「つげ義春」の漫画『無用の人』の巻末に インタビュー記事が
載っていた。タイトルは「乞食論」。その中で「無用者の先達」
として「教信」という坊さんの名が紹介されていた。
「教信」は「最澄、空海」の死後 3、40年。法然(1133 - 1212年)、
親鸞(1173-1262)より 300年も前の人。
生年は不確かだが、天応元年(781)生まれたと云う。藤原鎌足の
5世の孫とか、光仁天皇の後裔とかも云うが、多分に疑いあり。
興福寺の僧だったが、寺を出て諸国を放浪し、播磨国賀古郡の賀古駅
(かこのうまや)の北、(現 加古川市野口町野口)に草庵を結び、妻を
娶り子供も一人生まれる。旅人の荷物を運ぶ仕事で生計を立てていたが、
いつも西方浄土を念じて「南無阿弥陀仏」と唱えているので、
人々は彼を「阿弥陀丸」と呼んだ。僧にもあらず俗でもないので
「非僧非俗」の人。
貞観8年(866)亡くなるが、「自分は生前、生き物を食べているので、
体は鳥獣に供養したい」との遺言で、遺体は裏の林に捨てられ、
鳥獣の食い荒らすところとなる。
「教信」は「南無阿弥陀仏」の六字名号を常に唱える「口誦念仏、
称名念仏」の始祖となった。その庵の後には、現在「教信寺」がある。
「念仏宗」は「法然」「親鸞」に始まると思っていたが、それより
300年も前に、「教信」が居たとは知らなんだ。そして「つげ義春」が
その「教信」を「乞食・無用者の先達」として敬愛していることに
注目!
昨年、古本屋で見つけて買った「つげ義春」の『無能の人』。
捨てようか迷う。捨てる前にここに記録しておこう。
主人公の「助川」は「つげ義春」自身がモデルといわれる。
1991年「竹中直人」の初監督・主演で映画化されている。
主人公は、売れないマンガ家。マンガ家としては食べて
いけないので、「妻子のためにも、貧乏から脱出したい」と、
多摩川の「渡し人足」のようなことや、河原で拾ってきた
石を売る商売を始めたり、中古カメラの売買などを手がけるが、
何をやっても「ダメ男」。妻子にもあきれられ、バカにされる。
たまたま、以前書いたマンガの「原画」が3万円で売れ、
その金で、妻子を連れて温泉旅行に。といっても近場。奥多摩の
鉱泉の安宿。その宿の前に「虚無僧」がやってくる。
宿の主は喜捨しないようなので、子供に小銭を渡して
布施させる。その後の、風呂の中での夫婦の会話。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「虚無僧さんて 虚無の僧なのかしら」
「仏教に 虚無はないよ」
「由来はよく知らんけれど、乞食みたいなものだろ」
まあ、一種の無用者だな」
「どうゆう意味?」
「高度資本主義社会に機能しない無用の存在ってわけだ」
「役立たずの無用の人なのね」
「ははは、そうゆうことだな」
「あんたみたいじゃない!」
(しばらくあって、布団を敷いて寝る段)
「あんた 何を考えているのよ」
「虚無僧って儲かんのかな」
「虚無僧なんかなるのイヤよ!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは昭和60~61年にかけての作品。
バブルに影が見え始めた頃か。無能に徹する「つげ義春」の
生涯もまた壮絶。
この本を売っていた古本屋の主は、意外にも若い(30代か?)
男性だった。頽廃的な本ばかりを並べていた。
「“つげ”さんとか、ボクも大好きです。共感してくれて
うれしいです」と。
おいおい、まだ若いのに・・・・・・
「断捨離(ダンシャリ)」で、「1年以上使わなかったものは捨てよ」と。
断行する! 一年どころか、数年以上 使ってないものなどたくさんある。
もう何年も着ていない服、何十年も吹いたことのない楽譜。全部捨てた。
「いつか」は 絶対に無いとのこと。
二度と読まない本は、古本屋へ。お金にならない本ばっかり。売れずとも
処分してもらえればいい。
本棚も机も粗大ごみに出した。
どんどん捨てた。それでもまだ、ひと部屋が空にならない。
何も無くなれば、誰かに貸します。ルームシェアしませんか。
まだまだ 「無一物」には ほど遠い。捨てることがストレスになっている。