現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

戦場体験を語る会

2007-08-07 21:28:34 | わが家のこと
今日(8/7)の中日新聞に「戦場体験を語る会」の記事が載っていた。
戦争体験者で生存者は40万人ほど、これまで1,700人から戦場体験の
証言をビデオに収録してきたと云う。来月9月21日東京日比谷公会堂で
集会を開き、50人の元兵士が体験を語るそうだ。主催は「戦場体験
放映保存の会」東京都渋谷区。

体験記などの資料も求めているという。私の父は昭和16年から21年まで
中国戦線に駆り出され戦ってきた。過酷な運命と戦ってきたのだ。父は
戦争の話を一切しなかったが、定年退職後に『従軍記』を書き残してい
た。父の葬儀の後、遺品を整理して見つかった。軍隊の時の教本や、日
章旗なども大切にしまわれていた。

今私は『日中戦争従軍記-牧原五郎』というブログを開いて、父の書き
残した記録を入力している。「未曾有の体験」を後世の人のためにと
書き遺した父の思いを、こうしてインターネットで公開し、多くの人に
読んでいただけることで、父の気持ちに報いることができるかと思う。
この『従軍記』のコピーを「戦場体験放映保存の会」にも贈りたい。





被爆の恨みを捨てて超能力を得る

2007-08-06 21:06:57 | Weblog
広島の平和記念式典で、小学校6年山崎菜緒さんの「平和への誓い」。

 自分の受けた苦しみを他人にぶつけても、何も生まれない。憎しみや
 悲しみの連鎖を、自分のところで断ち切る強さと優しさが必要、と。
 

実践倫理宏正会の創始者上廣哲彦師も「アメリカを恨まず」与えられた
試練をあるがままに受け入れて、より良く生きる道を説かれた。

「ツキを呼ぶ100の法則」に「恨みや怒りを捨てると、天からご褒美を
いただける」と、その通りに、上廣哲彦師は超能力を授かったようだ。

自身、重い原爆症から奇跡の生還をしただけでなく、手足、目、耳の
障害を持つ人に、手を触れるだけでその障害を治したという。
しかし、やがて「病を治すのは自分自身。他人の力に頼るのではなく、
心の清めで病も治る」と、正しい倫理の道に沿って生きることを説いた。

真如苑の開祖伊藤真乗師もそうだ。仏に仕える道に立ったとたん、
二人の子どもを病で亡くす。神仏を恨み呪うところであるが、その悲しみ、
そして投獄されるという法難にも耐え、厳しい修行の結果、多くの人の
障害を治す力を得たという。車椅子で来た人が帰りは歩いて帰った、目が
見えなかったのが見えるようになった、そのような話は数多い。しかし、
それが目的で入信することはきつく戒められている。ご利益を当てにする
信仰はダメで、あくまで心の修行をした結果と、とらえなければならない。

心のありようで病も治る、家庭の愛和、和合で人生のさまざまな問題も
無事、平常心で乗り越えられる。というのが、両者に共通する学びだ。

8月6日原爆記念日

2007-08-05 20:51:23 | Weblog
今日は特別の日、三ヶ所回る。
まず早朝5時、(社)実践倫理宏正会主催の「朝起会」。
創始者の上廣哲彦氏は広島で被爆しながらも、アメリカを恨まず、現実を
あるがままに受け入れて、力強く生きる道を説かれた。日の出とともに起き、
大自然に感謝、そして次の五つの誓いを唱和する。

  今日一日 三つの恩を忘れず 喜んで進んではたらきます
  今日一日 人の悪を言わず  己の善を語りません
  今日一日 気付いたことは  身軽に直ぐ行います
  今日一日 腹を立てず    不足の思いをいたしません
  今日一日 三つの無駄を排し 新しく大地に生き貫きます

宗教、政治とは無縁のはずだが、自民党、民主党の先生方も多く出席される。

8時~中村区米野の円福寺にて「平和の鐘つきと平和の集い」
  これは共産党系の年金者組合の集い。憲法9条を守る会も加わる。
  保守系、革新系双方から呼ばれている私である。まさに一休の両頭切断、
  右にも左にも偏らない生き方だ。
 
10時半~ 真如苑で法要
  こちらは真言密教系の新興宗教、今日は、創始者の妻摂受心院の命日に
  も当たるため、原爆被災者あわせて諸霊の供養が行われる。東京から
  私の導き親である太田秀夫氏もわざわざ名古屋まで来てくださる。頭が
  下がる。真如苑は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の教えだ。



 

一路の公演予定

2007-08-05 19:43:37 | 今後の予定
今後のスケジュール

8/15(水) NHKFM「秋の曲」録音 筝:梶田昌艶、小島いそえ 
       16:00~一路宅にて公開レッスン 
       17:00~桐朋音大に通う大河内淳也君を囲んで歓談

  16~18日 虚無僧の旅 京都

  20(月) 13:00~14:30 北区生涯学習センター(黒川)
       『一休と尺八』講演

  26(日) 10:00~16:00 港文化小劇場 関西吟詩Cブロック大会伴奏
       

9/ 2(日) 15:00~15:30 中川文化小劇場 ビクター歌謡祭 ゲスト出演

   3(月) 11:00~11:30 NHKFM「邦楽のひととき」『秋の曲』放送
   4(日) 5:00~ 5:30 NHK 再放送

  16(日) 13:00~14:30 植田一本松生協「一休と尺八」公演 琵琶:林旭紅

  17(月) 13:00~15:00 西北地区合唱団交流会 北区医療生協「若葉の里」

  27(木) 19:00~20:00 伊勢神宮外宮 勾玉池 観月会奉納演奏

  30(日) 20:00~16:00 港区港湾会館 愛知県吟詩舞道連盟 伴奏

10/ 7(日) 10:00~16:00 美和町文化会館 詩吟伴奏

  20(土) 18:00~20:00 津市分部本願寺観月会 一絃琴:荒井真道

11/ 3(金) 13:00~14:00 東区建中寺 歩こう文化の道主催イベント
            『一休と尺八』 

名城公園で野宿

2007-08-05 09:05:32 | 虚無僧日記
昨晩は久々に名城公園で野宿した。台風が過ぎたとはいえ、
蒸し暑い。草木も夜露で濡れ、着物もビッショリ。小屋がけ
しているホームレスの人たちも大変だろう。

ここは私の虚無僧の旅の原点。会社勤めの時は尺八を吹く
時間もなかったから、退職してまもなくは、毎朝ここに来て
尺八の練習をした。ホームレスの人たちとも親しくなった。

大徳寺の開祖大燈国師は名門赤松の出でありながら、加茂の
河原で20年乞食とともに生活し、花園天皇に見出されて、
紫野に寺地を賜ったのだ。乞食行は虚無僧の原点。

なかなか眠れない。ようやく夜明け間近、まだ暗いうちから
カラスが啼き始める。一休も琵琶湖のほとりで一晩泣き明かし、
未明にカラスの啼く声を聴いて悟りを開いた。「人はどこから
来てどこへ行くのか=洞山三頓棒」の命題に答えを見つけたのだ。

今朝は台風の後の蒸し暑さのせいか、ジョギングに来る人の
数もまばらだ。尺八を吹きながら、頭は朦朧としてくる。
幻覚が襲う。

気がつくと一人の男性がまっすぐこちらに向かってくる。
「ご迷惑ですか」と尋ねると「いや、あまりにすばらしいもので、
聞かせていただいています」と。

次は、はるか向こうで老人が、こちらを見て何か合図をしている。
深々と一礼して詩吟を始めた。詩吟の伴奏は得意中の得意。すぐ
尺八で合わせてあげた。一曲終わると、また最敬礼。
三曲ほど合わせると、深々とお辞儀をして去っていかれた。

ご婦人が足早に近づいてきた。「なんてステキな音色でしょ。
初めて聴いた」と興奮気味に声をかけてくれた。
公園の朝は気持ちがいい。いろんな人と自然に交流ができる。
都会のオアシスだ。




H19.9/3(月)NHKFM「邦楽のひととき」

2007-08-04 22:38:13 | 今後の予定
毎週月曜日の午前11時~11時半、NHKFMラジオ「邦楽のひととき」。
邦楽家にとって、ここに出られることがステータスとなっている。
私は東京で2回出演しているが、名古屋に来て、筝の梶田昌艶先生に
見初め(みとめ?)られて、これで5回目の録音放送となる。通算7回目。
(昨年はモスクワに行っていて出れず。一回逃した)。今までの曲は

「春の曲」「宇治巡り」「楓の花」「千鳥の曲」そして今回は「秋の曲」

この番組は古曲専門なので、箏曲、地歌のみである。古曲なのだが、
梶田先生は、常に新しさを吹き込む努力をされる。一作年の「千鳥の曲」
は斬新だった。原曲を残しながら、そこに新しい手を加えて、一般の人が
聴いても楽しめる内容となった。

それに応えて、私の尺八も従来の楽譜にこだわらず、自由無碍に吹く。
まだ作譜中だが、録音は15日(水)放送は9月3日(月)午前11時~11時半。
ご期待くだされ。

米良美一の「よいとまけ」

2007-08-04 21:11:56 | Weblog
NHK「ラジオ夕刊」で米良美一の話を聞いた。
「もののけ姫」で一躍世に出たカウンターテナー(裏声と地声を
使い分ける)歌手である。天使の声のイメージとは裏腹に、その
半生は悲惨でみじめだったという。

生まれは、宮崎県の西都市の山の中。それこそ「もののけ姫」に
出てくるような生活。猪の肉も食べた。それに加えて、米良は
先天的に骨がもろく、すぐ骨折する難病で、背も伸びず、車椅子
に乗って養護学校に通う少年だった。それでいじめにも遭い、
ずいぶん人を恨み、世をのろったという。

それが、宮崎勉に見出され、大ヒット。
今度は「天使の声」という作られたイメージに沿うべく、障害者
であることを隠して、美しい自分を演じ続けなければならなかっ
た。それに疲れ、また障害や“おかま”であることをあくどく中傷
する記事も出て、声が出なくなり、悩み苦しんだという。

「もののけ姫」から10年。苦しんだ末に、「一切の自分をさら
け出し、ありのままを受け入れよう」と悟り、母の姿と重なる
「よいとまけ」をリリース、CDと「生きながら生まれ変わる」
という本を出した。現在36歳。

知られざる半生に驚かされ、そして流れた「よいとまけ」の歌に
心を揺さぶられた。圧巻である。「カウンター・テナーを技術的に
できる人はたくさんいるでしょうが、歌はその人の生きてきた
生き様、人生観に裏打ちされるもの」という言葉通り、「女性の
芯に秘めた強さのようなものを歌で表現していきたい」と。

私の尺八にも相通ずるものがある。尺八で「もののけ姫」をもう
一度メニューに取り込もう。歌の世界の流行も烈しく、今の子ども
たちは全く知らないが、“尺八の曲”として米良さんの思いを伝え、
広めていきたい。
                 

にっぽんど真ん中祭り

2007-08-02 10:05:39 | Weblog
今年も8月25、26日名古屋で「日本ど真ん中祭り」が開かれる。
今年で9回目。年々全国からの参加者も増え、1万5千人とか。
民謡離れの若者が新しい民謡を生み出した。そのパワーに感動する。

今年「東邦ガスのメンバーが踊る曲に尺八を入れてほしい」との
依頼が来た。東邦ガスは一昨年初参加で新人賞、昨年は3位に入賞で、
今年も上位入賞を狙って、オリジナル曲を作るのだという。

さて、録音スタジオに行って驚いた。手渡された五線譜のメモ書き
は♯が6つも。1尺8寸管では吹けない。7寸管ならいけるが、
パワーは出ない。だがここでプロは引き下がれない。やってみましょう
とブースへ。

ブースは狭い、一人やっと。そこで、ヘッドフォンで既に作曲され
ているベースとリズムを聴き、パソコン画面を見ながら、8小節分を
吹いてはめるのだが、どうしてもずれる。尺八は本来ノーリズムだから、
こういう早いテンポに合わせるのは苦手なのだ。
たとえば、尺八はツレーとレの音を吹く前に短くツを吹く。このツを
拍子の頭に合わせるのか、レで合わせるのか。何分の1秒なのだが、
ディレクターは妥協を許さない。

何度やってもずれる。そこで10分休憩、そしてその間にパソコン画面上で
カーソルを動かし、わずかなズレを動かし修正していく。
しまいには、「ドの音ください、次レ・・・」と一音ずつ記憶させて、
画面上で作画しながら作っていく。わずか8小節に2時間かかった。
まったく時代は変わった。演奏家の表現力よりも機械的な正確さが
求められるのだ。

ところでこの、ディレクターもプロデューサーもみな女性、男は機械を
操作するオペレーター。女性に指図されながら動く存在。今はどの
世界も女性上位か。

ま楽しい経験をさせてもらった。
私の尺八?がど真ん中祭りで流れるのだ。東邦ガスさんありがとう。
今年は観に行こう。

盆踊り大会

2007-08-02 07:34:37 | Weblog
中川区助光学区の運動会に呼ばれた。
私は、休憩時間に尺八を吹かせてもらう役だ。大勢の前で吹か
せてもらえるだけでもうれしい。

盆踊りが始まると、数百名の人が集まってきたが、なんか違う。
中央の5m四方のやぐらの上で10人ほどが踊っているだけで、
やぐらを囲んで踊るはずの輪ができない。子どもたちは勝ってに
騒ぎ回っているだけ。他会場では、婦人会や老人会、踊りの会等
の会員がこの時とばかりに踊りに興じるのだが、子ども会主催で、
踊り手がいない地区では、盆踊りの開催も大変なのだ。

さて私の出番が来たが、音響の不備もあって、ほとんど聞こえず
情けない結果となった。それでも「明日も来て下さい」と云われ
ホイホイ翌日も行った。アナウンス役の柴田さんの一生懸命さに
魅かれてである。

二日目は音響もばっちり、思い通りに事が運び、踊りの輪もできた。
マイクを握る柴田さんの目もウルウル、涙声。感動の盆踊り大会
だった。
柴田さんの努力、決してあきらめない。積極果敢に走り回って根回し
をする。決して人を責めない。「あなたにかかっているんだから、
お願い!」「あなたしか頼めないんだから」の一声に乗せられて、皆
進んで協力していた。中川区長も県知事の義父様もみえてのすごい
大会になった。

翌日の午後3時過ぎ、「今、後片付けが終わったところですので」と
柴田さんからお礼の電話がはいった。さすができる人は違う。

ところでわが町内の盆踊り大会は、学区、婦人会、老人会、町内会
組織一丸となっての盛大な行事だが、われわれマンション住民には
案内もこない。震災の時も蚊帳の外になりそう。積極的に入り込んで
いかないと思うのだが、入り口が見つからないでいる。