3月に入り、少し春らしい空気になってきた。
接待問題によって山田内閣広報官が辞任したり、農水省から元大臣の贈収賄事件に絡んでの接待問題が出てきたりと、さすがに「内閣人事局」のあり方について、再考すべき時にきているように思う。
もともとは官僚が「省益」でしか動かないのを「国益」のために動かすためには官邸(政治)が人事を掌握し、官僚の意識を「国益」に向けさせることが目的だったのだと思う。
今の官僚制度は明治時代に基礎が作られている。当時は明治の元勲、山縣有朋、松方正義、清浦奎吾ら、「政治家嫌い」の薩長藩閥の総理大臣が支配していた。彼らが作り上げた官僚制度と民衆が権利を求める運動とのせめぎ合いが日本の統治機構の歴史であるとも言える。民権運動も、ともすれば「衆愚政治」に陥る危険性があり、両者がバランスを保ち、けん制しあう状態がベターなのだろう。
もともと日本は官僚機構が強すぎた。平成11年の小渕恵三内閣において、内閣法が一部改正され、「第4条 2 閣議は、内閣総理大臣がこれを主宰する」の後段に「この場合において、内閣総理大臣は、内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議することができる」いう条文が追加されるということを知って、「今ごろか?」と驚いた覚えがある。
第一次安倍晋三内閣の平成19年3月には、「首相、事務次官の抵抗押し切る・中川自民幹事長が講演で言及『事務次官会議なんて要らない』」という報道があった。
自民党の中川秀直幹事長は平成19年3月29日、福島県会津若松市での講演で、天下り問題をめぐる事務次官の抵抗を、安倍晋三首相が過激な言葉ではねつけたというエピソードを紹介、首相の指導力をアピールした。
中川氏によると、3月26日の事務次官会議で、複数の次官が政府答弁書で「押し付け的な天下りあっせん」を認めることに抵抗。これを聞いた首相が「事務次官会議なんて法律でどこにも規定されていない。単なる連絡機関だ。方針通り閣議決定する」などと不要論に言及しながら押し切ったという。
今の状況は「政治家が官僚に強権過ぎる」と見えており、修正は必要だろうが、ある程度「政治主導」を進めていくためには、やむを得ないところもあるように思う。
もちろん、公務員倫理規程に違反することはやってはいけないし、政治家も公務員も公の立場の人間には「李下に冠を正さず」という姿勢は重要だ。
そして、1人7万円もかかる飲食店は「和食レストラン」のカテゴリーには入らないとも思う。