現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

宇治市ウトロ地区

2017-09-24 21:28:42 | 一休と虚無僧

宇治市の伊勢田町に「ウトロ」地区というのがあるらしい。
陸上自衛隊の基地の北側だ。ここに戦争中、飛行場を造るため
朝鮮半島から強制連行されてきた人達の住宅が建てられ、今日
まで住んでいる住民と、土地所有者の間で訴訟になっていると
いう記事を目にした。事件は韓国の支援団体の寄付もあって
5億円で買い取ることで決着しそうとか。

この「ウトロ」というカタカナ地名が気になった。朝鮮語なのだ
ろうか。ウトロといえば、北海道の知床半島が有名だ。こちらは
アイヌ語で「地の果て=岬」という意味だそうだ。

伊勢田という地名も気になる。伊勢神宮のある伊勢市の名鉄駅は
「宇治山田」。宇治と伊勢の関係が知りたい。

というのは、宇治は昔から中国、朝鮮からの渡来人が多く住む所
だったらしい。お茶の産地で有名なのも、お茶が渡来人によって
栽培されたからだ。尺八もまた中国から伝えられたという。
室町時代以前、ここに「富家の庄」があった。「フケ」は中国の
福建省につながる。虚無僧の宗派を「普化(フケ)宗」という。
関係はあるのだろうか。

宇治には、室町時代、一休と同時代に、異国の僧「朗庵」が住ん
でいた。朗庵は尺八をよくした。朗庵の墓というのもある。朗庵
は、一休の尺八の友「一路」だという説もある。

近くには黄檗山万福寺がある。江戸時代に白隠禅師によって、中国
からもたらされた禅宗で、中国風の寺院が建っている。その塔頭の
一つに「吸江庵」があった。朗庵または一路の棲家だったという
伝説もある。

宇治と伊勢は、「吸江流一路」を名乗る私にとって、深い関わりの
ある土地なのだ。


一休大徳寺の住持就任の意義

2017-09-24 21:24:20 | 一休と虚無僧

水上勉と小椋圭によって、さんざん「エロ坊主」にされて
しまった一休さん。それでも「平気平気、気にしない」の
一休さんだろう。

一休の唯一の書『狂雲集』は、詩偈を集めたもの。その
最後の方に、大徳寺の住持となっての「入室」の語と
「退室」の語が続けて掲載されている。そのため、多くの書では
「一休は大徳寺の住持に就任しながら、就任式をすっぽかして
欠席した」とか、1日で住持の肩書きを返した。「三日坊主、
ならぬ一日坊主だった」などとしている。
水上勉の『一休』にいたっては、「森女が流産しかかって、
狼狽しまくって、大事な晋山式に行きたくとも行かれなかった」
などと創作している。とんでもハップン。

よく考えてみれば、その時、大徳寺は応仁の乱で焼失して
いたのだから、立派に飾られた本堂で、大勢の衆僧に
迎えられての きらびやかな就任式など 営めたはずはない。

『狂雲集』は、詩偈を集めて編集したものだから、就任時と
退任時の『法語』を並べて載せただけのことなのだ。

さて、そこには「入室」として「明頭来明頭打、暗頭来暗頭打」の
「普化禅師」の偈が書かれていた。
「退室」の偈は「尺八を弄していう、一枝の尺八、知音少(まれ)なり」。

この『狂雲集』の最後に掲載された一休の「法語」こそ、
「普化」の偈「明頭来」と尺八とを結びつけた最初のもので
あることに注目したい。

これが一休の死後、「普化僧=虚無僧」が現れる元となったと
私は考えている。尺八家にとって、虚無僧にとって、一休の
この「法語」は金科玉条のものとなるのだが、それに気づく者は
誰もいない。水上勉ののおかげで長らく、ぶっ飛んでしまって
いたのだ。