日本の銭湯で男の子が女湯に入れるかどうかについて
東京都の条令では、『7歳以上の男女を混浴させてはならない。』
と定めているとのことです。
1787年(天明7年)から1793年(寛政5年)の
11代将軍の徳川家斉時代に行われた寛政の改革で
混浴が禁止されました。
男女混浴の湯の他に、男子禁制の女湯もありましたが
女湯が混んでいると混浴を選ぶ女性も少なくなかったようなので
混浴に関しては、そこまで強い強制力はなかったようです。
徳川幕府は、この寛政の改革以後も
何度か混浴禁止令を発令していたようですが
銭湯側が経営的に難しい等を理由にごねたことで
混浴が無くなることなく続きます。
黒船でやって来たペリーがアメリカ政府への報告書で
日本の混浴について激しく非難し、
さらには日本人は混浴をおこなうような
下品で猥褻な民族だと紹介された書物も欧米で出回ることに。
混浴が現在と同じ感覚になるのが
欧米人が混浴について激しく非難していることを
知っていた明治政府は、
東京築地に外国人居留地を開設するために
築地近辺の銭湯に混浴禁止を厳命し、
二階の床の穴も塞ぐように通達したことから
全国に広がっていったようです。
江戸時代は、
風呂上りに銭湯二階の休憩場所にあがり
近所の知り合いとワイワイと語ったり、
二階の休憩所の床の一部分が開いていて
その穴から下の階で女性がお風呂に入っている姿を
普通に眺めることが出来たようなんですが、
まあ混浴が当たり前だったので
天井の穴から入浴の様子を男性が覗いても
女性は平気でしょうし、男性も普通過ぎるから
床の穴に男も群がることもない。
これ何百年も前の話じゃなくて明治元年、
約150年ほど前までのことなんですよね。
余談ですが、
この時代、猥褻物を陳列したがる男って
いたのだろうか。実は、いたんだろうけど
普通に陳列欲求を満たせたはずなので
誰も気が付いていなかっただけかも。
しかし、心理療法もクソも無い。気づきもクソも無い。
号令一発に時間の経過が加わったらクルっと180度。
人の価値観や感覚が、ここまで見事に変わるってことが
凄いし、面白い。
現代の混浴事情はどうなんでしょうか。
現在の日本には混浴施設は、
少ないながらもあるとは聞いてますが、
現在の混浴愛好者の方は、
混浴にどのような良さを求めているのだろうか。
複数の見ず知らずの異性と一緒に入浴することの
良さが分からんから教えてと混浴愛好者に尋ねると
きっと次のように言うだろうと思います。
Don’t think, feel!
考えるな、感じろ!