現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

渡辺淳一『阿寒に果つ』

2014-05-05 21:49:38 | 虚無僧日記
『失楽園』より以前、私が、「渡辺淳一」の作品に
初めて触れたのは『阿寒に果つ』(1973)でした。

これは、渡辺淳一氏が若い時に 恋焦がれていた
一人の女性「純子」の話。「渡辺淳一記念館」には
「純子」の赤いコートが展示されているから、実在の
女性だった。

「純子」は 天才少女画家とさわがれながら、阿寒湖で
自殺して果てた。純子の死から20年経って、作家と
なった「私(渡辺淳一)」が、純子と関係のあった
五人の男性を訪ね、純子の死の直前の様子を聞きだす。

男たちはみな、“自分こそが、純子に愛されていた”と
思っていた。ところが、純子の不可解な行動からは、
純子は誰も愛してはいなかったのではないか。純子は
何を求めていたのか、なぜ自殺したのか。全く不可解。
あるいは「死ぬつもりはなく、雪の中で凍死した事故
だったのでは」と、解けぬ謎のまま終わる。

無感情で、心の内を見せず、男たちを翻弄させた純子。

実は、私も当時「純子」という女性に惚れていた。
彼女は 別の男性からもプロポーズされていた。
「女の私が、殿方のどちらかを選ぶようなことは
できませんわ。殿方の心を傷つけないためには、
死ぬしかございませんね」という言葉を残して
私から去っていった。私は彼女は、ほんとうに
死ぬ気だと思った。その後の彼女の消息は全く不明。

そんな私の体験と『阿寒に果つ』はダブって、衝撃を
受けたのでした。



「渡辺淳一」逝く 80歳

2014-05-05 21:17:08 | 虚無僧日記
渡辺淳一氏が死去 80歳 前立腺がん(デイリースポーツ) - goo ニュース


「失楽園」は 1995(平成7)年でしたか。「失楽園」を
読むためだけに「日経新聞」をとっていました。あれから、
もう20年。「失楽園」執筆の頃、渡辺先生64歳。私も、もう
その歳を通り過ぎ、まだまだ負けてませんぞ。(何が?)

日経新聞主催の「渡辺淳一講演会」にも行きました。
「歳をとったら、男も、ますます色めかなければいけない」と。
「恋せよ“乙女”でなくて、恋せよ“おとな(老人)”」

「作家として生き残っていくためには、自らの欲望と好奇心を
ギラつかせなければいけない。金がほしい、有名になりたい、
女にもてたい、家を建てたい。どの世界もスターはギラついている。
だからスターなんだね」と。

虚無僧の私、人には「欲を捨てよ」と説きながら、実は 密かに、
ギンギラギンに燃えてます。でなければ、早く老け込んで
しまうでしょう? その点で、渡辺淳一先生をみならって
生きています。それでも80歳まで生きれるだろうか。いや
80まで生きれれば もう十分ですたい。



5/5 名古屋城にて「古武道大会」

2014-05-05 07:45:52 | 虚無僧日記
ゴールデンウィーク。3、4日は東京へ行ってきました。
帰省ラッシュの中、逆なので、新幹線は座れ、ラッキー!

90歳の母は、会うなり「おまえ、ずいぶん大きくなったねぇ」と。
いや母親の方が ずいぶん 縮んで小さくなったのです。体重35kgに、
痩せ衰えていました。

5/4は 目黒の「朝起会場」へ。昨年は顔を出さなかったので、
「“どうしたか”と噂していたところ」とのこと。気にかけて
いただいていたことがうれしい。

5/5は朝から大忙し。

まずは「朝起会」で、終了後「こどもの日」の催し物。
「鯉のぼり・背比べ・金太郎」など、尺八伴奏で唱和。

9時からは、名古屋城で毎年恒例の「古武道大会」。
その開会式で、山川先生の詩吟の伴奏を務めます。

例年、快晴で暑いのに、今年は「曇り、時々雨」の予報。
さてどうなりますか。

午後からは、津の西来寺さんで法要後、眞道さんの
一絃琴と尺八演奏。

一日3件、行って参ります。