一目上がり(ひとめあがり)落語
隠居の家に年始に来た熊五郎。
床の間の掛け軸に目を止めると、
笹っ葉の塩漬けのような絵が描いてあって、
上に能書きが書いてある。
これは狩野探幽の絵で雪折笹、
上のは能書きではなく
「しなはるるだけは堪(こら)へよ雪の竹」
という句を付けた芭蕉の「讚(さん)」だと教えられる。
大家さんの所に行き掛け軸を見せてもらう。
大家が見せたくれたのが根岸蓬斉の詩の掛け軸で、
「近江(きんこう)の鶯は見難し遠樹の烏は見やすし」
これは「詩(シ)」だと言われる。
今度は手習いの師匠の家へ。
師匠が出したのが一休の書で
「仏は法を売り、末世の僧は祖師を売る。
汝五尺の身体を売って、一切衆生の煩悩を安んず、
柳は緑花は紅のいろいろか、
池の面に夜な夜な月は通へども水も濁さず影も宿らず」
という長ったらしいもの。
「こいつはどうもけっこうなシだ」とほめると
「いや、これは一休の語(ゴ)だ」
「一つずつ上がっていきやがる。
三から四、五だから、今度は六だな」
と半公の家へ。
ここのは、何か大きな船に大勢乗っている絵。
「この上のは能書か」
「これは初春にはなくてはならねえものだ。
上から読んでも下から読んでも読み声が同じだ。
なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな。
めでてえ歌だ」
「こいつは六だな」
「馬鹿いえ。七福神の宝船だ」
落語はここまでですが、「じゅ(頌)」もあります。
両頭を切断してより後 尺八寸中古今に通ず
吹きい出す無住心の一曲 三千里の外知音少なし