現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

京都から帰って悪に転身

2007-08-30 09:34:09 | 虚無僧日記
虚無僧の旅に出ると、いつもなら、人々の温かい心に触れて
心洗われ、穏やかな優しい人になって帰るのだが、京都は
違った。
虚無僧では、布施いただいた物だけを口にするように、自分で
決めている。たいてい「虚無僧さんご苦労様、お茶でもいかが
ですか」と声かけていただいて、菓子やそばなどをご馳走に
なるのだが、今回は全くなし。暑さで食欲も無く、買って食べる
気にもならなかったから、3日間水のみ。その水のみ場もない。
自販機でペットボトルを買っては持ち歩いた。
寝る所もない。寺も公園も、警察やガードマンが目を光らせて
いる。公園にはベンチも無いのだ。京都はよそ者には厳しい。

門付けで、シッシッと手で追い払われるようなことも、よそでは
無かった。これも修行だからいいのだが、京都府警の目配り、気
配りの良さを見て、愛知県警の無能さを思い出して、腹がたって
きたのだ。

結局、京都3日間で観光客から1万円以上のお布施をいただいたが、
この浄財が間接的にしろ、理不尽な駐禁の反則金として納められ、
やつらの飲み食いになって高笑いしているのかと思うと、腹わた煮え
くりかえるのだ。イライラしているから車はぶつけるし、どうにも
収まらん。

これからは戦う虚無僧に転身。愛知県警と闘うのじゃ。
そんな気持ちで車を運転しているからか、信号無視するような車が
許せない。進路妨害してやると、相手が車を降りて怒鳴り込んできた。
向こうが悪いのだから、負けてはいない。「警察呼ぶか?」に、
負け犬の遠吠えで去って行ったが。110番したって、どうせ来てくれ
ない愛知県警だが、こちらはいつ殺されてもいい覚悟はできている。
とにかく、殺されなきゃ事件として扱ってもらえない、悪を放置する
愛知県警が許せないのだ。

車ぶっつけた

2007-08-30 07:49:36 | Weblog
ブログで愛知県警の悪口を書いたら、さっそく今日車をぶっつけた。
「人の悪を言わず」に違反して、天罰があたった。こすっただけで
すんだのがせめてもの幸い。これも気づきをいただいたのだ。

警察官を見るたびに腹が立つ。このイライラの原因は、理不尽な
駐車禁止取締り。今年の正月10日、日曜日の早朝6時、全く車の
往来もない通りに15分止めていて、パトカーが来てステッカーを
貼られた。半年立って、通知が来、弁明書を出したがナシのつぶて、
再度15,000円支払えという。どうしても納得いかない。

警察は迷惑行為を取り締まって、市民の生活を守るためにあるので
はないか。以前3人組とトラブルになって110F番した時も、「今
怪我しているんですか? 」「いやしてません」「なに?バカヤロー!
喧嘩の仲裁にいちいち行ってやれるか」ガチャンであった。一瞬
かけた先を間違えたかと思った。これが愛知県警だ。

それでも、腹を立ててはいけないというのか。
現実大肯定、あるがままを受け容れよと教わるが、「変えられる
ものは変えよ。変えられないものは受け入れよ」とも教わる。

警察力最低の愛知県警なのだから、県民の声を大にして改革して
もらわなければなるまい。