今日12月8日は「真珠湾攻撃、太平洋戦争開戦記念日」だというのに、テレビ、新聞では、そのような話題は、今年も出ませんでした。
実は私も忘れるところでしたが、今日は私の父が出征した日でもあります。父は昭和16年4月に慶応を卒業し、東京電灯(現東京電力)に入社し、8月に故郷の会津若松第65連隊に入営。そして12月に中国へ送られたのでした。それから5年、満州から北支、中支と転戦し、幾度が死線を越えて、昭和21年生きて帰れたことが奇跡でした。
私も子供の頃は、戦争映画を見ると“血湧き肉踊る”軍国少年でした。
でも今戦争の真実を知ると、“あの戦争は何だったのか”と、怒りと涙がこみあげてきます。
生きて帰らぬ身となった300万人の犠牲者の3分の2が餓死か病死。移動中や訓練中の事故死、上官の過酷なイジメ、そして自決だったというではありませんか。敵に殺されたのではなく、軍隊という組織に殺された。沖縄県民の大半も日本軍という身内に殺されたも同然。情け無い。
先日12月2日NHKラジオ「今日は何の日」で「伝説の巨人軍ピッチャー沢村英治が昭和19年(1944年)フィリピンに向かう途中で輸送船が撃沈され“戦死” 27歳だった」とのこと。無念極まりない。
多くの犠牲の上に今日の「平和で豊かな日本」があると思えばいいのでしょうか。しかし、その代償の大きさが忘れかけられていることが嘆かわしい。