現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

虚無僧一路と 東洋一の茶園「牧之原台地」

2017-12-19 08:43:25 | 虚無僧日記

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、立ってる(複数の人)、山、空、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、立ってる(複数の人)、空、山、屋外、自然

明治元年(1868)徳川幕府は壊滅し、徳川慶喜は静岡へ。それに伴い

旗本、ご家人の多くも静岡へ移住し、殖産事業として牧之原台地の開墾

を手掛けます。しかし慣れない士族の農業は失敗に終わります。その後も

農民たちによって茶畑の開墾が進み、「東洋一の茶園」となります。

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 私が、慶応中等部を受験した時、社会の入試問題に「東洋一の茶園はどこか」

という問題が出、心中で「ヤッター」と感動しました。

「牧の原台地」と答えられる人は、今でも何人おられることでしょう。

もう一問は「会津若松に行くには何線に乗るか」という問題。当時は

東北本線で郡山で磐越西線に乗り換えでした。これも毎年会津の祖父母の

家に遊びにいっていましたので、正解。社会は ほぼ満点で、見事

53倍の難関を突破して慶応に入学できました。すべて「運」。

その「運」を呼び寄せる努力は必要と、子供の頃から思っていました。

 

その後、東名高速道路の「牧の原SA」もできたことから、牧の原の名は

知られるようになり、2006年「牧之原市」ができました。静岡空港もできます。

私(牧原)が その市長になるには、歳が行きすぎました。もう70です。