喫茶去

徒然に、日々の生活を書き留めたいと思います。喫茶去、まあ、お茶でも飲んで、のんびりしていって。

今年は此処に

2007-11-25 | ガーデニング・家庭菜園
寒くなってきて、あちこちで雪の便りが聞かれ始め、
我が家の鉢植えもそろそろ屋内に。
と思って、毎年、リビングに、
掃除の時、移動しやすいように
車輪を付けたすのこを置いて、



その上にのせるのですが・・・・・・
ハイビスカス一鉢入れたところ、
タンゴが葉っぱを食い散らかし
今年は玄関に。



玄関はあまり陽が当たらないので、心配ですが、
暖かいの日は、順番に外に出して、
たっぷり日光浴びせましょ。

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看護技術テスト

2007-11-25 | ナースの卵

三連休のなか日だというのに、
看護技術の再々試験のため出勤。
学生の希望でこの日になった。
ちっとは遠慮せい

しかし、ペーパー試験と違って、
実技を試験するのは難しい。
ましてや、再々試験で後が無い。
これを落とすと、来年1月からの病院実習に出られない。
この時期になって留年。
不合格になった時点で、
1年生と一緒に勉強することになり、
2年生をもう一度やることになるので。

試験までに十分練習する期間はあった。
どれだけ練習して試験に臨んだかが問題だと思う。
本当に落としたくなかったら、この練習期間を重視し、
練習をある回数以上しなかった者に関しては、
受験させない等の規制を設けてもいいのではないか。
一応、試験までの
練習の計画書のようなものは出させているが・・・・・・

私は少し採点が甘いかもしれない。
1回の試験で(実際は3回だけど)、
落とすのはと考えると・・・・・・
しかし、来年1月からは、実際の患者さんに
看護技術を実施するかと思うと、
そうも言ってはおれないのだけど。

国家試験に合格して資格を持った現場のナースと、
学生は違って当然だと思うけど。
そのために教員や指導者が付き添っている。

薬学部が医学部と同じ6年になり、
看護も3年から4年と言われはじめた。
実際の患者さんに看護技術を実施することで
初めて力がつくと思うが、
今のカリキュラムはゆとりがない。
ギュウギュウ詰めで知識を押し込んでいると思う。
学生が理解しようがしまいが・・・・・
学生がそのスピードについて行けない。
それを思うと、4年になったほうがいいのかな。

教員も技量を問われる
教育って難しい

しかし、私も、同じように、育ててもらったんだよな・・・・・・



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認知症

2007-11-25 | 母のこと父のこと

勤労感謝の日、10時から16時まで、
某病院の研修に参加させてもらった。
講師は川崎幸クリニックの杉山孝博先生。
認知症の出現率は
65歳以上の老年人口全体では6.8%。
85歳以上になれば
4人にひとりが認知症の症状を示していると。

僕はメロディがない 和音がない 響鳴がない
頭の中に いろいろな音が  秩序を失って 騒音を立てる
メロディがほしい 愛のハーモニーがほしい
この音に響音するものはもう僕から去ってしまったのか
力がなくなってしまった僕はもう再び立ち上がれないのか
帰ってくれ僕の心よ 全ての思いの源よ
再び帰ってきてくれ あの美しい心の高鳴りは
もう永遠に与えられないのだろうか
いろいろなメロディがごっちゃになって気が狂いそうだ
苦しい 頭が痛い

アルツハイマー病を発症2年後の
55歳の男性が書かれたもの。

デイサービスで働いていた時、
認知症の方と接して、
認知症の初期は
正常な部分と認知症の部分とが混在し、
とても混乱され、
苦悩されている姿をよく見かけました。

亡くなった母も少し認知症の症状が出てきて、
癌という病気を患いながら、
まだらに呆けている母が哀れでなりませんでした。

自分らしく人生を全うしたい!・・・・・と願うが・・・・
もし、私が呆けたら、
呆けた私を理解して、人間らしく扱って欲しい。

杉山先生の長年の経験を通して、
「上手な介護の12ヶ条」
第1条「知は力なり、よく知ろう」
    介護用品や介護法、福祉制度などを知ることで
         介護の負担が減る
第2条「割り切り上手は、介護上手」
    認知症の人に対して、自分たちと同じ基準や
    感じ方を当てはめようとしがち。
        発想の転換をするのが大切。
第3条「演技を楽しもう」
    認知症の人の世界を理解し、大切にする。
    その世界と現実とのギャップを
         感じさせないようにする。
第4条「過去にこだわらないで現在を認めよう」
    現実を認めないことで、
    介護を大変なものにしてしまう。
第5条「気負いは負け」
第6条「囲うより開けるが勝ち」
    ‘明日はわが身’‘お互いさま’で、
     悩みを気軽に打ち明けて、
     皆が一緒に考えていく、
          皆が自分自身の問題ととらえなおす。
第7条「仲間をみつけて、心軽く」
第8条「ほっと一息、気は軽く」
第9条「借りる手は、多いほど楽」
第10条「ペースは合わせるもの」
    介護にかかる精神的、身体的、
         物理的(時間的)負担を
         軽減することにつながる。
第11条「相手の立場でものを考えよう」
    差し当たって現場のスタッフが、
         自分が患者や家族であったら、
    専門スタッフの言動をどう感じるかを考える。
第12条「自分の健康管理にも気をつけて」
    高齢社会になり老老介護。
    川崎幸クリニックでは在宅医療で
    介護者のカルテも一緒にもって行き、
         自宅で診察し、処方もしているそうです。

父にグロスミンを届けに行ったら、
庭の柵につかまって、屈伸運動をしていた。
母がいなくなって、「ありがたさがようわかった」
「おらんようになって、全部自分でせんにゃいけん」
「昼間、話す相手もおらんのじゃけい」
「何かする気力も起こらん」
と涙ぐんでいた。

母が入院する数ヶ月前ぐらいから、
父と母はよく喧嘩をしていたと、
母も身体がしんどかったのでしょう、
おまけに呆けてきて混乱もあったのでしょう、
父は父で、そんな母を「しっかりせんにゃ」と、
お互いとても辛かったんだと思う。
今は母を亡くした喪失感、独りになった孤独感、
自分ひとりで
何にもできんという不安などで混乱しているのだろうと

「去るものは日々に疎し」
月日が解決してくれるかな・・・・・・
しかし、82歳の父には残された月日は短い。
何か生き甲斐をみつけてあげられるといいけど・・・・・



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「赤い靴」の女の子は実在した

2007-11-21 | 徒然日記

昨日の中日新聞、くらしの紙面の童話の風景で、
赤い靴はいてた女の子・・・・
が実在人物だったことをご存知だろうか?
と言う記事があった。

名前は岩崎きみといい、静岡県生まれの婚外子。
そのために母親と二人で、
逃げるように北海道に渡る。
生活の厳しさから、
母親は泣く泣くきみを宣教師夫婦に預けた。
この話を後々、母から直接聞いた野口雨情は、
「遠いアメリカで幸せに暮らしているのだろうか」
という心情を詩につづった。
きみの母親はその後結婚し、
きみの義妹が昭和四十年代になってから、
「赤い靴はいてた姉は今どこに?」
と北海道新聞に投書したのをきっかけに、
北海道のテレビ局員だった菊地寛氏の
‘きみちゃん探し’が始まる。
調査の結果、意外な事実が分かる。
きみは不治の病といわれていた肺結核にかかり、
長い船旅には耐えられず、
横浜の波止場から船に・・・・
乗ることもなく、東京でわずか九歳で亡くなっていたと。

知らなかった

私の子どもの頃のかすかな記憶に、
「~ちゃんは外人さんにもらわれて行くんだって」という、
子ども心に、
「捨てられるのかな」「怖い」
という出来事があったように思う。

兵庫県立の子ども病院に就職して、
いろいろな奇形児や障害児、
病気の子どもにめぐり会って、
よくもまあ、こんなに
元気に育ててくれたと親に感謝した。
それから結婚し、子どもをもって、
初めて親のありがたさが分かった。

今の時代も、
虐待や車の中に放置して熱中病で死なすとか、
悲惨な殺人事件が後を絶ちません。
どの時代も弱い子どもが犠牲になっている。

ところで「赤い靴」の作曲者は、
「七つの子」や「でんでん虫」等を作曲した本居長世。

そういえば最近、童謡、聴かないな~。



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こんな季節になりました!

2007-11-20 | 徒然日記
日曜日、伊勢の帰り、
夜遅くなったので、名駅で夕食をして、
後、1ヶ月で、 の季節。
名駅では恒例のイルミネーションが始まっていました。














ここ数年は、1年1年が目まぐるしい・・・・・・・・・

ダライ・ラマのハートフル・メッセージから

『すべての生きものは幸せを求め、痛みや苦しみは求めません、
特に人間はそうです。この大原則があるので、
私たちはどんな場合でも幸せになる権利があります。
さまざまな手段や方法で苦しみを克服し、
幸せな人生を手に入れる権利があるのです。
ただし、こうした手段がよい結果をもたらすのか、
悪い結果をもたらすのか、
前もってきちんと考えておくことが大切です。
目先の利益と将来に続く利益、
さらにそこから生じる結果について、
しっかり把握しておくべきです。
いうまでもありませんが、長期的な利益のほうが重要です。
仏教では、‘絶対ということは何もなく、
すべては相対的だ’とされています。そうであれば、
状況をよく見極めてから判断をくだすべきです。』

《状況をよく見極めてから判断をくだす》
分かっちゃいるけど・・・・・・・
だからここ数年目まぐるしいのも、
《状況をよく見極めて判断をくだせなかった》
私自身の身から出た錆

最近、仕事のことで悩める私です
五十にしても迷っています。

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