現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「念仏」は「教信」に始まる?

2016-05-23 20:18:43 | 虚無僧日記

「つげ義春」の漫画『無用の人』の巻末に インタビュー記事が
載っていた。タイトルは「乞食論」。その中で「無用者の先達」
として「教信」という坊さんの名が紹介されていた。

「教信」は「最澄、空海」の死後 3、40年。法然(1133 - 1212年)、
親鸞(1173-1262)より 300年も前の人。

生年は不確かだが、天応元年(781)生まれたと云う。藤原鎌足の
5世の孫とか、光仁天皇の後裔とかも云うが、多分に疑いあり。

興福寺の僧だったが、寺を出て諸国を放浪し、播磨国賀古郡の賀古駅
(かこのうまや)の北、(現 加古川市野口町野口)に草庵を結び、妻を
娶り子供も一人生まれる。旅人の荷物を運ぶ仕事で生計を立てていたが、
いつも西方浄土を念じて「南無阿弥陀仏」と唱えているので、
人々は彼を「阿弥陀丸」と呼んだ。僧にもあらず俗でもないので
「非僧非俗」の人。

貞観8年(866)亡くなるが、「自分は生前、生き物を食べているので、
体は鳥獣に供養したい」との遺言で、遺体は裏の林に捨てられ、
鳥獣の食い荒らすところとなる。

「教信」は「南無阿弥陀仏」の六字名号を常に唱える「口誦念仏、
称名念仏」の始祖となった。その庵の後には、現在「教信寺」がある。


「念仏宗」は「法然」「親鸞」に始まると思っていたが、それより
300年も前に、「教信」が居たとは知らなんだ。そして「つげ義春」が
その「教信」を「乞食・無用者の先達」として敬愛していることに
注目!


つげ義春『無能の人』

2016-05-23 20:06:03 | 虚無僧日記

昨年、古本屋で見つけて買った「つげ義春」の『無能の人』。

捨てようか迷う。捨てる前にここに記録しておこう。

主人公の「助川」は「つげ義春」自身がモデルといわれる。
1991年「竹中直人」の初監督・主演で映画化されている。

主人公は、売れないマンガ家。マンガ家としては食べて
いけないので、「妻子のためにも、貧乏から脱出したい」と、
多摩川の「渡し人足」のようなことや、河原で拾ってきた
石を売る商売を始めたり、中古カメラの売買などを手がけるが、
何をやっても「ダメ男」。妻子にもあきれられ、バカにされる。

たまたま、以前書いたマンガの「原画」が3万円で売れ、
その金で、妻子を連れて温泉旅行に。といっても近場。奥多摩の
鉱泉の安宿。その宿の前に「虚無僧」がやってくる。

宿の主は喜捨しないようなので、子供に小銭を渡して
布施させる。その後の、風呂の中での夫婦の会話。
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「虚無僧さんて 虚無の僧なのかしら」
「仏教に 虚無はないよ」
「由来はよく知らんけれど、乞食みたいなものだろ」
 まあ、一種の無用者だな」
「どうゆう意味?」
「高度資本主義社会に機能しない無用の存在ってわけだ」
「役立たずの無用の人なのね」
「ははは、そうゆうことだな」
「あんたみたいじゃない!」

(しばらくあって、布団を敷いて寝る段)

「あんた 何を考えているのよ」
「虚無僧って儲かんのかな」
「虚無僧なんかなるのイヤよ!」

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これは昭和60~61年にかけての作品。
バブルに影が見え始めた頃か。無能に徹する「つげ義春」の
生涯もまた壮絶。

この本を売っていた古本屋の主は、意外にも若い(30代か?)
男性だった。頽廃的な本ばかりを並べていた。

「“つげ”さんとか、ボクも大好きです。共感してくれて
うれしいです」と。

おいおい、まだ若いのに・・・・・・


「断捨離(ダンシャリ)」断行

2016-05-23 19:23:10 | 虚無僧日記

「断捨離(ダンシャリ)」で、「1年以上使わなかったものは捨てよ」と。

断行する! 一年どころか、数年以上 使ってないものなどたくさんある。

もう何年も着ていない服、何十年も吹いたことのない楽譜。全部捨てた。

「いつか」は 絶対に無いとのこと。

二度と読まない本は、古本屋へ。お金にならない本ばっかり。売れずとも

処分してもらえればいい。

本棚も机も粗大ごみに出した。

どんどん捨てた。それでもまだ、ひと部屋が空にならない。

何も無くなれば、誰かに貸します。ルームシェアしませんか。

まだまだ 「無一物」には ほど遠い。捨てることがストレスになっている。