1994年 パキスタンでイスラム教高位の聖職者が
近所の人の悪口を言った妻に暴力でお仕置き気をした罪で
懲役30年の刑を言い渡されました。
妻虐待の罪としては、過去最高の刑となったとのことです。
妻が人の悪口、しかも近所の人の悪口を言った妻を
聖職者の妻としてあるまじき行為として
諫めるのは自然かと思いますが、
諫めるために暴力をふるうってのも聖職者としては
あるまじき行為ですよね。
だから懲役30年の過去最高の重い処罰を下された?
いやいやそうではなくて殺人未遂を適用されるほどの
酷い暴力だったと考える方が自然かな。
世界を見渡してみると人に正しき道を説いたり、
正しく導くことの役割を担う聖職者の立場にある人って
そのための知識を得ることはもちろんですが、
それにふさわしい人物であることを
身を置く宗教団体側からも信者側からも求められていますよね。
私の様な仕事をする場合にも、自分の中の心理的問題を
ある程度は解決しておくことを求められています。
聖職者が求められているレベルが衆知の通り、
私達のそれよりもかなり高いレベルなので
あれほどの数の聖職者がそのレベルに達することが出来ているとは
俗世間に塗れている私の感覚では、とても思えないんですよね。
聖職者に限らず、与えられた自分の役割に
相応しい行動をと頑張るうちに次第に板についてくると言うのか、
役割に後から人格が追い付いてくることもあるかと思いますが、
役割に相応しい自分のイメージを壊さないために
必死になり過ぎて他のことが見えなくなり
とんでもない行動を取ってしまう人もいます。
立派なお母さんのイメージを守るために
優秀な成績を取れなかった我が子を路上に捨てた
中国の女性もそうですし、
実直で誠実な夫としての自分のイメージを守るために
浮気相手に大それた犯罪を起こしてしまう人もそうです。
人間は弱い生き物ですから自分がしでかしたことに
良い訳をしたり、少しは誤魔化そうとすることはあっても
自らが自分のイメージを完全破壊するような行動は
しでかさないように気を付けたいものです。
そういった意味のレベルの話では、
複数の女性との浮気が発覚した芸人の◯◯さんは、
見苦しく言い訳せずにさっと事実を認めて謝罪したのは凄い事かなと、
当事者になると、あれってなかなか出来ないと思うんですよね。
もう相当に肝が据わっている人物なのかと思ったり、
もう相当に「いっちゃってるぅ」人物なのかと思ったり。
言い訳の余地など何一つ無いと心からの完全降伏か、
心では何が悪いねんと思いつつ、良い訳や抗論するのは
事態をさらに悪くするとしての表面的な降伏なのか、
本当の所は私には分かりません。
浮気の是非についてではなくて
浮気に対する人々の反応に限ってになりますが、
今回の浮気の件が結構大きな扱いを受けているのは、
浮気そのものと言うより、裏切られた騙された感に
強く反応しているのではと思うんですよね。
俺は結婚しても浮気なんてチャンスがあればやっちゃうよ。
気に食わない奴の悪口もバンバン言うし、
気に食わない仕事やスタッフは怒鳴りつけるよ。
爽やかキャラとか誠実キャラではなく
普段から世界は俺のために有る的な感じであれば、
結婚をしたいと言う女性もかなり限られるだろうし、
仕事も多く頂けるとは思いませんし、
人としての生き方も宜しくないとは思いますが、
人の反応は違ってくるはずなんですよね。
仮面を被った自分で他人と接するなら
最後の最後まで被り通さなくっちゃならないとは思いますし、
仮面を被って他人が期待するような人間として
生き通す必要はないと思うのですが、
社会の一員となるために薄メイク程度は
苦にならない自分になっておきたいものです。