高校生が学ぶ日本史の教科書の沖縄戦に関する記述が、文部科学省の教科書検定制度により、来年度から変更される。
沖縄では検定撤回を求める意見書の採択が、全ての市町村議会と県議会で相次いで議決され、9月29日には大規模な県民集会が予定されるなど県土全体に動きが広がっている。
沖縄戦の最後の激戦地、糸満市摩文仁の丘にある平和祈念資料館に、実物の教科書が比較展示してあった。
+++++++++検定前(三省堂 日本史B)+++++++++
+++++++++検定後(三省堂 日本史B)+++++++++
高校教育でさえも沖縄戦の記述は5行と少ない。
検定前は、「日本軍に集団自決を強いられたり、戦闘の邪魔になるとか、スパイ容疑をかけられ殺害された人も多く」とあり、悲惨な戦いになった理由に日本軍が関与したことが明記されていた。
しかし検定後では、「日本軍」が削除され、何に追い詰められて集団自決したのか、民間人が誰に殺されたのか、日本兵士が関与したのかどうか判らない記述になっている。
文部科学省が検定方針を変更したのは、住民の集団自決が「日本軍の命令だった」とする部分をめぐって裁判で係争中のことが大きな要因らしい。
大江健三郎の著書で自決を命令したと名指しされたと主張する元少佐が、2年前大江氏らを大阪地裁に提訴し、裁判は進行中である。
裁判の争点
沖縄では地元2大紙が一般的で産経新聞を見る人は少ないと思うが、本土では次のような報道もされている。
産経新聞2007/3/31
検定に対し、沖縄の学識者は「合理的根拠がなく、日本軍の加害責任を薄める政治的意図が見える。住民が『集団自決』に追い込まれた実態がぼやけてしまっている」と指摘。
沖縄タイムス2007/3/31
教科書の検定は十分な審議で事実を検証して行なうべきものだが、どのような議論がなされたのか。
感情的、政治的問題ではないはずだが、一つの進行中の民事裁判を理由とするのは、沖縄の歴史を消してしまう問題なのに慎重さを欠いていないか。
終戦後60余年経過し生存者が少なくなり事実確認が困難になってから、なぜこのような問題が生じてくるのか。
平和祈念資料館で、戦争に巻き込まれた住民の証言集を読んだ。
食事中に突然現れ、住民から食べ物を奪う日本兵…。
「アメリカ兵は住民を殺さないから米軍に投降しなさい」と勧め、自分は自決した日本兵…。
証言の中に、様々な日本兵が出てくる。
住民の身近に日本兵がいて、住民の行動に影響を与えたのは確かなことだろう。
歴史は後から作るものではなく、事実を積み重ねるものだと思う。
日本が国家主権を回復した1952年のサンフランシスコ講和条約。
連合国との戦争状態が終結し、日本が国際社会に迎えられた喜ばしい日。
しかし、沖縄では抗議集会が行なわれていた事実が展示してあった。
日本唯一の地上戦で県民の4人に1人が犠牲になり、講和条約によりさらに20年間も”日本”から切り離された事実が、沖縄の人の心に刻まれている。
沖縄では検定撤回を求める意見書の採択が、全ての市町村議会と県議会で相次いで議決され、9月29日には大規模な県民集会が予定されるなど県土全体に動きが広がっている。
沖縄戦の最後の激戦地、糸満市摩文仁の丘にある平和祈念資料館に、実物の教科書が比較展示してあった。
+++++++++検定前(三省堂 日本史B)+++++++++
+++++++++検定後(三省堂 日本史B)+++++++++
高校教育でさえも沖縄戦の記述は5行と少ない。
検定前は、「日本軍に集団自決を強いられたり、戦闘の邪魔になるとか、スパイ容疑をかけられ殺害された人も多く」とあり、悲惨な戦いになった理由に日本軍が関与したことが明記されていた。
しかし検定後では、「日本軍」が削除され、何に追い詰められて集団自決したのか、民間人が誰に殺されたのか、日本兵士が関与したのかどうか判らない記述になっている。
文部科学省が検定方針を変更したのは、住民の集団自決が「日本軍の命令だった」とする部分をめぐって裁判で係争中のことが大きな要因らしい。
大江健三郎の著書で自決を命令したと名指しされたと主張する元少佐が、2年前大江氏らを大阪地裁に提訴し、裁判は進行中である。
裁判の争点
沖縄では地元2大紙が一般的で産経新聞を見る人は少ないと思うが、本土では次のような報道もされている。
産経新聞2007/3/31
検定に対し、沖縄の学識者は「合理的根拠がなく、日本軍の加害責任を薄める政治的意図が見える。住民が『集団自決』に追い込まれた実態がぼやけてしまっている」と指摘。
沖縄タイムス2007/3/31
教科書の検定は十分な審議で事実を検証して行なうべきものだが、どのような議論がなされたのか。
感情的、政治的問題ではないはずだが、一つの進行中の民事裁判を理由とするのは、沖縄の歴史を消してしまう問題なのに慎重さを欠いていないか。
終戦後60余年経過し生存者が少なくなり事実確認が困難になってから、なぜこのような問題が生じてくるのか。
平和祈念資料館で、戦争に巻き込まれた住民の証言集を読んだ。
食事中に突然現れ、住民から食べ物を奪う日本兵…。
「アメリカ兵は住民を殺さないから米軍に投降しなさい」と勧め、自分は自決した日本兵…。
証言の中に、様々な日本兵が出てくる。
住民の身近に日本兵がいて、住民の行動に影響を与えたのは確かなことだろう。
歴史は後から作るものではなく、事実を積み重ねるものだと思う。
日本が国家主権を回復した1952年のサンフランシスコ講和条約。
連合国との戦争状態が終結し、日本が国際社会に迎えられた喜ばしい日。
しかし、沖縄では抗議集会が行なわれていた事実が展示してあった。
日本唯一の地上戦で県民の4人に1人が犠牲になり、講和条約によりさらに20年間も”日本”から切り離された事実が、沖縄の人の心に刻まれている。
歴史は国の都合でぬりかえたり、差し替えたりするものでは無いと思っています。
「日本人は、歴史を知らなさ過ぎる」と耳にするけど
本当にそうだと思います。
歴史は真実を語る無形生き証人。
慶良間で起きたことなど・・・・
日本軍がどのように民間人に対して行ってきたかは
日本人として知るべきことである。
日本軍が各地でどのような悲惨な事をしてきたのか・・・
特攻隊を考案した人、終戦後も特攻命令で若き命を散らせた事、また7351部隊の実態・・・・・
戦争を経験した人の高齢化が進んでいるけど
事実は、一人一人が後世に伝えてゆかねばならないと思います。
過去の終わったことでは無い!と強く感じています。
知らなければ、知る努力を・・・・。
もっと、もっと真実を知り受け止めることの大切さが必要と考えます。
私も、まだまだ知らない事がいっぱいだけど真実だけは知りたいと常に思っています。
戦争の話はつらいことが多く、ともすると見て見ぬふりをしてしまいがちです。何が本当なのか解らないのが本音です。マスコミに左右されたりもします。本当のことは誰も教えてもくれないような気もします。沖縄戦、どちらが真実なのでしょう。戦争を扱った映画もありますが、私はあまりにつらくて見たくないのです。それを見た人たちは、本当に戦争の悲惨さや二度と起こしてはいけないと心から思うのでしょうか?疑問です。真実を知ることは必要だと思いますがね。先日、TVでマニラで日本兵が現地の人々に行った残虐な戦争の話をドキュメントでやっていました。ひどい話で信じられないことばかりでした。私知にできることはなんだろうと考えました。わかりませんでした。でも戦争のできる国にはしたくないと思います。
私もそう思います。
小学5~6年生の頃の担任の先生は、まだそう分からない私たちによく戦争の話や南京大虐殺などの話をしてくれました。
子供だから理解できないだろう・・・ではなく、ちゃんと真実を教えてくれた先生。
小学生の子供たちに本田勝一さんの本まで紹介してくれました。
それは、この年になっても印象深く私の胸に刻まれ、そこからいろいろな関心へと派生していったことは確かです。
子供だってちゃんと真実を知りたいのです。
一昨年、NHKで沖縄戦についての特集をかなり放送していました。
それはそれは、悲惨な現実もありました。
でも、私は真実を知りたいし、これからも知ろうと努力したいと思っています。
慶良間諸島には陸軍海上挺身隊(船の特攻隊)1200人300隻が配置されていたので、米軍の沖縄最初の上陸地点になり激しい砲火浴びたようです。
「裁判の争点」を加えました。
事実を明確にする上で、裁判も有効なのでしょうね。
国外の出来事についてはどうやって明らかにすればいいのか…。
平和祈念資料館や沖縄戦写真集などに掲載されている多くの事実は、米軍の従軍記者によるものです。
海外での戦闘事実を知ろうとする意識なのでしょう。
戦時中においても、マスコミが中立で真実を追究できる立場にあることが、大事ですね。
沖縄は湿度が高いのでそんなに高温にはならないですよ。陽射しは強く日焼けしますが。
広島の平和記念資料館や
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/tour/tour_fra.html
沖縄の平和祈念資料館
http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/
で悲惨な戦争の実態を見ると、戦争はあってはならない、二度と起こしてはならないとの思いを強くします。
真実にたどり着くために、少しでも多くの事実を確認していくことが必要なのでしょうね。
そして、フィリピン、サイパン、中国、朝鮮半島など日本が不幸な地上戦をもたらしたアジアの国々へ出かける際には、過去に日本が行なったことを少しでも知る努力が国民として欠かせないのでしょうね。
教科書は、最小限、事実を伝えることだと思います。
日本が原爆を落とされたといったこと
は勉強した記憶がありますが、日本が
アジアの国々に何をしたかは詳しく
書かれていなかったように思います。
それよりも戦後、日本が華々しく戦後
復興をして経済成長を遂げたことに重点
を置いてきた内容だったと思います。
戦争の内容を知ろうとすると、あまりにも
悲惨で目を背けたくなりますが、真実を
知らなくてはなりませんね。私達、親の世代
がこんなですから子供にもきちんとした反戦
教育などできませんね。もっとも、私達の親も
戦争中は生活が苦しかったということぐらいしか
話してくれませんでしたし、真実は知らされて
いないのだろうと思いますが。
私が小学生の頃はゼロ戦隼人が流行っていました。近代史は学校では教えてくれなかったような。
近隣諸国では太平洋戦史について、どのような歴史教育をしているのか学ぶことも、国際理解教育として必要と思いました。
日本では紹介されていない事実もあるのでしょう。
辺野古と教科書検定の2つの記事を書きかけていて、書き直したりでblogが止まってしまいました。
戦後の歴史教育を「自虐史観」とそ修正しようとする動きもあるようですが、真実に近づくためには多くの事実に接することが大事だと思います。
許されるなら、対立する事実を並立して見せる教育も必要なのだと思います。
日本の高度成長は朝鮮戦争の物資調達が背景にありましたが、朝鮮半島の人にとってみれば…。
朝鮮戦争がなかったら、戦勝国の中国が共産主義政権にならなかったら…日本の発展の歴史は大きく違っていたでしょうし。
日本人は勤勉で優秀だったから廃墟から奇跡の復興を遂げたと教育を受けましたが、環境を冷静に見る力も必要だと思います。
戦時中に教育を受けた親はABCD包囲網や鬼畜米英の話をよくしていました。
教育は、とても重要なことだと思います。