「瀬戸内寂聴」さん
「放浪について。孤独の相に生まれて・・」
『放浪について』という随筆を1969年(昭和44)、49歳の時、『群像』5月号に書いているそうな。
「70年安保」で世の中騒然としていた頃だ。大学もバリケード封鎖されていて授業など無かったから、私も虚無僧で北陸を廻ったりしていた。
その頃「瀬戸内寂聴」さんは、執筆に追われ、眠る閑も無いほど多忙を極めていたという。そして「放浪」への憧れはとみに強くなっていき この翌年 出家している。
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「私には家はあっても家族はなく、私の袖を引き止める肉親もいない。心に繋(つな)がる断ち難い煩悩の絆はあっても、その絆の強さゆえに、放浪への憧れも、日々強力になりまさる。
恩愛の情の薄いものが、肉親や愛欲を捨てやすいのではない。
人恋しさの物狂おしさのゆえに、放浪の旅に出たいのではないか。
行方も定めぬ無目的の終わりのない旅。風に背を押されひたすらに歩く。その旅に終わりがあるとすれば、地図にもない野原の芒(すすき)の中で、ひっそりと
野ざらしになっていることだろう。
この随筆の終わりに私(寂聴)は書いている。
『芸術家は本来、放浪の性を持つべきではないか。芸術家が一つの家庭にしばりつけられ、一人の妻やその女の生んだ子どもたちの恩愛にしがみつかれていていいものだろうか。安穏で平和な家庭と芸術の女神は性が合わないはずだ』
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『芸術家は放浪の性を持つべき』。なんと私の自己弁護に後押ししてくれることよ。私も子供の頃から放浪癖があった。家族にも知られず、ひっそりと野に朽ち果てるのを美学としている。しかし、まだ死ねない。「瀬戸内寂聴」の如き残す名も実績もない。まだまだやるべきことがある。
「日暮れて道遠し」。
「瀬戸内寂聴」さん、今年93歳。
「生きて帰れぬ放浪の旅には一向に出発しそうにもない」と。