昨日、名古屋キャッスルホテルで食事をして、
朝鮮通信使の李藝の軌跡をたどり、
韓国人俳優のユン・テヨンが釜山から京都までを旅する
ドキュメンタリー映画、
を名演小劇場に観に行った。
「李藝」という人物を
この映画で初めて知った。
朝鮮通信使とは日本へ派遣された朝鮮王朝の使節で、
1375年、室町将軍足利義満からの
使者と国書に対する返礼として、
朝鮮から信(よしみ)を通(かわ)す使者として
派遣されたのが始まりだそう。
李藝は8歳の時に母親が倭寇に拉致され、
母親を連れ戻すという信念が、
43年間に40回以上も日本へ渡るという原動力になったよう。
対話による外交の成果を積み上げ、
母親は捜しきれなかったけれど、
倭寇により日本に連れ去られた
母国人667人を返還させたのだそう。
一外交官個人の力で、国を動かし、国と国とを結び、
日本と朝鮮の進歩と国民の幸せに貢献した人物が
李藝だったよう。
近年改めて彼の功績が注目されているらしい。
この『李藝ー最初の朝鮮通信使』を書いた金住則行さんが、
ともかく、今日の日本に李藝という人物を紹介したいと思いました。
「歴史は人をつくる」といいますが、
「人が歴史をつくる」ともいいます。
坂本竜馬は日本の歴史を変えました。
しかし、それ以後、日本の歴史に中で、
竜馬に匹敵する人物はいません。と私は思います。
しかし李藝は、竜馬に勝る人だと思います。
もしこのような人が、今の日本にいたなら、
何を考え、何をするでしょう。
そんな思いをもって、私は「小説李藝」を執筆しました。
とにかく読んでみて下さい。
きっと李藝にほれることでしょう。
と言っている。
とうとう、1年も後半に突入。
後半もがんばっべー