二日目はバスで民宿を出発。平戸島の北西にある生月島に向かった。美しい断崖絶壁のある島だった。 昔は捕鯨で有名だったところで、武田信玄の家臣であった山縣昌景の子孫が益富という姓を殿様から与えられ、捕鯨で財を成したらしい。
生月鯨太左衛門という相撲取りが江戸時代に出て、歴代最長身力士だったそうだ。
隠れ切支丹の島としても知られ、「殉教」の地も数多く残っていた。
弘法大師が遣唐使船で中国に渡ったのもこの島だそうで、風待ちのために待機していた場所には真言宗18派が協力して銅像を建て、毎年法要も行われている。
昼ご飯の後、生月島を出て、平戸市の中心地に向かう。
まずは住職の母方の豊田家のお墓参りに行った。住職の従姉妹の旦那さんに説明に来ていただいていた。
豊田家は平戸藩の家老を務め、特に松浦鎮信公が立てられた茶道の鎮信流の師範を務めた家柄だそうだ。
松浦家は鎌倉時代に地頭として平戸に派遣されて以来、明治を迎えるまで平戸を治めた領主であり、明治天皇の生母を出している家でもある。
鎮信流は皇室で皇族方が習われた流派であり、大変格式の高いものだということだった。
続いて、平戸城に向かった。生月島からの案内は平戸市の職員の方がしていただいていて、実に分かりやすく丁寧に平戸城もご案内いただいた。
平戸城は山鹿流の城で美しい堅固な城だった。
平戸藩主・松浦(まつら)氏は松浦党という各派に分かれ、相争っていたが、平戸に移ってきた松浦氏が最終的には統合したそうだ。
オランダ商館が最初に置かれたのも平戸で、ザビエルなどの宣教師も数多く訪れ、南蛮貿易でも栄えた。
関ヶ原でも参陣せずに微妙な態度をとったのに、国替えも改易もなく、寺社奉行や勘定奉行を務めて明治を迎えたというのは、すごいことであり、戦国大名として興味を惹かれた。
続いて、平戸市の有名観光スポットである「教会と寺院の見える風景」に行った。 その後、歩いて松浦氏史料館に行き、宿泊先のホテルに入った。