現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「50音図」の配列の見事さ

2016-05-19 23:57:08 | 虚無僧日記

「アイウエオの50音図」は、誰でも知っているが、この他に

「濁音」として「がぎぐげご」「ざじずぜぞ」「だぢづでど」「ばびぶべぼ」

20文字。そして「半濁音」の「パピプペポ」の5文字がある。

合計75文字。

おっとその前に、「はひふへほ」は、全部 笑い声だ。「はははは、

ヒヒヒヒ、ふふふふ、へへへへ、ほほほほ」。 意識せずに自然に

口を開いて 洩れ出る 声。

「パビプペポ」となると、一旦唇を閉じてから破裂させる。

発声に不自然な力が要る。だからだろうか、この音から始まる言葉は、

現代の日本語には無い。韓国でも「ピョンヤン」、アイヌ語でも「ピリカ」と

あるのに、日本語の辞書には存在しない。あるのはすべて「外来語」である。

古代の日本語にはあったようだ。なぜ、現代の日本語では消滅したのか。

ちょっとした謎である。

 

さて「ばびぶべぼ」 は 「まみむめも」から発声されるという。

なるほど、「まみむめも」に漢字を当てると「馬 美 無 米 母」。

この漢字は「ま、み、む、め、も」とも読むし、「ば、び、ぶ、べ、ぼ」とも読める。

不思議ふしぎ・・・・・

 

さてさて、お次は「ガギグゲゴ」。この行は、汚い言葉が集まっている。

「我、蛾、疑、欺、偽、愚、下、外、誤」 だ。 もちろん「賀、雅、義

具、解、娯」も あるがのォ。

 

最後に 「カキクケコ」。 こちらは、現代の必需品。「カード、キャッシュ、

クオーツ、ケータイ、コンピューター」。なんで、こう 上手く 揃うのだろう。

こんな配列を古代の人が考えたとすると、すご~い。神の業だ。


母音、子音、では「父音」とは?

2016-05-19 23:56:45 | 虚無僧日記

母音と子音は誰でも知っているが、「父音」なんて聞いたことがない?

ネットで調べると、「父音」は「子音」のこと。つまり、母子」というより

「父母」の方が良かろうというので、「子音」を「父音」にしようという

のが散見される。

「小田野早秧(さなえ)」が解き明かした「光透波」理論は、「50音図」の

配列を見事に解き明かしている。

ア カ サ タ ナ ハ マ ヤ ラ ワ

イ キ シ チ ニ ヒ ミ  イ  リ イ

ウ ク ス ツ ヌ フ ム ユ ル ウ

エ ケ セ テ ネ ヘ メ エ レ エ

オ コ ソ ト ノ  ホ モ ヨ ロ ヲ

 

この「50音図」の配列は、誰が考えたか不明だそうだが、実に

見事に、理に適った秩序で 並んでいるのだ。

まず「母音は」、外国語では、「ア」でもいくつもあるのに、それを

「あいうえお」の5文字に限定したことがすごい。これぞ日本人の

省略の極意。(ハングルでも母音は10文字。サンスクリット語では

16もあるそうな)。

外国語では、「ア」だけでもいくつもある。

a, ā, i, ī, u, ū, ṛ, ṝ, ḷ, ḹ, e, ai, o, au, (a)ṃ, (a)ḥ 

「あい」は、英語では 「I=私」。そして漢字は「愛」。

「あいうえお」に漢字を当てれば「愛に飢えた男」。意味シンだ。

 

さて「光透波」理論では、この「50音図」の外にある「ン」が

音の根源。「根源音」とする。なるほど、唇を閉じて、声にならない

声の「ん」は、言葉の原点かもしれない。

そして、唇を少しだけ明けて発する音は?「ウ」列、「ウクスツヌ

フムユルウ」。そう、「ママ」とか「マンマ」は、赤子が最初にしゃべる

言葉だ。というわけで、母がいて、父がいなければ 子は生まれない。

この「ウクスツヌフムユルウ」を「父音」と定義している。

このような説は、他に聞かない。

そして、順番に唇を明けて、「オ」列、「イ」列、「エ」列、「ア」列となる。

音楽や詩吟、アナウンサーの発声練習は、唇を大きくあけて「ア」から、

徐々に閉じて、「あ-え-い-お-う」 と やっている。 この順に並べる

とすると、母音が右端、父音の「ウ」列が 最下壇で、残りが子音となり、

配列としては安定する。

ただ、口腔の中の支点、力点を考えると、「アイウ」と 「えお」は

ポイントが違う。それで「ウ」列が、5文字のセンターに置かれた。

「父音」が、50音図の 真ん中を貫く。まことに頼もしい構図ではないか。

 


漢字の不思議。「男女」に隠された意味

2016-05-19 23:55:15 | 虚無僧日記

「男女父母」に隠された「加減乗除」。

「男」という字には「田」の中に「+」が入ってます。

「女」という字には「-」が。そして

「父」には「×」。

「母」には、なんと「÷」が入っています。

男女は「+」と「-」。プラス・マイナス引き合って結婚。

そして「父親」の精子を、母親の卵子に かけて妊娠。

そして10月10日、 産道を割って赤子が産まれて来る

という意味が隠されているんですって。

 

そしてそして、生まれた「子」は、「了(おわり)」と「一(はじめ)」。

家系図の最後(終わり=末尾)であり、これからの未来の子孫に

とっては「はじめ=先祖」となる人です。


誕生の「誕」って、とんでもない意味

2016-05-19 23:54:27 | 虚無僧日記

漢字の勉強。

「誕生」の「誕」の意味を漢和辞典で調べてみてください。

最初に書かれているのが

 大げさなうそを言う。でたらめ。「虚誕荒誕妄誕
 あざむく。ほしいまま。わがまま
そして3番目に
3.子供が生まれる。「誕生降誕生誕」です。
 
なるほど、
生まれたばかりの赤ん坊。可愛いですね。
無垢ですね。天使のようですね。でも成長するにしたがって
親をてこずらす。困らす。手に負えないデビルになる。
判ります、わかります。
 

人は「あ」で始まり、「ん」で終わる

2016-05-19 23:53:34 | 虚無僧日記

「あいうえお50音」の、初めは「あ」。そして「ん」で終わる。

人の一生も、「おぎゃああああああ」と、第一声は「あ」で始まり、

最後は「ン」で こと切れるそうだ。

 

深呼吸、複式呼吸は、「吐くのが先か、吸うのが先か」?

人間、生まれるとまず、羊水を吐き出してから声を発する。

吐かなければ、空気を吸えない。そして、最後臨終は

「スーー----」と 息を吸って 死ぬそうだ。 だから「息を

引き取る」というのだとか。だから「吐いて、吸う」のが理に

適っているとか。

 

さて、お次は 漢字の不思議。

人は、ゼロ歳から成長し、「九十歳」で 「卆(=卒) 」。

 

「子」という字は「一」と「了」と書く。「はじめ」と「終わり」を意味している。

系図の最後に書かれるのが「わが子」。そして、「子」は また新たな血統の

「はじまり」なのだ。

 

「人の為」と書いて「偽り」。それは偽善なのだ。「情けは人の為ならず、

すべては、自分のため」と知るべし。

 

「裏」という字の中には 「表」という字が隠れている。つまり「表裏一体」。

 

 「奈良」の「奈」という字、「ダイ」とも「ナイ」とも読むそうな。

「大」であって「無」。「色即是空」の世界。もっとも「奈」という字を

分解すると、「大」と「=」と「小」。「大=小」なのだ。これぞ禅の悟り。

 

「幸せ」から「一」本引くと、「辛い」。「幸、不幸」は 紙一重。

「若い」という字は「苦い、苦しい」という字に 似てるわねぇ。

そんな歌がありました。

 

 

 


「人間」とは、本来は「社会」という意味

2016-05-19 23:51:36 | 虚無僧日記

幕末の僧「月性」の詩 『壁に題す』

 男児志を立てて郷関を出ず、

 学若し成る無くんば復還らず、

 骨を埋むる何ぞ墳墓の地を期せん、

 人間」到る処青山あり

 私の好きな詩だ。だが、最後の「人間至る所・・・・」の意味を

取り違えていた。

「人間(にんげん)」は 古語辞典では 「人の住むところ。人間界」とある。

読んで字のごとし。まさに「人の間」なのだ。

詩吟の流派によっては、「じんかん」と読ませているところもあるが、

古語辞典にも国語辞書にも「じんかん」では載っていない。

 

そしてそして「青山」とは「墓地」のこととは知らなんだ。

東京の「青山墓地」を思い起こして、なるほどと がてんしたが、

「青山」は江戸時代、郡上藩(岐阜県郡上八幡)の「青山家」の

下屋敷があったため、このあたり一帯が「青山」と呼ばれていたとか。

ここに、日本最初の公営墓地ができるのは明治になってから。

「青山」が「墓地」のことと知っていて、ここを選んだのか、

偶然か。

というわけで「人間至るところ青山あり」は、「人の住むところには

どこにでも墓地(死に場所)はある」という意味になる。

私は「青い山脈 のようなパラダイスがある」 と 想像していた。

 

ついでに、作者の「月性」は、西郷隆盛とともに 心中して死んだ僧と思って

いたが、あちらは「月照」でした。ああ 勘(間)違い。


吉野太夫と宮本武蔵

2016-05-19 08:56:39 | テレビ・映画・芸能人

5/14 「一路会能楽堂公演」。トリは、一絃琴と尺八で 『雪舞』。

これは吉川栄治原作『宮本武蔵』から「武蔵と吉野太夫」の一節を

題材に 眞道さんが創作されたもの。


「都 島原 雪模様、窓辺に夢の雪洞(ぼんぼり)が眉根けわしき ますらおの・・・・・・」

吉川栄治の原作では

三十三間堂で吉岡伝十郎を斬った武蔵は島原に逃げ込む。
そこで吉野太夫に匿われ、諭される。

吉野太夫は、牡丹の枯木を炉にくべて、武蔵に言う。

「あなたの所作やまなざしを窺っていると、今にも斬られて
死ぬ人のように見えてならないのです」と。

太夫は、弾いていた琵琶の胴を割って、中を見せる。

「琵琶の中は 空胴ですが、この胴の中にわたしてある横木。
この横木こそ、琵琶の体を持ち支えている骨であり、心臓でも
あります。なれど、この横木とても、ただ頑丈に真っ直ぐに
胴を張りしめているだけでは、音になんの変化も生じません。

変化を生むために横木には、このようにわざと 抑揚の波を
削りつけてあるのでございます。さらに、横木の両端を、
ほどよく そぎ取ってあるのです。

一撥打てば、刀槍も鳴り、雲も裂けるような、あの強い調子を
生む胴の裡(うち)には、横木の弛みとしまりとが、ほどよく
加減されているのを見て・・・。今宵のあなたの身の上に寄せて
考え合わせてみますと・・・・・・。 ああ、これは危ういお人、
張りしまっているだけで、弛みがない。もし こういう琵琶
ですと、音の自由とか変化はもとよりなく、無理に弾けば、
きっと弦は切れ、胴は裂けてしまうでしょう」

一絃琴の『雪舞』は「剣聖 しばし黙然と、腕組む長き影法師。
かくて更け行く中庭に、しず心なく風花が ひひと乱れる牡丹雪」

と名調子が続きます。それに私が尺八を添える。実に名曲です。

 

さてはて、ところで、吉川栄治は誰からこの琵琶の構造を聴いたのでしょう。

「糸はきつく張り詰めたら切れる」というのなら素人にも解りますが、

胴の中の横木の「弛み」というのは解せません。琵琶奏者の方に

聞いたら、「そんなしかけはない」とのこと。昔は有ったが今は

無いのか、摩訶不思議な話です。