三重県桑名市の「六華苑」で「新春の調べ」があり
行ってきた。桑名は、愛知県から木曽、揖斐、長良の
三川を越えた対岸。旧東海道は、熱田神宮の近くの
「宮の渡し」から船で海上を行き、桑名の「七里の
渡し」に着く。その「七里の渡し」のすぐ近く。
また、桑名城も近い。ともに伊勢湾に面した景勝の地。
桑名城の跡は 今「九華園」という公園になっている。
「九華」と書いて「くはな」と読めるからだそうだ。
さて その「九華公園」の近くにある「六華苑」。
なぜ「六華苑」というのかは 聞きもらしてきたが、
大正2年(1913)、「諸戸(もろと)清六」の別宅として
建てられた大邸宅。敷地は 18,000㎡、約6,000坪。
洋館部分は、鹿鳴館の設計者、イギリス人の建築家
ジョサイア・コンドルの設計。
日本家屋や蔵、海津の高須城からの移築建物もあり、
明治・大正期を代表する貴重な文化遺産として、
国の重要文化財に指定されている。
「諸戸」家は、信長の長島一向一揆制圧の頃から、
長島の庄屋だった。幕末、塩の売買に失敗して家
屋敷を失い、桑名に移住してきた。そして2代目
諸戸清作が 米の売買で成功し、酒田の本間家を
抜いて日本一の大地主になったという。
そんな大邸宅。大広間も50畳ほどある。そこで
琴・尺八の演奏。この冬一番の寒さながら、客席も
5~60人ほどだが、結構 満席となった。日本家屋で
畳に障子と襖だから、音は響かない。だが、こういう
シチュエーションの中では、演奏会という気負いも
無く、周囲に溶け込む音で、聴いていても 心地
良かった。
行ってきた。桑名は、愛知県から木曽、揖斐、長良の
三川を越えた対岸。旧東海道は、熱田神宮の近くの
「宮の渡し」から船で海上を行き、桑名の「七里の
渡し」に着く。その「七里の渡し」のすぐ近く。
また、桑名城も近い。ともに伊勢湾に面した景勝の地。
桑名城の跡は 今「九華園」という公園になっている。
「九華」と書いて「くはな」と読めるからだそうだ。
さて その「九華公園」の近くにある「六華苑」。
なぜ「六華苑」というのかは 聞きもらしてきたが、
大正2年(1913)、「諸戸(もろと)清六」の別宅として
建てられた大邸宅。敷地は 18,000㎡、約6,000坪。
洋館部分は、鹿鳴館の設計者、イギリス人の建築家
ジョサイア・コンドルの設計。
日本家屋や蔵、海津の高須城からの移築建物もあり、
明治・大正期を代表する貴重な文化遺産として、
国の重要文化財に指定されている。
「諸戸」家は、信長の長島一向一揆制圧の頃から、
長島の庄屋だった。幕末、塩の売買に失敗して家
屋敷を失い、桑名に移住してきた。そして2代目
諸戸清作が 米の売買で成功し、酒田の本間家を
抜いて日本一の大地主になったという。
そんな大邸宅。大広間も50畳ほどある。そこで
琴・尺八の演奏。この冬一番の寒さながら、客席も
5~60人ほどだが、結構 満席となった。日本家屋で
畳に障子と襖だから、音は響かない。だが、こういう
シチュエーションの中では、演奏会という気負いも
無く、周囲に溶け込む音で、聴いていても 心地
良かった。