現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

梅雨明けか

2014-07-20 08:52:07 | 虚無僧日記
7/17も、虚無僧で出かけたら、ものすごい雷が鳴り、
はげしい夕立。7/!9も、出かけようとしたら雷と夕立。

止むのを待って、夕方5時から出勤。栄に立つ。
栄は、ここ数年で様変わりした。オフィスビルが
名古屋駅前に大量移動したため、ビジネスマンが居ない。
スナックも200店以上がつぶれたとか。代わって
「カラオケ」や「居酒屋」。「SKE48」もきて、
すっかり若者の町になってしまった。

20代前後の若者ばかりだから、虚無僧に布施する人
なんか全くいない。ここ10日の間に4回ほど来たが、
ゼロだった。しかし“絶対(ダメ)”はない。

若い、まじめそうなカップルが私の前に来て、じっと
尺八の音に耳を傾けてくれた。「お若いのに、めずらしい。
尺八興味ありますか?」と聞くと、二人して首を左右に
振る。「興味ないのに なんで?」と思っていると、
「僕たち、今度結婚するんです。今日二人で指輪を
買ってきました。その帰りに、尺八を聞いたのも、
よい記念になると思って」と。

男女二人が同じ思い、意見、同じ感性ということは
すばらしいことだ。普通は、男性が 虚無僧に関心を
寄せても、女性の方が腕を引っ張って連れてってしまう。

それならばと「お祝いの曲を。鶴は夫婦仲、親子の愛情、
とてもいい鳥ですから」と『鶴の巣篭もり』を吹く。

若者が往来する雑踏の中で、じっと耳を傾けて聞いて
くれたお二人さんに、心から感謝の祝福。お布施も
過分にいただき、私の方が感激。

“ケバ猫” 「戸川昌子」

2014-07-20 08:11:25 | 虚無僧日記
「戸川昌子」も「菅原洋一」と同じく 1933年生まれ。
12歳の時、終戦。東京大空襲で父と兄を亡くし、
戦後母との極貧生活。
そんな体験の中から這い上がり。今日シャンソン歌手として、
作家として 大御所的存在。

「美川憲一」が「若い頃からシャンソンを歌いたいと思って
いたが、シャンソンは人生経験を積んで、歳とってからで
ないと味がでない」と言われた」とか。

たしかに、今回の「パリ祭」でも、若いシャンソン歌手では
深みが無い。最後のトリが「戸川昌子」。そして若い男性が
戸川昌子の肩を抱くようにサポートしながら登場。その
若者が「戸川昌子」のことを「こいつ」とか 随分なれなれしく
暴言を吐いていたが、これが息子の「NERO」だった。

戸川昌子は 46歳で高齢出産。「生理が上がって、産婦人科に
行ったら『おめでとうございます』と言われて、『めでたくなんか
ないわよ!』と言い返し、医者をびっくりさせた」とか。
30~50人もの男遍歴で、当時も 3、4人の男と同時進行
だったから「NEROの父親は判らない」と言っている。

その「戸川」がラストに歌った歌。「ヴィアン・ムッシュ」は
娼婦のエログロな歌詞。放送禁止内容。観客も70、80代
だから聞ける。「女は、若ければいいってもんじゃない。顔
じゃない、テクニックよ。女は(生理)が上がってからよ~」と
のたまう ド迫力。

この歳(81)にして、おそろしい“バケ猫”ではない
“ケバ(い)猫”。ひとつの昭和の文化遺産だ。


菅原洋一 81歳の歌声

2014-07-20 05:40:06 | 虚無僧日記
「菅原 洋一」(1933年- )は 国立(くにたち)音大出の正統派歌手。
1965年に出した『知りたくないの』が80万枚を超えるヒット。
「NHK紅白歌合戦」に 22回連続出場。
1968年に『誰もいない』で「第10回 日本レコード大賞歌唱賞」。
1970年には『今日でお別れ』で第12回 日本レコード大賞」を受賞。
実に華々しい履歴の実力派シンガーだった。

千代田生命勤務時、「後援者招待会」で、ゲストに「菅原洋一」さんを
迎えたことがあった。当時すでに 第一線から退き、人気も低迷していたが、
腰が低く、優しい笑顔とトークは、好印象だった。

他の人気歌手は 概して、高慢で高飛車で、後味が悪い思いを
させられたものだった。

その「菅原洋一」さんも今年 81歳。とうに引退されていたかと
思っていたら、デビュー55周年で、「80歳からの歌声」として
「最小限の音飾で、生の歌声と生音の演奏を聞かせるニュー・
クラシカルコンサート」を 全国クラシックホールで行っているとか。

なるほど、80歳には80歳の“初心”。これこそ 世阿弥の
「その時々の“初心”を忘るへからず」なのだ。