現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

牧之原城にて

2017-12-14 21:55:07 | 虚無僧日記

静岡県の島田市にある「牧之原城」に行ってきました。

表示には「諏訪原城路」とあって残念。

「諏訪原城」は甲斐の武田氏が占領していた時の名称。徳川家康がここを攻めとり、

牧野康親と牧野右馬允を城番にしたことから「牧野城」あるいは「牧野原城」と

改められた。

堀・曲輪・馬出など の遺構がはっきりと残り、戦国時代の武田氏・徳川氏の

築城様式を知る上で貴重なもの。

牧野氏は牛久保(現豊川市)の城主。徳川家康につき、各地を転戦。

子孫は越後長岡の城主牧野氏をはじめ全国に分布。

ところで、当家は「牧ノ原」から「牧原」姓となった。

現在、隣接する町が「牧之原市」となった。牧之原城は島田市にあって

牧之原市ではない。牧之原に城を建てるのが子供の頃の夢でござった。

夢破れて、虚無僧となって参上。尺八の音に見学に訪れた方がたが

「珍しいね」「タイムスリップしたかのよう」「時代劇から抜け出してきた」

と大喜び。カメラに収めてくれはった。

 

 

 


箱根神社の白磁の洞簫

2017-12-14 21:07:21 | 虚無僧日記

画像に含まれている可能性があるもの:室内

箱根神社に行ってきました。宝物殿に展示されている「白磁の尺八」を見に。

直径2cm程、長さ50cm程の細長い尺八?いやこれは、歌口の形、手孔前に5孔。

現在も中国で使われている「洞簫」でした。ちゃんと竹の節まで作られてます。

根っこのゴロ節までついてます。これだけの磁器は日本では江戸時代まで

作れませんでしたから、明らかに中国で作られたものです。

では、いつ、どこで作られ、どのようなルートで伝来し、箱根神社に奉納

されたものか、全く不明。謎です。

神社の解説文では「義経が静御前に形見として渡したものを、頼朝が取り上げ

箱根神社に奉納した」とのこと。「義経の尺八」というのは、あくまで伝承。

事実かどうかは?クエスチョン。

鎌倉時代のものならば、当時の中国は「宋」。禅宗、道教が栄え、書画、茶、

陶器類が日本にはいって来、大きな影響を受けた。また鎌倉時代の中頃から

「金」「蒙古(元)」に攻められ、多くの難民が日本に移住してき、多くの

文化を伝えた。薦僧もこの時代に宋から渡来したと思われます。