何日か前にマスコミ各社に取り上げられた
バニラエアと『木島英登バリアフリー研究所』の
木島氏とのトラブルがありました。
多くの報道では、木島氏が被害者であり
バニラエアが加害者的に扱っていたようなのですが、
私は、何か釈然としないのです。
情報不足によって私が大きな間違いをしていて
ご批判を受けるかもしれませんが、
それでも釈然としないのが正直なところです。
バニラエアでは、車いすでの登場を希望される方は、
搭乗5日前までにその旨をお伝えくだされば
安全に搭乗できるよう準備を致しますとの告知がされており、
それを知っていたにも拘らず
忘れていたのではなく、あえて無視をし、
当日、「ふざけるな!」とのことらしい。
これで被害者なんでしょうかねえ。
被害者というのが正しいとするなら
もう世の中の道理が何なのかを判断する
私の背骨が骨折する位に混乱してしまいます。
私がバニラエアの社長であったとするなら
5日前の連絡がないお客様は断固として登場を
お断りするよう申し付けるだろうし、
ごり押しで規則破りの搭乗の仕方にも
断固として拒否するよう申し付けるだろうから
倒産させてしまうのかもしれませんが。。。
木島氏の件はひとまず置いておいて、
何か不当な不利益をこうむったと感じた時には、
怒りを感じ、謝罪や被害の弁済を求める声を
上げることは当然ではありますが、
その声を上げる多くの人達は、
公平性を取り戻すことで
その一件に幕を下ろすことを目的にしています。
ところが、
○○人格障害と言われる人達の中には、
攻撃し踏みつけてやっつけることや、
金銭を得ることや、
相手を酷く怒らすことを主目的にしていて
組み安しと判断すると
幕を下ろすどころか、
さらに一歩踏み込んできます。
そして、
その人達は、被害者の装いで身を守り、
掲げた被害者の看板で容赦なく殴りつけてきます。
つまり、被害者を装った加害者です。
施療の現場でも
施療に対して論理破綻の挑発を繰り返し、
施療者が注意をしたり、叱ったりすれば、
言葉で謝り、表情には笑みを浮かべます。
尊重、共感信者の施療者は、
暴言や犯罪すれすれの振舞いを浴び続け
本人の欲求を満たすためのサンドバックの代用品扱いとされます。
一般社会の中では、
味方になることが前提として
関係がスタートすることは稀なので
おどおどしながら敵意はありませんよと、
敵意どころか好意を持ってます的に努めますが、
それも長くは続かず、その限界に達した時に
被害者の看板を振り回し始めます。
こんな風に書くと、
○○人格障害者は、社会に害為す救いようのない人のようですが、
私は、人格に障害があると判断されるような言動をする人達であって
人格に障害があるとは理解していません。
だってです。
本当の悪であるなら、骨の髄まで悪なら
悪人だと思われることを回避しようと
被害者を装うはずがないように思うのです。
悪魔が被害者や弱者の看板を掲げることなどなく、
私は悪魔だよ~。人の苦しむ姿を観るのが大好物なんじゃ~。
と堂々とした態度となるはずなのです。
被害者を装うその姿に
心の奥底にまだ息づいている善を求める心の存在を観て、
簡単ではありませんが、
その心の発芽のための援助をしたいと思うのです。
論理療法の創設者であるアルバート・エリスだったか、
他の誰かが残した言葉があります。
「この世に一人として悪人などいないのです。
悪い行いをする人がいるだけです。」