現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「法竹」「虚鐸」は 尺八にあらず?

2016-02-08 18:42:50 | 虚無僧日記

最近、3尺(90cm)前後の「超長管・地無し管」がブームに
なっている。特に外人は背も高く、手も長い。肺活量もあり、
超長管を好む。「禅の音楽」として超人気なのだ。

「これは尺八にはあらず。“法竹(ほっちく)”である」とか
「虚鐸(きょたく)」と、わざわざ 尺八と区別して呼んでいる。

「尺八の原型」とか「古典尺八」などと説明されているのを見ると、
私としては「?」である。2尺5寸を超える長管は 江戸時代には
存在しなかった。戦前「最後の虚無僧」と呼ばれた「谷狂竹」が
2尺4寸管を吹いて注目を集めた。谷狂竹はそのため、師の宮川如山から、              「破門宣告」されたとか。破門されても、師弟のつきあいは続いて                     いたとも。その系統の「西村虚空」が超長管を吹き、これを「虚鐸」と名づけた。

1954年 有楽町の日本倶楽部で行われた「東京文化人の集い・
西村虚空の竹を聞く夕べ」で、集まった文化人たちから
「尺八とは全く似ても似つかない。長さも長く、尺八と
音も違う。何か竹本来の…というような名称をつけたら
どうか?」と言われ、普化禅師の故事から「虚鐸」にしようと
決めたとか。つまり「虚鐸」は 戦後の造語。


「虚鐸」という言葉は、江戸時代に書かれた『虚鐸伝記
国字解』に拠るものと思われる。

「普化禅師」が打つ「鐸」の音を、張参が尺八で模したので
「虚鐸」というなどと書かれたのが初見。でも唐代の尺八は
1尺3寸前後と短かったはず。「鐸」は「銅鐸」というように
「木槌」で叩く小さな「鐘」。音はカ~ンと高く響くはずである。

今日、西村派が超長管で吹く本曲は、「鐸」ではなく「釣鐘・
梵鐘」の響きの如くである。だから、長く低音を響かせる長管を
「虚鐸」というのには、私としては「?」なのである。
まだ「巨竹(きょちく)」の方が理解しやすい。


さて、もひとつ「法竹(ほっちく)」は「海童道宗祖」が
言い出したもの。これも戦後の造語。尺八は琴三味線と
合奏したり民謡などの伴奏に使うため、中に地漆を入れ、
さまざまな調整がされている。

これに対して、「法竹」は、自然の竹の節を抜き、手孔を開けた
だけのシンプルなもの。中は地漆で調整しない「地無し管」で
「海童道」の哲学を修得するための修行の道具であることから、
「海童道」の信奉者は「尺八ではなく法竹である」と言い張る。

というわけで、「虚竹」や「法竹」の方が、尺八の改良形で
戦後のニュースタイルなのである。



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