターの隣接地です。
1999年オープンなので、以前来たときは、環境省の施設はなかった。
【阿寒湖温泉の土地所有区分】
温泉街の土地は、ほとんどが財団所有地ですね。これで阿寒湖畔の環境の美しさが理解できました。
赤い部分(個人所有地)は限定的。昔見た観光地はここだった。
大型ホテルや商業施設は有償で貸し付けて、収益は森林保全や自然普及に。
環境省や学校用地は寄付。
アイヌコタン、アイヌシアター、キャンプ場などは無償契約。
【財団管理山林の林班図】
阿寒湖畔で皆伐されていた1000ヘクタールは前田光子によって250万本が植林され、財団によってしっかり管理保全されています。すごいことです。
前田正名氏の自然を思う気持ちが、前田光子さん(宝塚女優だった)のアイヌを思う気持ちが加わり、財団によって後世に確実に伝わっていることを感じた。
【ナショナルトラスト】 追記
ユウさんからのコメントで、英国のナショナルトラストとの関係について、ご助言があり追記します。
1894年、英国でナショナルトラスト誕生
1943年、ピーターラビットの絵本作家のビアトリクス・ポターが湖水地方の自然保護のためナショナルトラスト運動に関わったローンズリー牧師の影響を受け、印税収入等で購入した湖水地方4300エーカー(1700ヘクタール)の土地や農場をナショナルトラストに寄付
1977年、藤谷豊斜里町長が知床100平方メートル運動を開始し開拓跡地471ヘクタールを取得。町有地と合わせて861ヘクタールを町が管理し森を復元
1983年、前田光子さんが阿寒湖畔の1000ヘクタールを植林。前田一歩園財団を設立し3900ヘクタールの土地を財団に寄付
知床や阿寒は、それぞれ専門の財団が管理するとともに、国立公園として保全と適切な利用が法的に守られている。