水上勉と小椋圭によって、さんざん「エロ坊主」にされて
しまった一休さん。それでも「平気平気、気にしない」の
一休さんだろう。
一休の唯一の書『狂雲集』は、詩偈を集めたもの。その
最後の方に、大徳寺の住持となっての「入室」の語と
「退室」の語が続けて掲載されている。そのため、多くの書では
「一休は大徳寺の住持に就任しながら、就任式をすっぽかして
欠席した」とか、1日で住持の肩書きを返した。「三日坊主、
ならぬ一日坊主だった」などとしている。
水上勉の『一休』にいたっては、「森女が流産しかかって、
狼狽しまくって、大事な晋山式に行きたくとも行かれなかった」
などと創作している。とんでもハップン。
よく考えてみれば、その時、大徳寺は応仁の乱で焼失して
いたのだから、立派に飾られた本堂で、大勢の衆僧に
迎えられての きらびやかな就任式など 営めたはずはない。
『狂雲集』は、詩偈を集めて編集したものだから、就任時と
退任時の『法語』を並べて載せただけのことなのだ。
さて、そこには「入室」として「明頭来明頭打、暗頭来暗頭打」の
「普化禅師」の偈が書かれていた。
「退室」の偈は「尺八を弄していう、一枝の尺八、知音少(まれ)なり」。
この『狂雲集』の最後に掲載された一休の「法語」こそ、
「普化」の偈「明頭来」と尺八とを結びつけた最初のもので
あることに注目したい。
これが一休の死後、「普化僧=虚無僧」が現れる元となったと
私は考えている。尺八家にとって、虚無僧にとって、一休の
この「法語」は金科玉条のものとなるのだが、それに気づく者は
誰もいない。水上勉ののおかげで長らく、ぶっ飛んでしまって
いたのだ。
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