日曜日。朝から雪が降っている。10時から、並松の歓喜稲荷の祭典に出席し、ご挨拶させていただいた。
歓喜稲荷の「歓喜」という名前は、大本の出口王仁三郎聖師によって名づけられた。
昔、並松と野田の間あたりに遊郭があったことにちなんでいるという説もある。綾部華やかなりし頃は、月見町の芸妓さん達のお参りも多かった。
綾部のサービス業・接客業の神様として、もう少し宣伝すれば、お参りも増えるかもしれない。
歓喜稲荷の前には昔からの街道が通っている。日本初の全国地図をつくった伊能忠敬が通ったという記録もある。
現在は府道広野綾部線となっているが、野田町の方々からの要望もあって、歓喜稲荷の前の側溝を改修して蓋をする工事が進められている。
公募型公共事業で、一昨年、採用されたものだ。来年の祭典には、神社の前もきれいになっているだろうから、たくさんお参りしてほしい。
昼には、私市農事組合の《ぜんざい会》に出席した。
愛知県安城市から綾部にIターンされた方が来られていて、お話をさせていただいた。大阪のマンションには住みたくないと、停年後の終の棲家として、綾部を選んでいただいたそうだ。
夜は、四方源太郎後援会綾部第4支部の村上進支部長と哲史さんとで会食しながら、今後の支部運営に関して懇談した。