現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

一休骸骨

2014-05-10 21:08:03 | 一休と虚無僧
「一休」さんの話で、「この橋渡るべからず」「屏風の虎」と
ともに、よく知られているのが「正月骸骨」。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

皆が正月を祝っているのに、一休さんときたら、
こともあろうに、髑髏を杖の先につけて

「門松や、冥土の旅の一里塚、目でたくもあり、
  めでたくもなし。ご用心、ご用心」と触れ歩く。

「よしてくださいよ。正月早々縁起でもない」

「何、これは めでたい代物じゃ。ホレ、目が出て
るから“目出たい”のだ」。

(一休さんの「シャレこうべ」です)

一休は云う。

「見よ、骨になってしまえば、男か女か、尊いお方か
遊女かもわからんではないか。この皮肌一枚に、目を 
くらまされていませんかな。心の目でしっかり真実を
見なされ」と。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この有名な「一休とんち話」も、『一休年譜』には書かれて
いません。江戸時代に刊行された『一休咄』に出てきます。

おそらく、一休作と伝えられる『一休骸骨』という書から、
江戸時代の戯作者が思いついた創り話でしょう。

薪村の「酬恩庵・一休寺」の宝物館には、「一休の髑髏」と
いうものが展示されています。茶褐色でこぶし大の 木の彫り物です。
後世の贋作と決め付けるのは 野暮というもの。

「一休とんち話」は、一休の真実を 実によく わかりやすく
示してくれているのです。

ところで、最近、若い女性の間で「髑髏」のデザインの入った
服やバッグ、小物が流行っているようです。背中やジーンズに大きく
刺繍したものもあります。これも一休さんに通じるではないですか。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。





地獄・極楽

2014-05-10 09:45:40 | 一休と虚無僧
「一休さん、教えてください。地獄・極楽ってどんな所ですか?」
「あぁ、簡単じゃ、一言で云うとじゃな」
「一言でぇー?」
「あぁ、地獄・極楽を一言で云えばナ、あのヨーォ」
「あのヨォ?」
「そうじゃ、地獄・極楽は“あの世”じゃ」

「一休さん、またオラたちをバカにして」
と、村人たちが一休さんを棒で叩きます。石を投げます。
「あいたたた、いて!痛い痛い。おおこれが地獄じゃよ」
村人たちは、「さすが一休さん、身を挺して私たちに
“地獄”を教えてくれたのじゃ。すまんことした」と、
一休さんに食事を勧めます。
「いやぁ、ありがたい幸せ、これが極楽、極楽」

さて、素朴な疑問。
「わが宗(会)を信ずる者だけが極楽に行ける」と
いうのなら、今まで亡くなった何百億と云う人は
一人も極楽に行けてないことになる。

日蓮宗は、創価学会と日蓮正宗と顕正会、三つ巴で
お互いを「地獄に落ちろ!」と責めているのだが、
「責め心の人は、極楽往生できぬ」という矛盾をいかに。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。