現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

女性の時代

2008-01-07 13:40:55 | 虚無僧日記
実践倫理の会では「女性は三歩下がって夫を立て、
夫に尽くさなければいけない」などと、時代錯誤の
ことを言うので、世間ではいろいろ誤解されている。
実際には、女性がすべて取り仕切り、男性は隅で
小さくなっている。

今の世の中、学校でも、生徒会長も入学式、卒業式
の代表挨拶も女の子だそうだ。男は隅に固まって
いじめられないように小さくなっているとのこと。

自転車の二人乗りは、今や女の子が漕いで、男は
後ろにちょこんと座っている図式が当たり前。

かくゆう私も、時間と財布を林鈴花に握られ、いう
なりになっている。さからわない、さからえない。
でもこれは実に楽な生き方じゃ。

音痴は治る

2008-01-07 13:19:54 | 虚無僧日記
小学生の頃、クラスでNHKラジオに出演する
機会があった。その時、音楽の先生が「牧原
君は歌わんでよろしい」と。それがトラウマ
となって、以来歌は歌えないと思いこんでき
た。だが尺八は歌心がないとうまく吹けない。

一昨年からビクター歌謡教室の木村ひとし先生
に発声法を習ってきた。尺八と相通ずるところ
がある。下腹に力を入れて出す。口の奥を開く。
などなど。これで歌の声も尺八の響きも変わって
きたのだ。今年は老人ホームなどで歌手デビュー
しよう。60歳の挑戦だ。

弦楽器が苦手な私

2008-01-07 13:07:27 | 虚無僧日記
子供の頃音痴で音楽は全くダメだった。
ピアノ、ギター、バイオリン、お琴といろいろ
手をつけてみたが、どれも入口で終わってしまった。
絃楽器は苦手という思い込みがぬぐえない。

一昨年琵琶も習い始めたが、半年で挫折した。
同じ頃に琵琶を始めた森下さんはめきめき腕を
あげ、目を見張るばかり。森下さんと、ひと時
語り合う機会があった。
「琵琶の練習で腰を痛めた。指も水ぶくれができ
て痛かった。やがて指先が硬くなった」という。
森下さんは門弟200人の頂点に立つ詩吟の宗家だ。
門弟の稽古に追われる多忙な中、月一度名古屋まで
琵琶を習いに来、後は自宅で自己練習。

自分は腰が痛くなるほど、指に水ぶくれができる
ほど練習したことがあっただろうか。はじめから
“できない”と諦めて練習をしないのだから弾け
なくて当たり前と気づかされた。脱帽。


1月6日伊勢からの帰途

2008-01-07 12:13:31 | 虚無僧日記
1月6日午後、Mさん宅ですっかり長居して辞去。
帰路、津の本願寺に立ち寄り、一絃琴の眞道さん
を訪ねた。こちらはホンマモンの尼僧だが、男勝り
でパワフル。お寺さんから逆にお餅だのみかん、
お菓子などたくさん施し物をいただいて帰宅。

帰宅すると留守電に塩山の向嶽寺の神田師から
電話が入っていた。私の講演会を開いてくださる
とのこと。俗人の私が“釈迦に説法”ならぬお寺
さんで講演させていただけるとは、これまた夢の
ような話。お伊勢さんの霊験あらたか。すごい年
になりそうだ。


2日間で餅1個

2008-01-07 11:37:50 | 虚無僧日記
1月5日の早朝、朝起会会場でおしるこをご馳走になってから
丸一日飲まず喰わず。2日目の1月6日も朝9時から立つ。
不思議と腹は空かない。「加藤さんや植松さんがお伊勢参り
に来られると聞いていたので、逢えればごちそうしてもらえる
かな」などと期待していると、却って会えない。
「いかんいかん、そういう欲を捨てる修行」と、妄想邪念を
振り払って尺八を吹いていると、美しい女性に声をかけられた。
「お尋ねしますが、一路さんですか」と。詩吟の会でお目に
かかったことのあるMさんだった。会員200名を擁する宗家だ。
うろたえる私に「お茶でもいかがですか」とお誘いを受けた。
家はすぐ近くだという。なんでも成り行きまかせ、断らない
主義なので、ホイホイ着いて行くことにした。
広大な敷地に母屋と別棟、納屋が点在するお屋敷だった。
春には桜、秋には紅葉、夜には月を愛でて過ごす雅な生活。
雉も飛来し、狐や狸も出るという。おしるこにお雑煮まで
いただいて、まさに狐につままれたような夢見心地。浮世離れ
した別世界。時代劇のラストシーン、尼寺に“昔の人”を訪ね、
今の心境を語りあうかの如き出会いに胸ときめいた。




伊勢神宮お払い町で虚無僧

2008-01-07 09:53:32 | 虚無僧日記
1月5日お払い町の入口近くで虚無僧する。
以前はハヒーと思いっきり吹いていたが、
今年はどうもその気になれない。頬を膨ら
ませる吹き方で、静かに『調子』を吹く。
しばらく続ける。
1時間吹いてもお布施ははいらない。前を
通る人々の顔も険しい。「いかがわしい」
という目で見る。これはいかん。どうも“陰”
の気を発しているようだ。音に気を集中す
ると、やがて小さい音でも芯のある真音が
出てきた。今までに無い音だ。
初めて中年の男性が500円玉を入れてくれ
た。それからはポツリポツリといただける
ようになった。
家族連れが2、3歳の子供に小銭を持たせ
て近寄ってくる。その子は私の偈箱の上で、
小銭をポトリと落とす。まだ言葉もわから
ない幼児が、どうして偈箱にお金を入れる
ということが判るのだろう。これだけでも
不思議なことだ。その家族の日頃の精進で、
布施の心がこんな幼児にも解かるのだ。




1月5日伊勢神宮参拝

2008-01-07 07:45:23 | 虚無僧日記
朝熊(あさま)山から下山して、伊勢神宮に
参拝。まだ9時前だがすごい人だ。
 なにごとやおはすか知らねども
    手を合わせ 伏し拝みつる
誰もかれもが、この大御神の前に立てば、
自然に手を合わせ、伏し拝みたくなる。
この気はなんなんだろう。伊勢の山々、
五十鈴川のせせらぎ、木々の一本一本まで
が神が宿り、神々しく霊気を発している。
清らかな“気”に包まれているのだ。
参拝に向かう人々の顔もまた清々しく明る
い。大御神の前では皆善男善女になるのだ。
自分も虚無僧として、吹く尺八の音で、人
々の心が清められたらと思う。それには何
が必要なのだろうか。自問自答しながら、
おはらい横丁の入口で、静かに尺八を吹く。





1月5日伊勢朝熊山へ

2008-01-07 06:03:10 | 虚無僧日記
朝6時半に伊勢の朝起会場を出、車を飛ばして
伊勢スカイラインにはいり、朝熊山(あさまやま)
に登った。山頂手前に金剛鉦寺があり、さらに
山頂付近まで登ると八大龍王を祀る社がある。
私は毎年ここに詣でることにしている。
明暗寺開祖虚竹禅師がこの朝熊山に参籠し、
霧の中から妙音を聞いて『虚空』『霧海箎(むか
いじ)』の二曲を作ったという虚無僧伝説の地な
のだ。
伊勢の海から吉野の山々まで360度一望でき
る絶景の地だ。
着いた時丁度鳥羽の海から真っ赤な太陽が
昇り、次第にあたり一面金色に輝いた。まば
ゆいばかりの光を浴びて、えもいわれぬ不思
議な気持になる。1時間あまりここで尺八を
吹き、虚無僧装束に着替えて下山した。