一休の父は北朝の「後小松天皇」だが、母は、南朝の忠臣
「楠木正成」の血筋。「楠木正行」の弟「正儀(まさのり)」の
孫娘。であるから、一休は南朝方からも担ぎだされる立場にあった。
その仲介をしたのが「森女」。「森女」とは「住吉の森の女」。
住吉神宮の神官「津守氏」の一族で、「王孫」とか「上郎」と
書かれているので「後村上天皇」の孫娘と思われる。
その住吉神宮は大徳寺と深い関係にあった。津守氏の一族の
者が大徳寺の住持になっており、また大徳寺の窓口として
明との交易で多くの収入を得ていた。
であるから、応仁の乱で焼かれた大徳寺を再建することは
住吉神宮の願いでもあった。
そこで「森女」が、薪村の一休を訪ねる。盲目の女性が
一人で薪村まで旅することなどできるわけがない。
「森女」は、住吉神宮の神官に付き添われて、一休を訪ねた。
輿の乗ってやってきたのだ。その時交わした“旧約”を一休は
無視する。その約束とは、一休が大徳寺の住持となって、
大徳寺を再建することだった。しかし、一休はそんな依頼を
無視する。
しかし、その後、応仁の乱の戦火は薪村まで及ぶようになり、
一休は堺の「住吉神宮」に身を寄せる。そこで「森女」に再会し、
「旧約」を新たにする。
一介の托鉢僧で生涯を終えようとしていた一休が81歳にもなって
「大徳寺の81世 住持」になったのは、住吉神宮の後押しが
あったからなのだ。