日の丸協会主催「歴史講座」で講演した内容です。
「今更聞けない」という質問にお答えします。
古事記・日本書紀とは?
681年に天武天皇が、歴史書の編纂を命令。
『古事記』は30年後の712年に、『日本書紀』は720年に完成。
記紀ともに奈良時代の現物は伝来せず、写本しか存在していない。
名古屋の大須観音(真福寺)が所蔵している『古事記』が現存する最古の写本と
認定され、国宝に指定されている。
『日本書紀』の写本は十数点現存していて、その一つは熱田神宮にある。
『日本書紀』完成から今年1300年。熱田神宮では所持する日本書紀(写本)
15巻を1月28日まで公開展示している。
『古事記』は、天皇の皇位継承の正当性を諸豪族に示す目的で、
『日本書紀』は、諸外国に向けて通用する正史として、漢文体で書かれた。
「記」は伝承記録、「紀」は編年体で書かれた歴史書を意味する。
『古事記』と『日本書紀』の比較
|
古 事 記 |
日 本 書 紀 |
依頼主 |
天武天皇 |
天武天皇 |
編纂者 |
稗田阿礼が記憶していた「帝紀」「旧辞」を口述し太安万侶が筆記 |
皇族(川島皇子他)や中臣大嶋ら官僚が豪族達の伝承を聞き取り、舎人親王が引き継ぎ上梓 |
編纂期間 |
約4カ月 |
約39年 |
成立年 |
西暦712年 |
西暦720年 |
巻 数 |
上・中・下 全3巻 |
全30巻+系図1巻 |
内 容 |
神代から第33代推古天皇まで 三分の一が神話 |
神代から第41代持統天皇まで 神話は6% 異説も掲載 |
形 式 |
物語的 |
編年体 記録を羅列 |
目 的 |
天皇家の正当性をアッピール |
対外的に日本をアッピール |
表 記 |
大和言葉に漢字の音を当てて |
漢文体 中国の文献・ |
「天 皇」 とは?
『古事記』では
「天皇」と表記されるのは、12代 景行、13代 成務、14代 仲哀、29代 欽明32代
崇峻の5人で「すめらみこと」と読んでいる。その他の天皇は「○○のみこと」。
『日本書紀』では、すべて「○○天皇(すめらみこと)」と書かれているが、
これは後世、書写された時に付け替えられたものと考えられている。
「天皇」の読みは「みこと」あるいは「すめらみこと」である。
「天皇」の称号が中国由来ならば、その読み方も中国読みに「てんおう」と
なるはずだが、「みこと」「すめらみこと」と日本語読みであることに注目。
なぜ 「すめらみこと」なのか。
その謎が解明された。結論を先に言えば「すめらみこと」とは「シュメールの高貴な人=王」。
天 孫 降 臨
天孫降臨(てんそんこうりん)とは、天照大御神(あまてらすおおみのかみ)の
孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)が、天照大御神の命を受けて、葦原の中つ国を
治めるために、天=高天原(たかまがはら)から降ったこと。
邇邇藝命(ににぎのみこと)は、天照大御神(あまてらすおおみのかみ)の孫
であるため「天孫」という。
「天孫降臨」の話は シュメールの神話と極似している。
シュメールは紀元前3800年~3000年、現在のイラクの南部・
ペルシア湾岸のデルタ地帯に都市国家を建設。高度な文明を築いたが、
その後突如として消滅する。近年、シュメールの文字(楔形文字)が
次々に発掘され、その解読が行われた。
シュメール神話は、「太陽系の10番目の惑星ニビルが地球に最も接近した
紀元前3800頃に、その星に住むアヌンナキと言う神々が地球上に降り立ち、
人間を作り、シュメールという国を興した」と。
これは、『旧約聖書』の創世記にある「神は自分たちに似せて人を創った」と
いう記述と同じ。
シュメール人は自分達の国を「キ・エンギ」と呼んでいた。「キエンギ」とは
「葦原の中にある国」。つまり『記紀』にいう「葦原之中津国」と同じ。
シュメール語と日本語は共通点が多い。
1.共に「膠着語(こうちゃくご)」である。英語や他の言語が、「I,my,me」と
格変化するのに対して、日本語とシュメール語は「私」に「私の」「私に」と
接着語(てにをは)を付ける。
2.シュメールの楔形文字は、漢字の形成とほぼ同じ過程を経て成立した。
日本でも同様の楔形文字(神代文字)が各地で見つかっている。
3.古代バビロニアの「日像鏡、月像の首かざり、武神のシンボルである剣」は、
日本の三種の神器と同じ。皇室の菊花紋は古代バビロニアの遺跡にも多く見られ、
これは太陽を象徴したもの。
4.「ヤマト」はヘブライ語では「ヤァ・ウマトゥ」=「ヤハウエの神の民」。
ヤハウエは太陽神=天照らす大御神(あまてらすおおみのかみ)
5.「ミカド(帝)」は「天から降りてきたガド族の民」という意味に当たり、
ガド族の始祖ガドの長男の名前は「ニェポン(ニッポン/英語ではジェッポン→ジャパン)」で
あったという。
イスラエルの失われた10支族
l 紀元前3000年、シュメール人が東方の果ての日本までやってきた?
l その後も中近東からの人口移入は絶え間なく続いていた。
l イスラエルの失われた10支族が日本列島にまでやってきた。
それが 起源前660年頃。神武天皇即位=日本建国の年に相当する。
紀元前600年頃まで、縄文人の数は5万人と推定されている。それが
紀元後(弥生時代)、イッキに100万人に膨れるのである。90万人は
渡来人ということになる。
古事記と旧約聖書の類似点
1.イザナギ と イザナミ
紀元前8世紀頃活躍したイスラエルの預言者にイザヤがいる。
イザヤは「イスラエルの民は滅び、流浪の末東の海の中の島に辿り着く」と
予言した。日本を生んだイザナギ、イザナミはユダヤ語でイザヤの子と言う意味。
ギは男、ミは女を意味する。
2.高天原(たかまがはら)
天孫族のニニギの尊が 高天原から 九州高千穂に降臨した。
イスラエル民族の祖アブラハムの故郷は、西アジアのダガーマ・ハーランと言う街。
ダガマ・ハーランから来た、すなわち「タカマガハラ(高天原)」である。
3.神武天皇
『古事記』に記されている初代天皇「神武」の名は「カム・ヤマト・イワレ・ビコのミコト」。
ヘブライ語で翻訳すると「(カム)人の上に立つ、(ヤマト)ヤハウエの神の子、
(イワレ)ユダヤ人、(ビコ)最初の子、(ミコト)高貴な人」となる。
初代天皇にふさわしい名である。
神武天皇が即位したのは紀元前660年とされ、その年が皇紀元年になる。
天武天皇はイスラエル民族がアッシリア帝国に敗れ流浪の民となった年を永遠に記録に留めるため、
初代天皇の名を「神武」とし、即位の年を紀元前660年にしたのではないか。
そして各天皇の寿命が、100歳以上と長いのは『旧約聖書』に準拠しているため。
なぜ、シュメール人やイスラエル人が東の果ての日本にたどり着いたか?
それは、太陽が昇る地を探し求めて、東へ東へと移動してきた。
彼らは太陽神ヤハウエを信奉する。
ヘブライの民にとって「約束の地カナン」は「葦の原」を意味し、
「東方の日出づる国」は ヘブライ語で「ミズホラ」と呼ぶので、
日本の古名「豊葦原(トヨアシハラ)ミズホの国」。
旧約聖書のヤコブの系図と、日本神話のニニギの記述は、驚くほど一致している。
古代日本及び天皇家は、シュメール、イスラエル、ギリシアナなどの文明や神話が伝承され、
それらから大きく影響を受けたものであると云える。
天皇と記紀神話
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