現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

深谷福正寺

2021-11-29 15:44:34 | 虚無僧って?

長野業政の配下に「湛光風車」率いる普化僧集団が
間諜として暗躍していた根拠として、長野氏の居城
箕輪(現高崎市)には慈上寺(石上寺)という虚無僧寺
があった。また隣りの埼玉県深谷市にも福正寺という
虚無僧寺もあった。

虚無僧で埼玉県の深谷を廻った時、名刹国済寺を
訪ねた。町名も「国済寺町」で、境内も広い。
今は臨済宗南禅寺派だが、元は「法燈派」だったと
いう。虚無僧が普化宗の日本開祖と仰ぐ法燈国師
覚心が開いた紀州由良の興国寺の末寺ということだ。

この国済寺に『福正寺縁起』なる古文書が保管されて
いる。なんと、福正寺は「応永年間(1400年頃)に
普化宗の寺として再興された」と書かれているのだ。

深谷市の史誌に堂々と掲載されているのだが、これが
事実なら、深谷の福正寺は、由良興国寺が普化宗(=
虚無僧)と関係があったことを裏付ける最古の史料となる。

しかし疑問が多い。応永年間に再興されたのに、二代
首座が宝永元年(1704)寂だから、300年間空白なのだ。

つまり、この『福正寺縁起』は由良興国寺を普化宗の
本山とした江戸時代後半に作成されたものと私は断定
したい。これについて深谷市の教育委員会や郷土史家
からの反証を期待したい。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。