浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

これは長野県だけの問題ではない!

2014-01-17 16:46:46 | 政治
 特定秘密保護法が制定されるまでもなく、人々の個人情報は警察に集められている。その情報がどのように使われるか。長野県の事例が記されている。某警官が私的に関心を抱いた女性の個人情報を覗く、ということは普通の市民の個人情報も集められているということだ。

 以下は『信濃毎日新聞』の社説。

個人情報閲覧 警察の信頼回復は遠い 01月17日(金)

 連続強制わいせつ、女性の盗撮行為、車両使用者の個人情報の売り渡し…。警察官の不祥事が相次いだ長野県警は「信頼回復のため県民の立場に立った警察活動を積極的に進め」(当時の本部長訓示)ているはずだ。

 交際女性の個人情報を調べるため、県警のシステムを不正に使った―。先日発覚した新たな警察官の不祥事だ。個人情報の保護を揺るがす重大な問題なのに、県警は昨年、4段階で最も軽い懲戒処分「戒告」(文書による注意)で済ませ、公表もしていなかった。これが「信頼回復」の方法なのだろうか。

 50代の男性巡査長が、民家などを訪問する巡回連絡で知り合った女性と「不適切な交際」(県警)を続けた。この間、犯歴などが確認できる県警の個人総合照会システムを不正利用し、女性の個人情報を複数回閲覧したという。

 問題なのは、処分の甘さもさることながら、不祥事を公表しないこと、再発防止策も明らかにされないことだ。

 全国で相次いだ警察不祥事を受けて、警察庁は「情報公開の推進」を掲げ、懲戒処分の発表の指針を2004年に改正。(1)職務に関係する行為についての処分は全件を発表する―とした。ただ、(2)私的な行為に関する処分は停職以上を発表する―ともしている。

 県警監察課は今回、(2)に沿って、公表しなかったとする。県警のシステムを職務権限を使って不正利用することは、職務に関係しているのではないか。これ以上不祥事が発覚するのを恐れて、無理やり(2)にあてはめたのではないか。強い疑問がある。

 警察の持つ個人情報の保護は昨年、強行採決で成立した特定秘密保護法にも通じる問題だ。

 特定秘密を扱える人かどうかを判断する「適性評価」は、本人の精神疾患の有無や飲酒の節度、経済的状況のほか家族・同居人の氏名、現・旧国籍などを調べる。公務員、民間人合わせて10万人規模になる個人情報の収集は主に警察が担うとされる。

 今回の問題は、これらの情報が不正利用され、そのことが市民に知らされない可能性があることも浮き彫りにした。

 不祥事が起きたら矮小(わいしょう)化せず、速やかに公表する。その都度、再発防止策を丁寧に説明する。それが県民の信頼回復への道だ。

 きょうも私たちの個人情報がのぞかれているかもしれない。その不安を残したままでは、警察への県民の協力は得られない。

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【映画】「標的の村」

2014-01-17 16:26:53 | 日記
 浜松市内のシネマイーラ、今日は座席がほとんど埋まっていた。昨年だけなぜか映画を見ることが少なくなったが、それまではしばしば行っていたが、こんなにも人が入ったのは見たことがなかった。

 「標的の村」は、今日が最後。体の調子がよくなかったので、いつ行こうかと迷っていたが、今日しかないと思って行ってみた。その予告編はこれ。

 http://www.youtube.com/watch?v=rJcJSZJ4qoI

 そして公式サイト。

http://www.hyoteki.com/

 まさに「人間としての怒り」、そして「哀しみ」を覆う映画であった。「人間としての怒り」は、平和で普通に生きていこうとする人たちの村を、沖縄にいる米軍と日本政府は「標的」にする。その企みに、全身で「人間としての怒り」を現しながら、闘う。

 だが、日本政府や米軍などは、そうした「人間としての怒り」を受け止めず、それを力ずくで抑えようとする。権力をふるう者どもに、哀しいことに勝てない。その「怒り」と「哀しみ」を、見ている者は全身で感じる。

 とはいえ、ヤンバルの森・東村(ひがしそん)・高江の住人たちは、決して絶望しない。今までもずっと闘ってきた。その闘いにより、勝ったこともあったし負けたこともあった。

 ただ、「人間としての怒り」を現し続ける、そして未来の勝利に向けて生きていこうとする。

 本土に住む者たちに、この「怒り」がわかるか、この「哀しみ」がわかるか、と問い詰める。

 ボクらは、それにどう応えるのか。その応えを、この映画は求める。

 平和、人権、民主主義、いやそういう難しいことばではなく、普通に生きる人々の生活が脅かされている、そういう肯定すべき価値が否定される現実を、あなたはどうするのか、と問う。

 今、全国で上映活動が行われている。ぜひ見て欲しい。

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スパイ国家アメリカ

2014-01-16 22:26:19 | 政治
 とにかくアメリカはすごい国家だ。インターネットのみならず、あらゆる情報を入手できるようにしている。スパイ国家アメリカ。windosなどにも、ここに記されているようなソフトが組み込まれているかもしれない。

 直接会って情報を渡すということが、最も安全な方法であるということだろう。インターネットやケータイなどは、絶対に秘密が保持できないということである。


NSA、PC10万台に監視ソフト…米紙報道

 【ワシントン=白川義和】米紙ニューヨーク・タイムズは15日、米国家安全保障局(NSA)が、米国へのサイバー攻撃を警戒、防御するため、中国軍やロシア軍など世界各国の10万台近いコンピューターに、NSAと情報の送受信を可能にするソフトウエアをひそかに埋め込んでいると報じた。

 インターネットに接続していない状態でも、工作員らがコンピューターに埋め込んだ無線機を通じて、情報を盗みとったり、ウイルスを送り込んだりすることができるという。

 米当局者の話やNSAの文書を基に報じたもので、こうした技術は2008年ごろから使われるようになった。メキシコの警察や麻薬組織、欧州連合(EU)内の貿易関連機構、サウジアラビアやインド、パキスタンのネットワークも対象になっているという。
(2014年1月16日13時21分 読売新聞)
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読むべきもの

2014-01-16 16:57:53 | 日記
 この文は読むべき。

http://www.news-pj.net/npj/maezawa/20140115.html


 ボクは、現憲法に於ける天皇の位置を認識していつつも、天皇皇后の発する「おことば」のなかに、「護憲」のニュアンスを感じている。今の政治状況に対する、意図的な発言ではないかと思い、ボクは天皇制はいあらないと思いながらも、現天皇夫妻には、親しみを覚えている。
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「正論」は通るか

2014-01-16 16:50:18 | 政治
 『琉球新報』社説である。ここには「正論」が書かれている。「正論」が「正論」として、現実化することを望む。

政府・与党発言 専制国家になったのか2014年1月16日

 閣僚が、まだ投票されてもいない自治体の選挙について、あらかじめ選挙結果を無視すると言い募る姿は、尋常ではない。

 米軍普天間飛行場の辺野古移設が争点の名護市長選をめぐり、菅義偉官房長官が「(選挙結果にかかわらず移設を)粛々と進める」と述べた。小野寺五典防衛相も「名護市という地方の選挙だ。今後とも工事を含めて進めていく」と強調した。

 名護市の民意がどうであれ、委細構わずごり押しするという意思表明にほかならない。民意を尊重するのが民主制の根幹だろう。これでは「沖縄には民主主義を適用しない」と宣言するに等しい。

 日本はいつから中世の暗黒専制国家になったのか。近代国家だと自認したいのなら、政府は直ちに強権的な姿勢を改めるべきだ。

 それにしても政府・与党の言動は国際社会におよそ通用するまい。石破茂自民党幹事長は「基地の場所は政府が決めるものだ」と言い放った。だが石破氏も閣僚も、国連の国際人権規約を読み返した方がいい。

 外務省によると、これは「人権諸条約の中で最も基本的かつ包括的なもの」だ。規約第1条にはこうある。「すべての人民は、自決の権利を有する」。

 規約の中の「社会権規約(A規約)」第5条はまた、規約が定める権利・自由を国が破壊・制限すること自体を禁じている。政府の態度はこの規約に違反していよう。

 例えば、あの破局的な原発事故を被った福島で、立地市町村の首長の反対を押し切って原発を新設する工事が可能だろうか。政府は、全国どこであろうと不可能なことを、沖縄でだけはできると言っているかのようだ。

 2010年3月の国連人種差別撤廃委員会の日本政府に対する勧告は「沖縄への軍事基地の不釣り合いな集中」を指摘した。「沖縄の人々が被っている根強い差別」に懸念を表明してもいる。名護市民には基地に関する決定権が全くないかのような政府・与党の言動は、この勧告の精神も踏みにじっている。

 軍用機の墜落事故や米軍犯罪を持ち出すまでもなく、沖縄の戦後史は、基地が住民の命を脅かしてきた事実の連続だ。住民の命と人権を守るのは、首長の初歩的かつ最も重要な仕事であるはずだ。そんな仕事を否定しようとする政府の姿勢は、許されない。
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ひとつの事態

2014-01-16 16:33:46 | 読書
 今年の元旦から、『中日新聞』は、浜岡原発にかかわるカネの流れについて、3回報道した。その際に使用された資料は、私が所属している静岡県近代史研究会会員が調査してきたものである。


 たとえば1月7日の「中日春秋」。

ある米国の作家は、言った。「金持ちというのは、私たちとは違う。彼らは私たちほど、税金を払わないのだ」。きっと異論のある高額納税者の方も多かろうが、源泉徴収の額に吐息を漏らすサラリーマンは、うなずいてしまう言葉だ▼そのため息とともに納められる税金が、一兆円も投じられる会社がある。東京電力だ。そんな経営危機にある会社が、海外に二百十億円も蓄財しているのだという▼免税制度をうまく使ってのことで違法ではないらしい。だが、自分の蓄えはそのままに、他人の懐をあてにするというのは、「私たちとは違う」感覚の持ち主としか言いようがない▼中部電力は、浜岡原発の地元・旧浜岡町(現静岡県御前崎市)に、七十億円以上もひそかに寄付していたという。

 まこと気前のよい話ではあるが、そのお金とて、元は電気料金として私たちが払ったもの。消費者や住民が知らぬところで巨額のカネが動く、その不透明さ▼秘密の寄付は、原発の建設にあたり、地元の合意が必要だったころに行われたそうだ。カネにものを言わせたと受け止められてもしょうがないだろう▼増税ラッシュと公共料金の値上げに苦しむ身にしみるジョークがある。これも米国の作家の言葉。<カネがものを言う、ということを私は否定しない。現にカネがこう話すのを、私は聞いたことがあるのだ。「さようなら」とね>


 そしてこれ。1月9日の記事。

基金35億円 町内に分配 旧浜岡町、中電寄付など
  2014.01.09 第2社会面 

 中部電力浜岡原発の立地する静岡県の旧浜岡町(現御前崎市)が、中電からの寄付金などを積み立てた基金三十五億円を、合併で市になる二〇〇四年の直前に、町内全六地区に分配していた。市は各地区の金の使い道を把握しておらず、専門家は「公金の扱い方として放漫だ」と指摘する。

 町は3号機の増設に同意した一九八二年、条例を制定し、地域自治振興基金を創設。町は同意時に、公表した寄付十八億七千万円に加え、非公表の寄付二十九億二千八百万円を受け取る約束を中電と交わした。

 中日新聞が入手した当時の町の文書には、公表・非公表の寄付の双方から計二十三億二千五百十二万円を基金に充てる計画が示されており、八二、八三の両年に分けて、実際に同額を積んだ。基金は当初から各地区の持ち分が決まっており人口などに応じ12~27%の割合が定められていた。町の決算書によると、九八年に十五億円を増額するなど基金残高は三十五億円に達した。合併時の町の人口は二万三千人で、一人当たりにすると十五万円に上る。

 合併直前の〇二、〇三年に基金を取り崩し、全額を分配した。基金設置当初の割合だと、四億~九億円が各地区に渡った計算になる。千九百世帯の地区の口座には、町から〇三年五月に六億四千五百三十四万円が振り込まれた。

 当時の浜岡町議の一人は「合併で旧御前崎町と一緒になるのに、そんなもの持っていたら混乱する」と話した。御前崎市財政課の担当者は「少なくとも市になってから分配後の管理はしていない」と話した。中日新聞は一三年十一月下旬に六地区に書面でアンケートをしたが、使途を回答した地区はなかった。

 対応極めてルーズ

 京都府立大の川瀬光義教授(地方財政)の話 基金の取り崩しや各地区への分配は、議会の了解を得ているはずで、手続き上の問題はないのではないか。ただ、公金である以上、自治体が分配先に対して使途の報告を求めず、使途を把握していないとしたら、極めてルーズとしか言いようがない。


 そして1月1日の記事。

浜岡増設で53億円約束 地元町に 中電、公表せず寄付
 
 中部電力(名古屋市)が浜岡原発3、4号機の増設同意を、立地する旧浜岡町(現静岡県御前崎市)から得た一九八〇年代、公にした寄付金三十六億円とは別に、公にしない五十三億円を支払う約束を町と結んでいた。町が秘密扱いにしていた文書を本紙が入手。当時の町長は「金額を大きく見せたくなかった」と話し、寄付金とは別の「分担金及び負担金」の項目で会計処理していたと説明した。

 中電と町は3、4号機の増設同意時に「協定書」を交わし、3号機の八二年八月に十八億七千二百万円、4号機の八六年四月に十八億円の寄付金(協定書上は協力費)を中電が町に支払うと公表していた。

 入手したのは御前崎市教委保管の旧浜岡町分「原発関係文書」で、七〇~八七年度の中電との金銭授受を示す文書が含まれている。存在を公にしない「確認書」「覚書」があった。

 3号機の協定書を交わした八二年八月の同じ日に、協定書分に加算して二十九億二千八百万円を支払う確認書が交わされた。確認書には、町の地域医療の整備計画が具体化した時点で「別途町からの要請に基づき応分の協力措置をとる」との記述がある。八四年十二月に地域医療整備への協力名目で十七億円の寄付の覚書を交わしており、確認書に沿ったとみられる。

 4号機でも協定書と同じ日に六億八千百万円の確認書と十七億円の覚書を交わした。

 七五年から十二年間、町長を務め、協定書や確認書、覚書に調印した鴨川義郎さん(86)は非公表を「中電側の意向。隣接自治体の嫉妬があり派手に見せたくなかった」と話した。

 確認書などに沿った実際の支払額は「覚えていない」と語ったが、数年に分けて「分担金及び負担金」の項目に振り分け、寄付金を少なく見せたと認めた。

 町の決算書では、確認書や覚書を交わした年から数年間、それまで数億円規模だった分担金及び負担金の額が十数億円に増えた。御前崎市は「寄付を隠したかは分からない。負担金を規定する条例が見当たらず、その点で不備があったかもしれない」と説明する。

 旧浜岡町が中電からの寄付金を決算の歳入で振り分けた「分担金及び負担金」は、自治体の事業の一部を受益者が負担する制度で、通常は保育料や住民から徴収した下水道整備費の一部などが入る。地方自治法は分担金について「(事業で)特に利益を受ける者からその受益の限度において分担金を徴収することができる」と規定。事業ごとに個別の法や条例に基づいて徴収する。分担金と負担金に明確な区別はない。

 中電広報部の話 要請に基づいて協力金を出すことはあるが、相手のあることであり、個別具体的な内容については回答を差し控える。

 本来は公表すべきだ

 名城大都市情報学部の昇秀樹教授(地方自治法)の話 分担金・負担金に全く性質の違う企業の寄付金を入れることは極めて不適当だ。違法とされてもおかしくない。一方、自治体に寄付を公表する義務はなく(非公表自体は)違法とはいえない。ただ民主的行政を目的とする地方自治法の精神から見て好ましくない。公表しなかった寄付は、増設受け入れの判断に影響したと考えられる金額で、本来は主権者である住民に明らかにすべきだ。



 ボクは、これらの報道によって、今まで御前崎市(旧浜岡町が合併した)が公表していた資料が非公開になってしまうのではないかと思い、御前崎市教育委員会に対して文書調査の「申請書」を送った。すると昨夜、原発関係資料は本庁で精査中であり、その結果いつ見ることができるようになるかわからない、見られなくなるかもしれないという電話をもらった。

 危惧していたことが現実となった。これが一つの事態である。
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風邪?

2014-01-15 15:01:47 | 日記
 昨日午後から、体の調子がよくない。今朝は、布団の中で発汗。

 しかし明日はボランティアの講座があり、その準備に今まで取り組んでいたが、もうダメ。

 13日朝、いつも使っているレッツノートが、無線LANを感知しなくなり、昨日パナソニックのサービスセンターに持って行った。今まで使っていた、sony、東芝、NECなど無線LANがだめになったことは一度もない。買ってから3年目。Let's noteは、軽くて使いやすいので気に入っていたが、Let's noteはダメなのか。修理にいくらかかるのだろうか、不安である。

 また今書いているパソコンは東芝製。windows8がOSであった。8.1にアップロードできるというので、先週末アップロードしたのだが、いつもつかっているhotmailの本文をかくところに、字が書けなくなった。windows8のときはどうということもなかったのだが、8.1にしたら、「か」をうつと「kあ」、「す」をうつと「sう」になってしまう。

 友人に示唆されて、hotomailを使うときはInternet Explorerをやめ、firefoxにしたところ、問題なくうつことができる。

 Internet Explorerは、8.1ではバージョンが11となる。それに欠陥があるのではないかと思う。その問題点をマイクロソフトに書いて送ったが、未だ返答はない。

 ということで、今週になってから良いことがない。

 ブログも今日はこれでおしまい。
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ラスキ

2014-01-14 22:07:46 | 読書
 ラスキは、イギリスの政治学者である。もうずっと過去の人である。

http://kotobank.jp/word/%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%AD

 さてそのラスキの著書(『信仰・理性・文明』。これは岩波書店から1951年に中野好夫訳で刊行されているが、丸山が書評を書いたときには出版されていないので、原書読んだのだろう。原書Faith, Reason, and Civilisationは1944年。)を、丸山真男が書評している。「西欧文化と共産主義の対決」(『現代政治の思想と行動』所収)である。書かれたのは、1946年。しかしその内容は、ラスキの著書の内容も含めて、現在にも生きる内容である。

 まず指摘しておきたいことは、第一次大戦と第2次大戦の間、ラスキは「快楽の組織されたる外面化」に言及している。つまり「戦間期」の社会状況としてこういうことを書いているようなのだ。

 「ヴェルサイユ条約から第2次大戦までの20年間は、理性とか規準とか、計画し予測する能力とかが、ともかく通用していた世界から、不合理、暴力、価値の絶えざる逆転、未来の不可測性と浮動性の支配する世界への急速な堕落の時代」

 これって、今のことじゃないのか、と思ってしまう。

 ラスキは、その背景に知識人の堕落を想定しているようなのだ。

 「19世紀の傑出した知識人は、バイロンであれ、ディッケンズであれ、スコットであれ、バルザックであれ、みな大衆の生活の切実な課題と取り組み、同時代の人々の思想と感情に決定的な影響を与えた。さればこそ、大衆はバイロンの死に人格的損失を感じ、ディッケンズのうちに星とたわむれる巨人の姿を謙虚に承認したのである。それはまさにデモクラシーの勃興期に於ける知識人と大衆との美しき結合であった。・・・・(ところが)インテリは大衆に呼びかけることを止め、社会的革新への関心も打ち捨て、次第に支配階級の添え物に成り下がったのである。それは知識人の最高の任務を裏切ることであり、この任務を怠ったことが、ドイツの、イタリーの、フランスの悲劇を招来したのである。」

 この言説は、現在にも通じる主張でもある。

 しかし現在は、知識人の地位が低下し、「知」を尊重しない風潮、それは特にインターネット世界の書き込みに端的に現れているが、それが力を持っている。

 書店のでも積まれている本には、根拠なき放言を書き散らしたものが多い。そういう本が売れている。

 歴史は繰り返す、このことを、丸山真男を読んでいて感じる。ずっと前にこの本を読んだときに、感じなかったことを感じている。恐ろしいことだ。





 
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沖縄・名護市長選

2014-01-14 14:55:47 | メディア
 名護市長の稲嶺進さんの当選を心から祈る。すでに選挙カンパは送った。おそらく反対陣営は、莫大なカネをつかって稲嶺さんの追い落としをはかってくるだろう。

 沖縄の基地なき発展は、辺野古への新基地建設を阻止できるかどうかにかかっている。卑劣な判断をした仲井真・沖縄県知事に対する最大の抗議として、稲嶺さんの当選を期待している。

 作家・目取真俊さんのブログを紹介する。

http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/687e4f999678d2e9fa3900fe0941225a

 ついでに『東京新聞』社説。


名護市長選 「辺野古」問う重い判断

2014年1月14日


 沖縄県の名護市長選は、米軍普天間飛行場の同市辺野古沿岸部への移設の是非が大きな争点だ。仲井真弘多県知事による県内移設容認に対する最初の審判でもある。市民の重い判断を注視したい。

 十二日に告示された名護市長選は任期満了に伴うもので、十九日に投開票が行われる。日米両政府が普天間飛行場の「県内」移設条件付き返還で合意した一九九六年以降、五回目の市長選である。

 現職で、再選を目指す稲嶺進氏(68)は前回、辺野古への県内移設反対を掲げ、容認派だった当時の現職を破った。

 当時は鳩山由紀夫首相の民主党政権が二〇〇九年衆院選の公約に掲げた「国外・県外」移設の検討中という状況だ。沖縄県へのさらなる米軍基地集中は拒否するという民意を後押ししたのだろう。

 今回は状況が全く違う。安倍内閣が辺野古移設を強力に推進し、仲井真知事も昨年十二月、沿岸部の埋め立てを承認した。

 稲嶺氏は今回の出陣式で「日本の民主主義を問う一大決戦」と述べた。その矛先はまず日米両政府と仲井真知事に向けられている。

 地元自治体の反対を一顧だにせず、両政府による辺野古移設強行は民主主義といえるのか、県外移設を掲げて当選した仲井真知事の埋め立て承認は公約違反ではないのか、ということだ。

 仲井真知事に対し、県議会は辞職要求決議案を可決した。海外の有識者ら二十九人も知事の承認を批判する声明を発表した。公約を撤回するのなら、辞職して県民に信を問うべきでなかったか。今回の市長選では、知事判断の妥当性も問われることになる。

 たとえ辺野古移設を推進する新人で前沖縄県議の末松文信氏(65)が勝利しても、米軍基地をめぐる問題が解決されるわけではない。

 普天間返還が実現しても、その基地負担は辺野古にのしかかる。日米安全保障体制の恩恵を国民が等しく享受しながら、その負担を沖縄という一地域に押し付けていては民主主義国家とは言えまい。

 沖縄に次いで米兵らの犯罪が多い神奈川県で、〇八年からの五年間に一般刑法犯として起訴された米軍人・軍属とその家族は送検されたうち一割に満たないことが本紙の調べで分かった。背景には日米地位協定の制約がある。

 在日米軍基地問題は突き詰めれば日本の主権の問題だ。今回の市長選は名護市民のみならず、すべての日本国民にも、民主主義のありようを問うているのである。


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これでよいのか!

2014-01-14 14:49:39 | 読書
 日本の経済政策は、輸出を基調とする大企業優先に特化している。たとえば自動車の輸出が減ると、減税や新車購入に対する補助金を出したり、そして円安にふれるようにする。

 円安になると、海外にほとんど依存する石油や天然ガスなどの輸入価額が増大し、国内向けの需要に対応して生産している中小企業などが物価高により影響を受ける。一般の人々の生活も物価高で影響を受ける。一部の輸出大企業に勤める者たちだけが、円安の恩恵を受ける。

 今日の『東京新聞』夕刊の記事。


過去最大の経常赤字 5928億円、11月国際収支

2014年1月14日 夕刊

 財務省が十四日発表した二〇一三年十一月の国際収支速報によると、海外とのモノやサービス、投資の取引状況を示す経常収支は五千九百二十八億円の赤字で、比較可能な一九八五年以降で最大の赤字額となった。原油などの輸入が膨らんで貿易赤字が拡大したのが主因だ。投資に伴う所得収支の黒字によっても補えず、日本経済の外貨を稼ぐ力の衰えが鮮明になった。

 経常赤字は二カ月連続。これまで最大の赤字額だった一二年一月の四千五百五十六億円を更新した。一三年一~十一月の累計の経常収支の黒字額は四兆円弱にとどまっている。

 十二月も低迷が見込まれ、一三年全体の経常収支は年間で過去最少だった一二年の四兆八千二百三十七億円の黒字を下回るのがほぼ確実だ。

 輸出から輸入を差し引いた一三年十一月の貿易収支は一兆二千五百四十三億円の赤字だった。赤字額は十一月としては最大、全月でも三番目の大きさ。

 輸出は前年同月比17・6%増の五兆六千三百十六億円、輸入は22・1%増の六兆八千八百五十九億円。火力発電の燃料に使う液化天然ガス(LNG)や原油を中心とした輸入が、自動車をはじめとする輸出の伸びを上回って増加している。

<国際収支> 日本と海外とのさまざまな経済取引を集計した統計。モノやサービスの取引を示す「経常収支」と、直接投資や証券投資などの「資本収支」に大きく分かれる。経常収支は、輸出入の差額である「貿易収支」、輸送や海外旅行などの動きを示す「サービス収支」、利子や配当の受け払いに関する「所得収支」などで構成される。

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変わらぬ日本

2014-01-13 20:44:03 | 読書
 ボクは丸山真男の「「現実」主義の陥穽」(『現代政治の思想と行動』所収)を読み終えた。さすが丸山真男である。この本を読み続けて、さすが!と何度も叫び出したくなった。現実的課題とその言説がきちんとかみ合い、読む者に意欲と知力を与えてくれる。

 さてこの論文を紹介しよう。この論文は、1952年に書かれた。しかしこの論説の主張は、現在においてもまったく色あせていない。ということは、1952年の政治状況と現在とが同じ、つまり進歩していないことの証左ということになる。

 まず丸山は「現実」の三つの特徴をあげる。一つは、現実の所与性。「現実とは本来一面において与えられたものであると同時に他面で日々造られていくものですが、普通「現実」というときはもっぱら前の契機だけが全面に出て現実のプラスティックな面は無視されます。いいかえれば現実とはこの国では端的に既成事実と等置されます。現実的たれということは、既成事実に屈服せよということにほかなりません。現実が所与性と過去性においてだけ捉えられるとき、それは容易に諦観に転化します。「現実だから仕方がない」というふうに、現実はいつも、「仕方のない」過去なのです。」(172頁)

 この諦観が、ファシズムへの抵抗力を内側から崩していったと、丸山は指摘する。

 もう一つは、「現実の一元性」。「現実の多元的構造はいわゆる「現実を直視せよ」とか「現実的地盤に立て」とかいって叱咤する場合にはたいてい簡単に無視されて、現実の一面だけが強調される」、1930年代「ファッショ化に沿う方向だけが「現実的」とみられ、苟もそれに逆らう方向は非現実的と考えられたわけです」。

 三つ目。「その時々の支配権力が選択する方向がすぐれて、「現実的」と考えられ、これに対する反対派の選択する方向は容易に「観念的」「非現実的」というレッテルを貼られがちだ」ということ(175頁)。

 だから丸山は、こう主張するのだ。

 私達の言論界に横行している「現実」観も、一寸吟味してみればこのようにきわめて特殊の意味と色彩をもったものであることが分かります。こうした現実感の構造が無批判的に維持されている限り、それは過去においてと同じく将来においても私達国民の自発的な思考と行動の前に立ちふさがり、それを押しつぶす契機としてしか作用しないでしょう。・・・私達は観念論という非難にたじろがず、なによりもこうした特殊の「現実」観に真っ向から挑戦しようではありませんか。そうして既成事実へのこれ以上の屈服を拒絶しようではありませんか。そうした「拒絶」がたとえ一つ一つはどんなにささやかでも、それだけ私達の選択する現実をヨリ推進し、ヨリ有力にするのです。これを信じない者は人間の歴史を信じない者です。

 現実を一面的に見るのではなく、多面的に見ることにより、支配権力の主張する「現実」とは異なる現実を見出し、その現実を真に現実たらしめるために、力を添えていくことが、今も求められている。60年も前の丸山の主張は、今を生きるボクたちを鼓舞する。果たしてそれは良いことなのかどうか、いやそんなことを考えずに、とにかく支配権力の「現実」に挑戦していくことが必要だと思った。
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世論はNHKのニュースがつくりだす?

2014-01-13 16:35:52 | メディア
 政府の宣伝は、ほんとうによく行き届いている。安倍首相、テレビによく出ているし、NHKなんか政府の政策を何の批判的視点もなく垂れ流しているから、こういう世論調査の結果は、あるいみ当然である。

 こうして、「戦争」にいたる「水路」は作られていく。マスメディアはその水路のルートを掃き清めている。


JNN世論調査、安倍内閣支持率が6割台に回復


 1月の安倍内閣の支持率は前の月と比べて7.9ポイント上がって62.5%となり、6割台に回復したことが、JNNの世論調査でわかりました。

 調査は、ご覧の方法でこの土、日に行いました。

 安倍内閣の支持率は、「支持」が前の月に比べて、7.9ポイント増え62.5%となり、わずか1か月で6割台に回復しました。

 また、政党支持でも、自民党が前の月と比べ5.2ポイント増え、35.5%となりました。

 次に、年末に安倍総理が靖国神社を参拝したことについて、どう思うか尋ねたところ、「良くなかった」とした人が、「良かった」とした人をわずかに上回りましたが、賛否は二分しました。

 そして、なぜ、そのように思うのか、理由を聞いたところ、「良かった」とした人の62%は、「首相が戦争犠牲者を慰霊するのは当然だから」を挙げ、「良くなかった」とした人の70%は、「外交的な配慮に欠けるから」を挙げました。

 さらに、靖国神社とは別に無宗教の国立追悼施設をつくるべきかどうかを尋ねたところ、「つくるべき」と「つくるべきではない」が拮抗しました。

 次に、沖縄県のアメリカ軍普天間基地を県内の辺野古地区に移設する政府方針について賛否を聞いたところ、賛成が43%で、反対を13ポイント上回りました。

 先月末に沖縄県の仲井真知事が辺野古移設をめぐり、政府の埋め立て申請を承認した判断については、「評価する」が53%で、「評価しない」を大きく上回りました。

 さらに政府が、沖縄の負担軽減策の一環として、沖縄に配備されているオスプレイの訓練を県外に移転することを検討していることについて、沖縄県以外の地方自治体は受け入れるべきかどうか尋ねたところ、「受け入れるべき」が64%でした。

 このほか、東京都知事選について、争点として何を重視して投票すべきか尋ねたところ、「福祉政策」27%、「防災対策」25%に次いで、22%が「原発政策」を挙げ、「東京オリンピック」と答えた人は12%にとどまりました。(13日02:29)

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また再び

2014-01-13 15:52:24 | 読書
 『東京新聞』の「論説室から」の半田氏の文。

あいまい規定の防衛大綱    2014年1月13日

 安倍政権が年末に閣議決定した日本防衛の指針「防衛計画の大綱」。意味不明の「グレーゾーン」という言葉が七回、「シームレス(継ぎ目がないこと)」が五回登場する。

 ふたつ合わせて、略すとこんな言い方になる。「グレーゾーンの事態にシームレスな対応をする」。理解できる人がいるだろうか。文中に「平時でも有事でもないグレーゾーン」とあるが、法的には自衛隊に防衛出動が命じられる有事か、それ以外の平時しかない。その中間のグレーって、どんな事態だ。

 なし崩しの自衛隊出動を連想させる「シームレスな対応」もおかしい。平時から有事に移行するには首相が国会の承認を得て防衛出動を下命する必要がある。今後は状況次第で現場指揮官が判断するのだろうか。

 新大綱からは中国への対抗意識が色濃く読み取れる。尖閣諸島をめぐり緊張が高まる事態をグレーゾーンと珍解釈して、臨機応変に対応すればよいというのでは、シビリアンコンロールを放棄するのに等しい。

 新大綱には「積極的平和主義」も登場した。憲法の平和主義とはまるで違う「武力行使もあり」の考え方だ。特定秘密保護法でみられたように安倍政権はあいまい規定がお好きだ。目的や命令に解釈の幅があってはならない軍事にもかかわらず、この書きぶり。なぜあいまいにしたのか意図が疑われ、危険がにおう大綱といわれても仕方ない。 (半田滋)


 今ボクは『現代政治の思想と行動』を読んでいる。昔読んだときには、「過去」のことについての分析だと思っていた。だが今読み返すと、まさしく現在のことを分析しているのではないかと思う。それほどまでに、1945年を挟んでも、日本人は、日本の支配層は変わっていないということだ。
 今読んでいるのは「軍国支配者の精神形態」である。

 そこには、戦争を指導した者たちの精神が述べられている。共通するのは、責任回避である。彼らは責任をまったく感じない。なぜか。誰も主体的に決断したのではなく、「つくった」状況ではなく、「つくられた」状況の流れるままに、指導者たちは、あたかも「こっくりさん」によって決められたように、開戦の方向に歩んでいったのである。丸山は、「非計画性こそが「共同謀議」を推進せしめた」のであって、「ここに日本の「体制」の最も深い病理が存する」という。

 上記の半田氏の文を読むと、またぞろ同じ事態が生じてくるのではないかと思ってしまう。「現場指揮官」がある事態を招いてしまう、するとその「事態」をそのまま追認して、その流れに抵抗することなく、その「事態」が赴く方向に自覚することなく加担していく。誰も決断せず、次々と人々がその流れに飛び込んでいく。その結末を迎えたとき、関係したものは誰もそうしようとは思わなかった、と答えるだろう。

 だが、実際は、そう流れるように、水路はつくられていたのだ。だが、水路と水の流れは異なると支配者は思っている。上記の例でいうなら、「防衛大綱」が水路だ。そこにはあいまいな言葉がちりばめられている。一定の状況が出現したら、こう流れるように、ということで、たとえば陸上自衛隊のあり方も訓練の仕方も、尖閣をめぐって武力衝突に至った場合のことを想定してつくられてきている。衝突が起きてからの事態は「水の流れ」だ。水は勝手に流れていく、と彼らは考えるのである。

 丸山は「自ら現実を作り出すのに寄与しながら、現実が作り出されると、今度は逆に周囲や大衆の世論によりかかろうとする」と記す。

 「やろうと思ってやったんではない、そういう事態が起きたから仕方なくやったんだ・・・」

 原発事故も同じ。あれも誰も責任をとらない。日本人の心性は変わっていない。すべての社会的事象は、「生成する」のである。
 
 今、安倍政権は、危険な水路を次々に建設している。
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「満洲国化」

2014-01-12 19:21:51 | 読書
 一昨日の『朝日新聞』に山室信一氏のインタビューが掲載されていた。山室氏には『キメラー満洲国の肖像』(中公新書)、『思想課題としてのアジア―基軸・連鎖・投企』(岩波書店)等の著書がある。特に『憲法9条の思想水脈』 (朝日選書)は、現在的課題に照応している。これは必読である。

 さてこのインタビューの題は「「満州国化」する日本」である。第二次安倍政権が成立してから1年、山室氏は「日本の満州国化」だと指摘する。「満洲国」は、大日本帝国の傀儡国家であった。現在の日本は、アメリカの傀儡国家化してきている、と。

 安倍の「戦後レジームからの脱却」は「国家主導体制をつくること」をめざしている、それは安倍の祖父・岸信介と発想が似ているという。現在小選挙区制により、「自民・公明という一元的な権力で全て決められる、満州国と同じシステムが今」できあがった、というのだ。

 確かにマスメディアは、「決められる政治を!」と叫び続けた。1920年代の政党政治に対する不満が、国民のなかに「軍の統率力や官僚の統制」への「期待」をつくりだした、それと同じような情景が、今の日本にある。

 問題はどんなことが「決められる」のか、である。今、安倍は「自分の核がないから、官僚やブレーンが持ち込んでくるものをバキューム効果のように取り込んでいく」、だから官僚や財界などにとって、安倍政権は最高の政権なのだ。

 山室氏の本を読んでいるボクとしては、しかし、このインタビューのまとめかたはとても下手だと思う。おそらくもっと有益なことを語っていただろうと思う。インタビュアーは、山室氏の著書をあまり読んではいないのではないか。

 山室氏の著作は、重厚で、緻密である。
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丸山真男から学ぶ

2014-01-12 17:06:55 | 読書
 丸山真男の本は、たくさん持っている。『丸山真男集』全巻、『丸山真男座談』全巻など。時間が出来たら読もうと思っていたのだが、たとえ時間ができてもきっかけがないとなかなか読み始めない。やっとそのきっかけができて、いろいろ考えながら読んでいる。

 「超国家主義の論理と心理」のなかにこういう記述がある。

 「私事」の倫理性が自らの内部に存せずして、国家的なるものとのとの合一化に存するというこの論理は裏返しにすれば国家的なるものの内部へ、私的利害が無制限に侵入する結果となるのである。(『増補版現代政治の思想と行動』16頁)

 もちろん無制限に侵入する「私的利害」はどんな者たちのものかというと、それはもちろん支配層のそれであろう。被支配層の「私的利害」なんぞは一顧だにされない。被支配層は統治されるだけの存在である。折に触れて出されてくる、支配層からの心ないことばを想起すれば明らかであろう。
 支配層はおそらく「倫理性」などは持ち合わせてはいない。支配層はみずから国家を背負っている気概を持っているが故に、みずからの「私的利害」は同時に「公的」利害なのである。「私事」を「国家的意義」と結びつけ、「私的利害」を堂々と追求するのだ。だから新自由主義的な発想は、本当はわが日本ではきわめて適合的なのである。

 雇用確保のためといいながら、自治体から企業立地の補助金をたんまりせしめ、技術開発をすすめないといけないといいながら補助金をもらう。

 災害があっても、災害の援助金は実際に災害に遭った人々には涙金だけが渡され、大金は法人たる企業にたんまりと渡される。東日本大震災の被災地では、どういうところに公のカネがつかわれているかをみれば一目瞭然である。

 こういう日本のあり方は、変わってはいない。

 丸山がこの論文に書いたのは、戦時体制についてである。だが、それは現在にも十分に当てはまる。

 なぜか。変わっていないからだ。いや変わる可能性は、「戦後」の歴史のなかに存在はしたが、その可能性は可能性のままで終わったのだ。
 
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