現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

水戸黄門

2019-05-30 20:23:02 | Weblog

今朝の「朝起会」でのご本読みで「水戸黄門様も
子供の頃は不良少年だった」という話に、目が
覚めた。「天下の副将軍、水戸のご老公、黄門様」
こと水戸光圀は、正室の子ではなく、子供の頃は
自由奔放、粗野で行儀も悪く、異様な着物をまとい、
筝や三味線を弾いたり、遊郭通いもしていたとか。

それが「庶民の心が解る名君」になる肥やしだった
のかとも思う。時の将軍綱吉の「生類憐みの令」に
歯向かって、邸内に入り込んだ暴れ犬を殺させた
とも。

テレビの『水戸黄門』の初代は、東野栄次郎だった。
それまで彼は悪役専門の役者だったとか。私には、
「水戸黄門」といえば、東野栄次郎の印象が今でも
強く残っている。

外国では、「印籠」をふりかざして「これが目に入ら
ぬか」の一言で悪人共が平服するシーンは理解でき
ないそうだ。お上のご威光をふりかざす『権威主義』
だというのだ。

ところがどっこい、水戸黄門は徳川御三家でありながら、
将軍に楯突く存在だった。水戸光圀の『大日本史』編纂
事業が、尊皇攘夷思想を広め、それが徳川幕府崩壊を
導くこととなった。政権を放り出し、幕府を潰した最期
の将軍慶喜は水戸斉昭の子だ。

介さん角さんを従えての「水戸黄門漫遊記」が人気と
なったのは、明治になってからとのこと。“幕藩体制の
非を説いた正義の人”として喧伝する明治政府の思惑も
あったと知る。
 
 
 


渋沢からAleph のH.P.へ

2019-05-30 20:21:17 | 社会問題

「渋沢栄一と岩崎弥太郎」で検索してみた。
その一つ、「ビジネスマンとして成功するため
のヒント、渋沢栄一の道徳経済合一説」を見る。

岩崎弥太郎が、料亭に渋沢を招き、「郵船事業
で、手を組み、大いに儲けよう」 と 誘うと、渋沢は
「事業は公益のために行なうもので、利益は分配
されねばならない。一人の私利私欲のために行な
うべきではない」と突っぱねた。

などなど、話はわかりやすく面白い。読み進んで
いくと、孔子もキリストも「私利私欲に溺れること
を戒めている」と。釈迦も「捨てること」を説く。
なるほどなるほど、
そこから、原始仏教とヨーガに進み、瞑想によって、
「能力開発と願望成就」の力を得ることができる。

そして、ヨーガを体験した人たちの感想が述べられる。
「生きる力が沸いてきた。からだが軽くなった」
フムフム、みんな幸福そう。すばらしい!

ところで、このサイトはどんな団体が開いているのか?
トップページを開く。「Aleph」!?ゲゲゲのゲ。
これは「オウム真理教」ではないか。

「あぁ言えばじょうゆう」こと、上祐が名を変えて
続けている団体だ。そして今なお 若者が多く引き
込まれ会員になっているのだ。そのことに驚く。
 
 
 


渋沢栄一 1

2019-05-30 20:18:31 | 社会問題

「渋沢栄一」が新しい1万円札の顔になるとのこと。
数年前 虚無僧で埼玉県深谷市周辺を旅した時、
渋沢栄一の生家と「記念館」があって立ち寄った。

渋沢栄一は「幕臣で幕末にパリの万博に派遣され、
外国を視察、そこで学んだ知識を元に、明治になって
様々な企業を起こした人」位の知識しかなかった。
それが、元は、貧しい農民の出と知ってまず驚いた。

養子にはいった父が偉かった。藍を買い付け、染物家
に売るという商売で家を起し、藩の御用を務めるまで
になっていた。父の教育もあって、栄一も子供の頃から
商才を発揮した。
しかし、尊王攘夷の水戸学に傾倒し、また代官の横柄な
取立てに反発したこともあって、倒幕の義挙を起こそう
として失敗。幕府に追われる身となり、一橋慶喜の下に
転がり込む。慶喜は水戸斉昭の子であり尊王攘夷派と
みて頼ったのであるが、その、慶喜が、将軍になり、
栄一は不本意ながら幕臣になってしまう。そして夷敵
嫌いが、パリに派遣されるや、一転。西欧の文明社会
から多くを学び取って帰国。すると既に江戸幕府は亡び、
明治新政府の世に。渋沢栄一は、外国から得た知識を
基に、第一銀行初め、500も以上の企業や、早稲田、
日本女子大などの大学、600もの社会福祉団体の創立に
携わる。知らないことばかりで“へぇー”であった。