現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

コンピュータ尺八

2019-05-04 20:55:38 | 筝尺八演奏家

尺八二重奏曲「断層」(堀井小二朗)/堀井小二朗・宮田耕八朗  

https://youtu.be/yk-vag_QzAE

 私の師、堀井小二朗師も 60代の時、次々と若手尺八家が現われ、

時代にとり残されていく寂しさと苛立ちを感じていた。

 
堀井小二朗師は、昭和30年代に「尺八は尺八家に
よって滅びる。音程もリズムもいい加減な尺八では、
家族からも嫌われて当然。コンピュータのように、
ピッチもリズムも正確な尺八家が出てこないと、
尺八界に明日は無い」と言っていた。
 
その後、横山勝也、山本邦山、青木鈴慕の三本会、
7孔尺八の宮田耕八朗、村岡実等若手が台頭してきた。
その時、堀井師は、
「出てきちゃったんですよね、コンピュータ尺八が。
でも出てきてみれば、やたらテクニックを競うばかりで
心が無い。コンピュータ尺八には“魂”が無かった」と
一人つぶやいた。
 
昭和39年結成され一世を風靡した三本会や日本音楽集団の
活動も、堀井小二朗の目から見れば、「あんなもの
芸術じゃない」だった。
 
昭和39年、NHK/FMで「現代の邦楽」という番組が始まり、
NHKの委嘱で作曲され放送されたのが「竹の韻(ひびき)」。
若き青木静夫、宮田耕八朗、村岡実が参加、その中で第二楽章で
横山勝也氏が海童道曲の奏法を披歴し注目を浴びた。
この曲こそ尺八ブームの火付け役となった。
 
そして、昭和49年だったか、NHKから再び、堀井氏に放送依頼がきた。
その時の曲が「断層」。まさに若い世代との断層を曲にした。
堀井師にとっては、くだらないコンピュータ尺八に対する当てつけである。
そんなものなら、自分だって吹けると、ダブルタンギング、半音ずつの
上がり下がり、3オクターブを駆使し、まだまだ若い者(宮田君)には
負けはせぬという意地を見せた演奏だった。
 
そして、これを最後に、現代音楽ブームは下火となり、
NHKの「現代の日本音楽」という番組も終わった。
 
堀井小二朗師は、NHK/FM「現代の邦楽」(後に「現代の日本音楽」に
改め)の最初と最後を飾ったのである。

福沢諭吉の孫 堀井小二朗

2019-05-04 20:52:59 | 筝尺八演奏家

https://youtu.be/EDCpm2FFC5s

 

 

私の尺八の師、堀井小二朗は福沢諭吉の孫です。
 福沢諭吉の次男「捨次郎」の妾腹の子ですが、
福沢諭吉の孫の中で、最も諭吉にそっくりである。
母の姓の堀井小次郎が本名。尺八家としての名は
「堀井小二朗」。

京都に生まれ育ったが、父捨次郎の招きで慶応に
入り、大田区池上に広い土地と家を分与されていた。
明治生命に勤めたことがあったが、戦後ずっと
尺八家として通した。しかし、尺八で食べていく
のは、大変だったようだ。
昭和30年代、映画「二十四の瞳」や「宮本武蔵」
などの音楽を担当し、福田蘭童とともに、尺八界に
新境地を開いた。昭和39年NHK委嘱で、山川直春
との共作で『竹の韻(ひびき)』を作曲、芸術祭で
文部大臣賞に輝いた。この演奏に関わったのが、
横山勝也、青木鈴慕、宮田耕八朗、村岡実等、後の
尺八界をしょって立つ面々。指揮は杵屋正邦だった。


「雪おんな」アクセス500件超

2019-05-04 16:12:14 | 虚無僧日記

吟と語りの「雪おんな」が YouTubeにアップして2週間で

アクセス数 500件 を超えました。

詩吟と語りは このほど 全国大会で日本一となり、少壮吟士と

なった沢田房詠(千鶴香)。

構成、企画は 姫ローズ代表の 林鈴花

実は、姫ローズは わが 一路会 から 女性だけ分離して

林鈴花が 立ち上げたグループ。

一昨年4月 能楽堂の公演を前にして 代表の林鈴花が

クモ膜下出血で 倒れ、意識不明となり、急遽 私一路が

林鈴花の琴の代演を務めました。ぜひ聞いてください。 

 

 

https://youtu.be/xNYvidpFhJk

 

https://youtu.be/SUXo4I3Yr54

 


旭瀧の傍らに虚無僧の墓

2019-05-04 08:09:10 | 虚無僧日記

旭瀧の中腹の傍らに 虚無僧の墓と思われる6基の無縫塔があります。

虚無僧本曲「手向け」をYouTubeにアップしてありますので聞いてください。

「牧原一路 手向け」で動画検索

 

https://youtu.be/tKmzmzxI7pQ?list=UU9smcWYTYcuGwRL-gvkkbCw

 

 

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狩野川は「鮎の友釣り」発祥の地?

2019-05-04 08:00:12 | 虚無僧日記

伊豆の狩野川は「鮎の友釣り発祥の地」とか。

なんと 

大平にあった瀧源寺(ろうげんじ)の虚無僧「法山志定(1780年=安政9年没)が

発案したという伝承があるそうな。

法山という虚無僧が狩野川の畔で尺 八を吹いていた時、鮎が水中のあちこちで

餌場争いらしく尻ビレめがけ口を開けて攻撃しているのを目にし、

おとり鮎に掛 け針を付けて釣る釣り方を考案して、漁師に教えたとされる。

昭和36年の山津波で寺の建物や古文書がすべて失われ、史料などは残っていない。

地元の古老達により語り伝えられてきたことである。

 

法山没後50年後の天保3年(1832年)の古文書に

狩野川で 友釣りが盛んに行われ、梁(やな)漁で生計を立てていた漁師たちが、

「これでは税金も納められないので友釣りを禁止してほしいと代官所に訴え出、

願い通り禁止されたので、礼状をしたためた」という記録があるそうな。

 


伊豆半島一周の旅

2019-05-04 06:52:33 | 虚無僧日記

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令和元年最初の虚無僧の旅は伊豆半島一周。

最初に向かったのは修善寺の南、大平の旭瀧。

真東を向いており、朝日を浴びて輝くところから旭瀧。

(地元では「あさひだる」と呼ぶそうな)

全長105メートル。六段に落ちるので、各段それぞれに水の音が異なる。

瀧の麓に「功徳山瀧源寺(ろうげんじ)」という虚無僧寺があった。

瀧の中腹の傍らには、歴代住持(看主)の墓と思われる6基の無縫塔(卵塔)がある。

虚無僧本曲の「瀧落ちの曲」は、ここの虚無僧によって作られ伝承されたとされる。

瀧源寺は明治4年に普化宗廃宗により廃寺となり、寺の本尊であった木彫十一面観音菩薩立像と

木彫不動明王坐像の二体は近くの金龍院という寺に移され安置されている。

 

この金龍院は、北条早雲と葛山氏の娘との間に生まれた北条幻庵の菩提寺。

玄庵とその母、姉、妹の位牌がある。玄庵は幼い頃京都で育てられており、

茶や連歌に通じた文化人で一節切(ひとよぎり)の名手だった。

その影響で小田原北条家の家臣の多くが尺八を吹いた。

幻庵は90歳まで長生き(戦国武将の中で最長)。小田原北条家5代に

わたって生き、長老として君臨し、天正18年に小田原北条家が秀吉に攻められて

滅びる、その前年まで生きた。

 

関東の虚無僧寺の多くが、北条家の浪人によって作られたものと推察される。