一休の没後まもなく弟子たちによって書かれた『一休和尚年譜』に、
「応永27年(1420) 一休27歳、夏の夜 鵜を聞きて省あり」と記されているので、近年の「一休」の物語や漫画本では、よく
「闇の夜に 鳴かぬ烏の声聞けば、生まれる前(先)の父ぞ恋しき」
の歌が載せられている。
『年譜』では「烏(からす)」ではなく「鵜(う)」になっている。
ただし「鵜」と書いて「カラス」と読ませることもあるそうな。
また、「父」ではなく「親」「母」というのもある。「前」は「さき」とも読む。
『年譜』にも、一休作と言われる1,000首ほどの「一休道歌」の中にも、この歌は無かった。
京田辺市の「一休寺・酬恩庵」で発行している『みちしるべ一休』には、
「一休が、烏の鳴声を聞いて“詠み人知らず”のこの歌を思い出して大悟したとある。
つまり、この歌は「一休が詠んだのではなく、その以前から人口に膾炙されていた」ということになる。
一休は「鵜の鳴くのを聞いて悟ったのに、“鳴かぬ烏”とは、逆におかしい。
一休は何をどう悟ったのかが、振り出しに戻ることとなる。
ネットでは、この歌は「白隠の作」というのもあった。
「白隠(1686 - 1769)」の法を継ぐ者(印可を受けた者)は50余人。その最初に「印可」を与えられたのは、なんと「お察(おさつ)」という女性。
「白隠」の親戚で「駿河国 原(現沼津)の庄司家の娘」。若い頃から信仰が厚く、利発であったため、ある日、白隠が「闇の夜に鳴かぬ烏の・・・」の歌を書いて、父親に持たせた。すると、それを見た彼女は「なんだ 白隠も この程度か」と言ったとかで、以来、寺に呼んで禅の公案を学ばせたとか。
「白隠」と言えば「隻手の手」の公案が有名。そして、この「鳴かぬ烏」も公案の一つとか。