現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

ジャズシンガー「鈴木重子」さん

2014-05-26 20:51:09 | 虚無僧日記
平成5年に名古屋に来た時以来、お世話になっている
鈴木さん。その姪子さんが、ジャズシンガーの「鈴木
重子」さんと知ってびっくり。

その「鈴木重子」さんのことが、朝日新聞に3回に
わけて、大きく取り上げられていた。

浜松市出身。東大・法学部卒。ジャズシンガーとして
1995年にデビュー。アメリカの「ブルーノート・
ニューヨーク」にて、日本人ヴォーカリストとして
初デビューし、NHKでもしばしば出演している。

“天は二物を与えず”どころじゃない、三つも四つも
持っている。身長171cmの長身。ルックスもいい、
おっとり、ほんわかな話し口調は、“癒し系の歌手”
として話題となった。

子供の頃から、ピアノ、絵画、書道、能、バレェ、水泳・・・・と、
あらゆる習い事をし、小中高校と 無遅刻無欠席、成績は
“オール5”。

「なにもかも恵まれた人生」とうらやましくも思っていた。
ところが、である。朝日新聞の記事を読んで、これまた
びっくり。親や先生の期待に応えようと、ご本人は
重圧に苦しんでいた。ひとり傑出していれば、学校で
いじめにも遭う。「学校は 私にとって 戦場だった」と。

東大法学部ならば、当然、弁護士を目指して司法試験に
挑戦しなければ・・と 自分を追い込んだが、法律に
興味がもてず、2年留年。卒業後も2年間、学習に
取り組むが、やがて「六法全書」を見るだけで吐き気が。
そして、「マンションの9階から飛び降りたら、これで
もう勉強しなくてすむ」と、そこまで追い詰められ、
はじめて挫折を体験する。

そんな中、歌っている時だけは、心が休まる。自分の
生きる道はこれかも、と歌手デビューするが、これも
そうカンタンではない。肩肘張って、緊張して歌う
ことで 腰痛になった。「腰痛の原因は“緊張しすぎ”」と
アドバイスを受け、リラックスして歌うように。

そうした、心のしばりをすべて解き放った時、声も
変わり、いまの「鈴木重子」が誕生した。

なるほど、「力まない、自然体、無駄な力を抜くほど
よく響き、相手の心にはいっていく」という話。
これは、尺八にも通じる。

もうひとつ。アメリカで学んだという「非暴力コミュニ
ケーション」。対立しあう場でも、相手を批難せず、
互いが大事にするものを明確にし、つなうがりを感じ
ながら対話していく」という手法。「怒りや悲しみを
取り除こうとせず、抱きしめるように味わう」という
言葉に、感心させられた。



朋友「竹内明彦」君  訃報

2014-05-26 19:32:05 | 虚無僧日記
「竹内明彦」君が亡くなったとの知らせに愕然。
慶応中等部、高校で同級生だから、まだ66歳。

長唄三味線の家元の血筋であり、長唄三味線だけでなく、
能にも造詣深く、能管や鼓にも長けていた。私が
中学以来 尺八に勤(いそ)しんだのも、彼の影響大。

彼は、中等部ではワグネルソサイェティに所属し、
トランペットを吹いていたから、和洋両刀。そして、
工学部に進み、ヤマハに勤め、浜松に転居した。

ヤマハでは管楽器の構造の研究に携わっていたようだが、
邦楽関係者との付き合いも広く、会社公認で、イベントの
企画なども行っていた。私も随分、尺八の仕事を紹介
してもらい、随分お世話になった。

ヤマハを退職してからは「大阪芸大」に講師として
迎えられ、これから、真価を発揮するものと、期待
されていたところだった。

管楽器の専門誌『パイパース』に、和楽器奏者13名
のインタビュー記事を載せたのは、彼の一大業績。
和楽器の全てに精通している豊富な知識が有り、
そのインタビュー記事は、実に奥深い内容となった。

思えば、中学から50年、半世紀もの付き合いと
なった朋友は 彼一人。いずれ 私も そちらへ、ゆ(逝)く。

5月28日(水)通夜、29日(木)告別式
「いずもホール・浜松」にて



「竹竹の会」伊那の「かんてんパパ」で

2014-05-26 09:17:55 | 虚無僧日記
「タケダケの○○です」と電話が入った。「武田家?」
おっと「竹竹(たけだけ)の会」でした。長野県内の
尺八愛好家の会。毎年、尺八だけの演奏会を開き、
今年 21回。過去2回 参加させていただいた
ことがあり、今回も、参加させていただくことと
なりました。

5月31日(土) 13:30~16:30
会場は、伊那市の「かんてんパパホール」

皆さん ものすごく上手い。プロ、アマの境が無い。何を
もってプロと言えるのか、考えさせられてしまう会である。

そこへ、プロとして参加させてもらうからには、段違いの
力量を見せ付けなければと、諸井誠の『竹籟五章』で
エントリーさせていただいた。

超 難曲である。6月29日の「大河内淳矢」君との
『鹿の遠音』もあるから、ネプチューンのスーパー尺八を
思い切って、手直しすることにした。地が厚く塗って
あるので、中を大幅に削ってみた。音が抜けるような
気がしてきた。

ものすごい音量なので、家(マンション)では吹けない。
それで、虚無僧に出て、雑踏の中で試し吹きをすることに。
昨日よりは、また一段と良くなった気がする。




会いたい人に出会える不思議

2014-05-26 00:06:11 | 虚無僧日記
虚無僧で立っていると、会いたい人に会える不思議を
何度も体験している。今日は、大須から栄まで歩いて、
二人の人に出会った。

お一人は「小○○」さん。尺八を修理したので、誰かに
音量を聞いてもらいたいと思って、ふと「小○○」さんの
顔が浮かんだ。先日、ライブをさせていただいたお店の
店主で、演歌尺八の達人。

そしたら、なんと道でバッタリ。奥様と散歩中とのこと。
さっそく、ひと吹きして 音量を聞いてもらった。
「この雑踏の中でよく響く」とのこと。

「小○○」さんと会話している時、すてきな女性が
「あら!」と声をかけてくれた。元 勤めていた会社の
事務員さんだった。

もうびっくり。実は、彼女のことは、時々思い出す。
会社が倒産する前のメチャクチャな時。私も荒(すさ)んでいた。
Nさんには、ずいぶん支えられ、お世話になった。
いつか会って、お礼を言いたいと思っていたが、咄嗟のことで、
しどろもどろ。

15年ぶりに会うのに、全然変わってなかった。いや、
勤めていた頃より若々しく、輝いていた。今 幸せそうで
なにより。


つい先日、もう一人の事務員さんにも会った。お孫さんと
一緒だった。もう そんな お歳かと思ったが、彼女も
全然変わっていなかった。

そして、もう おひと方。今度尺八演奏の仕事をいただいた
名古屋フォーラムの「○谷」さんも、私の教え子でした。

なんか、15年前のサラリーマン時代の記憶が、今 蘇って
きた。そういえば、29日(木)同期会でした。


◆第一生命のサラリーマン川柳から

「教え子が 上司になって 倍返し」

いや報復ではなく、彼女たちに救われている私です。