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四方源太郎日記(京都府議会議員・綾部市選挙区)

これからの綾部のために、さらなる「挑戦」を!

伊勢参りと伊賀越え

2006年05月15日 | 家族

 朝から小源太と温泉に入った。朝ご飯はビュッフェだったが、結構豪勢だった。

 9時に宿を出て、鳥羽水族館に行った。アシカが大きな声で叫んだので、小源太は恐がって怯えていた。アシカのショーもあった。ジュゴンやスナメリ、ペンギン、ラッコなどもいた。ピラルクが一番強烈な印象だった。

 昼前に伊勢市に向かって出発し、まずは伊勢神宮の外宮に行った。僕は大学時代に何度か内宮には行ったことがあるだが、外宮は初めてだった。内宮は天照大神で、外宮は豊受大神と最近聞いて、これはぜひ外宮に行かなければと思っていた。

 正宮に参拝して別宮にも参った。別宮に行く途中に亀石があるが、なぜか参拝者に踏まれてしまう場所にあり、背中がくぼむほどに踏みつけられている。可哀想だった。

 別宮は風宮、土宮、多賀宮とある。多賀宮は昨日の賀多神社と名前が似ている。

 内宮にも行った。外宮の倍くらい参道があって、小源太を連れては大変だった。おかげ横丁でお土産を買い、赤福氷も食べて、帰路に着いた。

 帰りは伊賀越えの道をとった。国道386号線は途中ですさまじい山道になり、すれ違いもできなくなるほどの難所になる。

 美杉村は市町村合併で津市に編入されたようだ。津市は奈良県とも接しており、伊勢湾から奈良までのものすごく広大な市域を持つ市になっていた。行っても行っても、津市から出れないので、これは津市長は大変だと思った。

 名張市、伊賀市(旧上野市)を通り、京都府南部から帰ってきた。途中、渋滞にも絡まれて、綾部に帰るのに6時間ほどかかった。

 3日間で600キロの行程だったが、ほとんど高速道路に乗るところがなかったので、距離以上に長かった感覚がある。でも、家族旅行は楽しかったので、また年に1回ぐらいは行けたらいいなと思った。


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ルーツを訪ねて(5月14日)

2006年05月15日 | 家族

 朝9時にホテルを出発した。今日から1泊2日で、家族旅行をする。夫婦では新婚旅行以来、泊まりでは初めての旅行だ。もちろん小源太は初めての「お泊り旅行」だった。

 伊勢・鳥羽・志摩方面を旅した。今日の目的は、九鬼氏ゆかりの地を訪ねること。おじいちゃんは「四方家の先祖は九鬼の殿様と一緒に綾部に移ってきた」と書き残しているので、自分のルーツを訪ねる旅でもある。

 まず、一気に南下して、志摩市の大王崎を目指した。大王崎は太平洋に飛び出した岬で灯台もあるが、ここには波切城という九鬼家の当初の城があった。熊野の九木浦から出て、ここに城を築いていたそうだ。

 大王崎灯台へは駐車場から5分ほど、坂道を歩く。急坂に沿って土産物店が並んでおり、イスラエルの嘆きの壁があるところのアラブ人街の土産物店を思い出すような雰囲気だった。大王崎は「絵描きの町」としても有名で、たくさんの方が絵を描きに来ておられた。アマチュア写真家も多く、小源太はモデルになっていた。

 灯台に登り、九鬼水軍が活躍していた時代を想像した。加奈っち、小源太を待たせておいて、一人で灯台の脇の階段を下り、次の岬まで歩いて行った。波切神社という鳥居があり、100段ほどの階段を上がると神社があった。脇に道があり、恐いようなところだったが、歩いて行くと広い公園に出た。おそらくここは物見台だったのだろう。石垣の跡らしきものもあった。

 大王崎の次は北上して、鳥羽市に入り、九鬼岩倉神社に行った。ここは田城(たしろ)城という城があったところで、波切城の次に九鬼家の居城となった場所だ。びっくりするくらい小さく、内陸部で周りは田んぼに囲まれていて、こんなところでは水軍が力が発揮できないし、大軍で攻められてはひとたまりもないだろう。

 次は鳥羽市中心街に入って、九鬼家の菩提寺である常安寺へ。残念ながら、墓所は見つけられなかった。どこかに隠してあるのだろうか。

 その後、近くの賀多神社に行った。信長や秀吉に仕えて水軍大将として活躍した九鬼嘉隆が、幾度も戦勝祈願した神社だ。東郷平八郎元帥の額も飾ってあった。大きな老杉が立っているが、これは秀吉の朝鮮出兵の際に嘉隆が「日本丸」を建造した時にここの杉を切り、その代わりに植えられたものの1本だということだった。

 鳥羽城にも行った。お家騒動によって、綾部と三田に分かれて移されるまでの九鬼家の居城だ。大きな城で、海に向かって大手門があったそうだ。天守閣のあった場所に上がると、今は小学校のグラウンドになっていた。

 締めくくりは鳥羽湾めぐりの船に乗って、海から鳥羽湾の様子を見学した。たくさんの小島があるのが分かった。

 鳥羽国際ホテルというところに泊まった。いい旅館だった。小源太は温泉に入って、「大きいバチャに入った」と喜んでいた。


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卒業10周年(5月13日)

2006年05月15日 | 家族

 朝、起きて準備をしていると、小源太のミニカーを踏みつけてしまい、足の裏の皮が結構大きくめくれあがってしまった。

 9時半頃に加奈っち、小源太と一緒に綾部を出発した。FMいかる「NEXT DOOR」の相撲談義を聴きながら…。

 大学の時の友達であるシャオリンと角谷の結婚祝いの会のために三重県の津市に向かった。シャオリンと角谷は男同士なので、二人が結婚するわけではなく、二人がそれぞれ昨年と今年に結婚したのだ。パピイの結婚祝いをしたのが、3年半ほど前だから、それ以来、こういう会は開けていなかった。その間に僕も含めて3人が結婚した。

 京都から1号線を延々と進み、鈴鹿峠を超えて、関から津に入った。あいにくの雨降りだったが、昔住んでいたアパートがあったあたりや大学の付近を見に行ってみた。住んでいた建物はすでになく、舗装された駐車場になっている。

 ホテルにチェックインして、パピイに電話し、迎えに来てもらってパピイの家に行った。昨年建てたばかりの新居できれいだった。小源太はキティちゃんやプーさんの人形を見せてもらって喜んでいた。

 18時から津駅近くの居酒屋で「祝う会」をした。大人10名、子ども2名が集まった。大学を卒業してからちょうど10周年にもなる。次にこういう会をするのは、また3年後くらいかなあという話をした。

 22時頃からで一次会は終わり、川澄、小渕、パピイと二次会に焼酎・日本酒バーに行った。津にも洒落たところができていた。若い子がコンパをしていたが、僕らは「養老の滝」なんかでしていたのになあ…と思った。


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