四方源太郎日記(京都府議会議員・綾部市選挙区)

これからの綾部のために、さらなる「挑戦」を!

平和のコンサート

2006年08月15日 | 論評・研究

 今朝も7時に家を出て、志賀郷から市立病院まで、運転ボランティアに出かけた。

 テレビでは、小泉総理の靖国参拝のニュースでもちきりだった。靖国神社は明治王朝の功労者が祀られているところなので、A級戦犯もそれに当たるだろう。合祀されても当然で、昭和天皇がそれを批判したのが本当だとすれば、平安時代末期の貴族と武家との認識が違ったのと同じで、武家が不満を持ち、政権を握った。昭和の日本では5・15や2・26を経て、軍人が全権を握ったのと平家や源氏が政権を握ったのは酷似している。

 僕は綾部の歴史を信仰しているので、靖国神社に対しては特に感慨はない。だが、首相は天皇の任命によるというのが日本国憲法に定められている以上、首相が靖国社に敬意を払うのはむしろ自然だ。中国や韓国がそれにとやかく言うのなら、余計に意地になって参拝するべきだとも思う。

 加藤紘一がテレビ出演して、みのもんたから「失礼な質問かもしれませんが、加藤さんが総理だったら、参拝しましたか?」と聞かれて、「私は行きません」と断言していた。加藤氏は「加藤の乱」の時も議場に行っておいて、自民党から除名されていれば男が上がって、今頃総理候補になっていたかもしれないのに、いつまでたっても「勝負弱い」なあと思った。

 10時からは、JCの記念事業に参加するため、家族で中丹文化会館に行った。沖縄から歌手の方が来られて、平和に関する話も交えながら、ミニコンサートがあった。伴奏でギターを弾いておられた「イワモトタツオ」という人が、高本さんに顔がよく似ていた。髪質やギターを弾くところまでそっくりだった。

 その歌手の人が沖縄戦での悲惨さを話した後、「沖縄(琉球)は武器を持たない平和な国を作っていた」とおっしゃっていたが、沖縄はそれゆえ薩摩藩の侵攻を受けたりして、苦しい歴史を歩むことになったのではなかったかと思った。

 終了後、少しフロンティア事務所に行き、その後、輝くんと昼ご飯を食べに行った。

 午後は終日、会社にいた。来客もあった。

 夕方、並松上組に手紙を配りに行った。ちょっとした散歩になった。歩いて回ると、ちょこちょこ話もできたりしていいなと感じる。

 いい汗をかいたのだが、家に帰って缶ビールを2本飲んだので、歩いた意味はなくなった。お盆を過ぎたら、少しは涼しくなるだろうか。

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ルール

2006年08月14日 | 選挙

 朝7時過ぎに家を出て、運転ボランティアに行った。お盆はボランティアさん達も休まれる方が多いので、久しぶりの出動だった。通常の治療はできる限り、時期をずらしていただくようお願いしているのだが、人工透析の方だけはずらす訳にはいかないのだ。

 朝から、共産党議員が名前入りのノボリを立て、朝立ちをしていた。あのノボリは選挙違反ではないかと思う。選挙はルールに則って、行うべきだと思う。

 会社に戻って、今日も発送作業を行った。昼に再び、運転ボランティアに行った。

 その後、政経の支部長さんのお宅に届け物に行った。

 夕方、戻って来て、会社に来客。

 ※それにしても、効きにくいキーがあり、これを打つのも一苦労です。


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どうにかこうにか…

2006年08月13日 | 家族

 パソコンが壊れてから、見るのも嫌になっていました。しかし、どうにかこうにか、いろんな方々のお世話になって、なんとか使えるようになりました。「ゆーら」が活用できました。

 両丹企画は昨日から15日まで夏休みに入っていますが、僕は毎日会社に行っています。今日も一日、発送作業をしていた。

 途中、村上さん、高本さんとホテル綾部に行き、町井さんと秋のイベントの打ち合わせをさせてもらった。

 夕方、小源太と一緒に、手紙を配りに並松の下組を歩いて回った。結構距離があったが、小源太も頑張って歩いていた。


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パソコン

2006年08月10日 | 一般

 日記を書いていなかったのですが、久しぶりに書き込みます。

 自宅のパソコンが壊れたので、会社のパソコンを家に持って帰ってきて、これを書いています。

 携帯からも書き込みをしてみたのですが、前はできたのに、今回はできませんでした。

 ここ数日は暑い日が続き、仕事も忙しい日々が続いています。新しいパソコンを買うのに、お金はかかるし、どういうパソコンを買おうかといろいろ考えています。


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うどん(8月6日)

2006年08月07日 | 家族

 昼に家族で、ホテル綾部に讃岐うどんを食べに行った。西方町の竹原友徳くんが、大学卒業後に讃岐で3年間修業し、志賀郷のハス園のところで仮店舗を出しているらしい。

 うどんは1杯250円で、大盛りは350円。僕は「ひやあつ」(冷たい麺に熱いだし)の大盛りを食べた。大盛り2杯は軽く食べれそうだ。うどんはコシがあって美味しかった。13日(日)まで、開催しているそうです。時間は11時半~14時です。天ぷら(エビ、ちくわ、カボチャ、芋、れんこんなど)は別途120円~150円で販売しています。

 午後、このパソコンが悲惨な事態に…。加奈っちが暑いのに頑張って家の回りを掃除していて、それを誇らしげに報告していたら、机の上に置いたアイスコーヒーのコップが倒れて、パソコンがコーヒーまみれに。

 何度か電源を入れたりしてみたが、どうしても動かないキーがあり、パスワードが打ち込めない。おかげでメールチェックも日記を書くこともできなかった。

 ※翌日、昼になって、ようやく回復した。多少、動きにくくなったキーがありますが…。


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綾部は広い

2006年08月05日 | 家族

 朝から納品に綾部をひと回りした。本当に綾部は広い。走れども、走れども、という感じだ。

 12時から会合に参加。13時半から、世界連邦の学習会があったが、遅れて参加した。今日は山崎巌先生が世界連邦都市宣言の歴史について、郷土史家の立場から話された。

 夕方、再び納品に走った。奥上林まで行った。

 夜は中筋幼児園での「幼児祭」に連れて行ってもらっていた小源太を迎えに行って、その後、上延納涼祭に行った。上延は人が多くて活気がある。輝くんも後援会の上原渥美会長と一緒に挨拶回りを頑張っていた。


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アロハ・オエ

2006年08月04日 | NEXT

 午前中、来客があり。思わぬ偶然が重なって、何やら面白いことになりそうな予感も…。綾部には、世界連邦には…何かがあるのか…やっぱり…。

 午後は納品に行ったり、会社で製作作業をしたり。夕方、データを哲史さんに渡すことができた。これでちょっと一段落だ。

 夜はNEXTのミーティングだった。ラジオの収録をした。ハワイアンのアロハ・オエを流したら、昔の西町アーケードを思い出して、懐かしかった。8月12日(土)9:15~10:00の放送です。FMいかる(76.3)をお聴き下さい。

 終わった後、みんなで千登利に行った。


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津軽じょんがら節

2006年08月03日 | アート・文化

 午前中は中野くんが来てくれて、津軽三味線を弾いてくれた。昼ご飯も一緒に食べに行った。

 午後はせいざんに上がってもらって、老人クラブの方々に津軽三味線を披露してもらった。僕が最初に紹介をさせていただいた。3曲演奏してもらったが、津軽じょんがら節が良かった。

 中野くんには市民新聞の「キラ☆ボラ」の取材も受けてもらった。

 石原莞爾関係の本が送られてきたので、とりあえず、小説風の伝記から読むことにした。活字を読むと眠くなってしまう。


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血圧検査

2006年08月02日 | 一般

 午前中、校正を持って、あちこち行ったが、こういう時に限って電話がガンガンかかってくる。そのたびに車を停めるのでいっこうに前に進めない。

 午後は会社で作業。夕方、健康診断に行った。今年は体重が去年より1キロほど減っていたので、血液検査の数値も良くなっているのではないだろうか。大学2年の頃に受けた健康診断で血圧が高くなり、以後、約10年間、血圧検査のたびに緊張して高い数値が出ていたが、今日は一発で標準に入った。

 夜は中野くんが綾部に来ていたので、一緒にあやべ温泉で、およばれに預かった。小源太までお子様ランチを頼んでいただき、申し訳なかったが、楽しい時間が過ごせた。中野くんにとっては、最後の最後で思わぬハプニング?トラブル?に巻き込まれたことになったが…。


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東亜の王道、アメリカの覇道

2006年08月01日 | 論評・研究

 いまだにどうも喉がスッキリしない。せきが出るし痛いのだが、何を飲んだらいいのか分からないので、パブロンを飲んでいる。

 どんどん原稿がたまっているので、朝から次から次へと製作していく。

 午後も黙々と作業。その間、また原稿が増えたりもする。卓ちゃんが少し寄ってくれた。

 夜は里山ねっとで、京大生とあやべ農業友の会メンバーとの懇談会に参加した。新山先生の教え子たち(1回生と院生)約25名と食事をしながら話をした。

 本来は学生から質問を受ける会のはずだったが、輝くんが農政についての質問をずっと新山先生に浴びせていた。面白い話で、農政の問題点(日本の問題点?)がよく分かった。

 途中で抜けて、別の会合に参加した。

 最近、石原莞爾が気になっている。満州事変を起こした関東軍の参謀で、どちらかというと「戦争犯罪人」というイメージを持っていたが、どうもそうではないような気がしてきたからだ。彼の著作「最終戦争論」や「戦争史大観」に書いてあることは、世界連邦思想とも通じるのではないかと感じる。農業の重要性についても書いているようだ。

 「最終戦争は東亜の王道とアメリカの覇道との戦いになる」という予言もあるらしい。その予言が当たり始めているのではないかとも思う。

 衝動的に、ネットで石原莞爾関係の本を6冊注文した。批判的な本も読まないといけないと思い、佐高信が書いた「石原莞爾 その虚飾」という本も読んでみることにした。

 余談だが、国際的指揮者の小沢征爾さんの父親は石原莞爾に師事しており、征爾と言う名前は、石原莞爾と同じく関東軍司令官であった板垣征四郎にちなんでいるという。

 ちなみに、板垣は東京裁判で「A級戦犯」とされ、処刑された。石原は無罪だった。「満州事変は自分と板垣がやった。板垣が死刑なら自分も同じ」と裁判で述べたらしいが、罪に問われなかった。「東京裁判」はやっぱりおかしな裁判だ。

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