グレゴリオ聖歌の『クレド』と『六段』が「全く同じ」とい皆川達夫氏の説に、私は「全く納得できない」。
You Tubeで「クレド」を検索してみた。いくつか聴くことができる。
楽譜もアップされているが、五線譜ではない「四線譜」だ。
http://www.youtube.com/watch?v=7YYK1GfsnWY&feature=fvwrel
http://www.youtube.com/watch?v=bR9NF905nJk&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Yja0Tp_TCPA&feature=related
最初のメロデイは「ラソファ ミレドレ」。これに「六段」の「ラ-ソミミ-- ミレミ-レ シ♭ レミ」が合うとは、理解できない。
「長さがピッタリ合う」と言うが、そもそも1600年頃の『六段』が今と同じとはいえない。『六段』の原型かと言われる琉球の『六段』は、雅楽と同じ「呂旋法」(ソラシドレミファ)であるし、八橋流の『六段』は、全部で「9段」に分かれているので、長さも違うのだ。
私としては、近世の「平調子」が、グレゴリオ聖歌から移入されたということは判る。では「平調子」とは なんぞや?
お箏(こと)の調弦の一つで「ミ ファ ラ シ ド」の「5音階」でとる。これは「都節」などとも言われ、「詩吟」の音階と同じ。
「詩吟」は「ミファラシド」の5音だけで吟じるが、では筝曲もそうかというと、違う。『六段』では、絃を左手で押して、半音、さらに1音上げた音が出てくる。結局「ミファソラシドレ」の7音階なのだ。さらに「ファ♯」も使われる。
これが、邦楽では革命的だった。それが「八橋検校」の創案とされてきたが、「いや、西洋音楽からの影響だった」というのなら 理解できる。
だが この説も、1614年生まれの「八橋」が成人した時にはすでに キリシタン弾圧の後である。隠れキリシタンが地下に潜伏して 聖歌を歌い継いでいたかもしれないが、それを聴くことができたかは 疑問なのである。
論点が少しずれるかもしれませんが、六段の調べは、ミファラシドの平調子、5音音階で出来ています。五六七八九がミファラシドです。
それで、押し手で1音や半音上げているのは、押し手によって、同じ陰旋法の雲井調子、中空調子などに転調しているんです。お箏の転調は、柱を動かすだけでなく、こうして押し手によってもなされます。例えば七、八、九を例に取れば、平から雲井に転調する時は、八を半音下げ、九を一音上げます。これを、七と九の掛け押しで表しています。七を弱押しで半音上げて、八の半音下がりの音を出し、九を強押しで一音上げる事で、あるフレーズだけ雲井調子にし、完全5度移調しています。六斗の弱押しの箇所は中空です。
したがって、六段の調べは陰の5音音階で構成されています。七音音階ではありません。