6/29「大河内淳矢」君の尺八リサイタル。
なんと西尾市の市民会館大ホール。1200席 満席。
尺八の個人リサイタルでは考えられない、前代未聞の
快挙。
とにかく、内容、出来栄え最高。こんな すばらしい、
すごいコンサートは未だかって観たことがない。
彼は19歳の時、私の所に尺八を習いに来た。そして
わずか数カ月後、彼の初舞台が、同じ西尾の市民会館
大ホールで、なんと『春の海』。西尾の尺八家の方々の
中に入れていただいての演奏だったが、当時すでに、
先輩方々を押しのけて、頭角を現していた。
私の所では、わずか2年だったが、古典本曲から、
琴古、都山、現代曲、クラシック、ポビュラー、演歌と、
私の持てるものすべてを教えた。
そしたら、20歳で尺八家を志して、東京へ行くと
言い出して、親をあわてさせた。当時、藤原道山はじめ、
同じ愛知県出身の岩田卓也君他、若手尺八家が次々登場して
きている中で、彼は性格が良すぎる。他人を押しのけて
前に出るようなタイプでないめ、プロとしてやっていけるのか、
私も責任を感じていた。
桐朋学園の日本音楽(尺八)科に入り、坂田梁山氏に師事、
先輩に野村邦山氏のご子息 野村幹人君がおり、水野利彦氏
との縁にもつながった。そして、同じ桐朋出身の新進気鋭の
バイオリニスト「山内達哉」氏との出会いによって、
彼なりの居場所をつかんだようだ。
あれから10年。ちらちらとYou-tubeでも見かけるように
なり、見守るだけの私だった。いずれ、名古屋で凱旋
コンサートを開いてあげねばと思っていた矢先、今回の
企画を聞いてびっくり。私では到底できない、大がかりな
もの。そして、わずか2、3年教えただけの私を忘れず、
私にも特別出演の話を持ってこられた。なんと義理がたい
ことか。
二人で『鹿の遠音』をデュエットすることに。
バイオリンや太鼓とのステキなオリジナル曲ばかりの
流れの中で、古典の『鹿の遠音』が、はたして空気を
ぶちこわさないか、心配ではあった。しかし、みごとに
“はまった”。すごく受けたようだった。万来の拍手。
終演後、彼の前にはCDを買ってサインを求める人が
延々長蛇の列をなし、その間、私の所にも、子供から
若い女性、年配の方が寄ってこられ、次々握手や写真撮影、
サインも求められた。
私の尺八人生の中で、こんなこと初めてである。
何か、時代が大きく変わる。尺八も見事に甦るような
予感を感じた日であった。ありがとう大河内淳矢君!
なんと西尾市の市民会館大ホール。1200席 満席。
尺八の個人リサイタルでは考えられない、前代未聞の
快挙。
とにかく、内容、出来栄え最高。こんな すばらしい、
すごいコンサートは未だかって観たことがない。
彼は19歳の時、私の所に尺八を習いに来た。そして
わずか数カ月後、彼の初舞台が、同じ西尾の市民会館
大ホールで、なんと『春の海』。西尾の尺八家の方々の
中に入れていただいての演奏だったが、当時すでに、
先輩方々を押しのけて、頭角を現していた。
私の所では、わずか2年だったが、古典本曲から、
琴古、都山、現代曲、クラシック、ポビュラー、演歌と、
私の持てるものすべてを教えた。
そしたら、20歳で尺八家を志して、東京へ行くと
言い出して、親をあわてさせた。当時、藤原道山はじめ、
同じ愛知県出身の岩田卓也君他、若手尺八家が次々登場して
きている中で、彼は性格が良すぎる。他人を押しのけて
前に出るようなタイプでないめ、プロとしてやっていけるのか、
私も責任を感じていた。
桐朋学園の日本音楽(尺八)科に入り、坂田梁山氏に師事、
先輩に野村邦山氏のご子息 野村幹人君がおり、水野利彦氏
との縁にもつながった。そして、同じ桐朋出身の新進気鋭の
バイオリニスト「山内達哉」氏との出会いによって、
彼なりの居場所をつかんだようだ。
あれから10年。ちらちらとYou-tubeでも見かけるように
なり、見守るだけの私だった。いずれ、名古屋で凱旋
コンサートを開いてあげねばと思っていた矢先、今回の
企画を聞いてびっくり。私では到底できない、大がかりな
もの。そして、わずか2、3年教えただけの私を忘れず、
私にも特別出演の話を持ってこられた。なんと義理がたい
ことか。
二人で『鹿の遠音』をデュエットすることに。
バイオリンや太鼓とのステキなオリジナル曲ばかりの
流れの中で、古典の『鹿の遠音』が、はたして空気を
ぶちこわさないか、心配ではあった。しかし、みごとに
“はまった”。すごく受けたようだった。万来の拍手。
終演後、彼の前にはCDを買ってサインを求める人が
延々長蛇の列をなし、その間、私の所にも、子供から
若い女性、年配の方が寄ってこられ、次々握手や写真撮影、
サインも求められた。
私の尺八人生の中で、こんなこと初めてである。
何か、時代が大きく変わる。尺八も見事に甦るような
予感を感じた日であった。ありがとう大河内淳矢君!