北野天満宮の主だった所の拝観を終えて
一度位は、拝んでおきたかった
史跡御土居もみじ苑に向かいます。
史跡御土居もみじ苑の入苑手続きを終えて
青白幕に導かれて史跡御土居もみじ苑へ
史跡御土居のもみじ苑 入り口
得た情報では、色付きが五割程度とのことで
入り口周辺の色も赤色じゃなくて緑色が多く、
期待通りの紅葉の世界を堪能するには
ちょっとだけ訪れるのが早かったかも知れません。
梅交軒 舞台
史跡御土居もみじ苑の紅葉観賞は、
もみじ苑入り口から直ぐの梅交軒の舞台から始まります。
史跡御土居
御土居とは、1591年に天下人の豊臣秀吉が
洛中洛外の境界および水防の為に築いた土塁のことで
現在ではその殆どが取り壊され残っていませんが
北野天満宮の境内には、その一部が残されていて
史跡に指定されています。
写真の場所だけが御土居ではなくて
もみじ苑の高台の部分が御土居となるのですが
ちょっと写真では解り辛いかも知れません。
東風(こち)
東風は、樹齢600年の大欅(けあき)で
豊臣秀吉が御土居を造成した時からあるとされていて
名称の東風は、菅原道真が京を去る時に詠んだ
短歌にちなんだもの。
紅葉した立派な樹の下で
多くの人が立ち止まり撮影をしていました。
鶯橋
まだまだ緑色の紅葉が多く
史跡御土居もみじ苑の絶頂期ではないと思われますが、
かなりの散紅葉によって足元は赤色に染まっています。
初めて訪れた御土居もみじ苑なので
今が絶頂期でないことは感覚的に分かりますが
それが何割程度か全く分からん。
展望所
御土居の展望所からの北野天満宮の本殿。
天気予報では昼過ぎまで晴れだったのですが
私が御土居に立った時には、空が雲に覆われてしまって
陽光に輝く紅葉の赤色が見れない………
頑張れ太陽!
御土居の下に降りていきます。
御土居の囲む範囲は広大だったようで
南北約8.5㎞、東西約3.5㎞の
縦長の形をしていて全長は約22.5㎞。
これほどの立派な土塁を造設するための土は、
どこから調達したのかは分かっていないようです。
豊臣秀吉は、
城攻めの際に急ごしらえで広大な堤防を造って
水攻めをしたり、御土居を完成させたりと
土木工事が得意だったのかもね。
多くの月日が流れ
河川敷の土手のような人工物であった御土居は、
まるで最初からここにあった自然物かのように
その姿を変えています。
鶯橋
鶯橋は、御土居の中を流れる紙屋川(天神川)に架かる橋で
季節に周辺で鶯が囀ることに由来します。
鶯にとっては、大阪道頓堀のひっかけ橋のような場所なのかな。
1935年に豪雨によって流失したものを
2007年に木製の太鼓橋として再建されました。
豪雨によって流失って………想像がつかん。
温暖化による水害被害もあるのでしょうけど
凄まじい豪雨は、昔からあったようです。
鶯橋と紙屋川(天神川)
鶯橋の周辺の樹々は、緑色が多く感じられるのに
御土居の斜面、紙屋川は散紅葉で赤色に染まっていて
御土居もみじ苑の絶頂期がますます分からん。
この辺りは、ほぼほぼイイ感じ。
紙屋川の対岸の御土居下の梅林。
この辺りは、まだこれからな感じ。
京都市内という広い区域であるならまだしも
北野天満宮境内という狭い区域にも
樹々の紅葉に時間差があるようです。
もみじ苑 梅林
お茶所
もみじ苑の出口手前にあるお茶所で
入苑のチケットを渡すと温かいほうじ茶と
京都の和菓子の老舗『老松』の和菓子がいただけます。
ほうじ茶と和菓子
もみじ苑の観賞を終えて最後にあるのが良いですね。
少し疲れた脚を休めながら
温かいお茶とお菓子を頂くことが出来ます。
そして、お茶所の長椅子からは、
約2万坪の敷地に梅50種約1,500本が植えられている
梅苑『花の庭』が見えます。
花の庭
明治時代までこの地にあった
北野社神宮寺成就院の『花の庭』は、
妙満寺塔頭の成就院の『雪の庭』と
清水寺塔頭の成就院の『月の庭』とで
成就院『雪月花の三名園』と呼ばれていました。
北野社神宮寺成就院が廃され
『花の庭』も壊されたままになっていましたが
2022年に残されていた庭石を利用して
『花の庭』として復興されました。
ただお茶所から見る限り
時代を感じられる古い庭園感はないので
北野社神宮寺成就院の『花の庭』を復興したのではなくて
現代的な設計を取り入れた新たな梅苑『花の庭』として
造園されたものかと思われます。
紅葉加減が五割との
北野天満宮の史跡御土居もみじ苑の観賞でしたが
十分に楽しめましたのは
私の日頃の行いのお陰だと信じていいのでしょうか。
次の目的地も、
前々から一度は訪れてみたかった場所で
非常に期待しています。