8/31 中日新聞 五木寛之『親鸞』
親鸞は「もの心ついた頃から、ずっと心に闇を
感じて生きてきた」という。
「母と子を捨てて家出をした父をうらみ、いつも
けわしい目をしていた母をおそれ、伯父の家に
預けられて居候の身をはずかしく思い、弟たちを
足手まといと感じる自分を憎んだ」と。
そうか、親鸞はコンプレックスの塊だったのだ。
比叡山に登っても、身分の高い学生(がくしょう)を
ねたみ、荒々しい堂衆や僧兵らをうとんだ。
親鸞は、エリートではなかったから出世の道も
閉ざされていた。といって僧兵にはなれない。
自分に絶望していた時、心は黒々とした まっ暗闇の
中にあった時、法然に会い、月の光に照らされた
ような心持になった。
「月が照ったからといって、背負っている荷物が
軽くなるわけでもない、遠くに横川の燈が見えた
からといって道のりが近くなるわけでもない。
だが、私は、歩きだすことができた」
なるほど。念仏は「月」のようなものか。
親鸞は「もの心ついた頃から、ずっと心に闇を
感じて生きてきた」という。
「母と子を捨てて家出をした父をうらみ、いつも
けわしい目をしていた母をおそれ、伯父の家に
預けられて居候の身をはずかしく思い、弟たちを
足手まといと感じる自分を憎んだ」と。
そうか、親鸞はコンプレックスの塊だったのだ。
比叡山に登っても、身分の高い学生(がくしょう)を
ねたみ、荒々しい堂衆や僧兵らをうとんだ。
親鸞は、エリートではなかったから出世の道も
閉ざされていた。といって僧兵にはなれない。
自分に絶望していた時、心は黒々とした まっ暗闇の
中にあった時、法然に会い、月の光に照らされた
ような心持になった。
「月が照ったからといって、背負っている荷物が
軽くなるわけでもない、遠くに横川の燈が見えた
からといって道のりが近くなるわけでもない。
だが、私は、歩きだすことができた」
なるほど。念仏は「月」のようなものか。