東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花
あるじなしとて 春を忘るな
名所巡りで京都を訪れるのは
石清水八幡宮に参拝して以来なので
もう半年近くも前になります。
私の感覚では、『この前』とか『少し前』、
実際の時は、半年近くも流れている。
速い時の流れをラフティングで楽しむように
乗りこなしてやろうと思っとります。
さてですが
今回の京都名所巡りの最初の目的地は、
前々から一度位は観賞しておきたいと思っていた
北野天満宮のもみじ苑の紅葉です。
北野天満宮 一ノ鳥居
北野天満宮は、二度目の拝観となるので
境内の写真は、軽くだけ撮ろうと思っていたものの
あれもこれもと撮影することに。
京都・北野天満宮は、
学問の神様として知られる菅原道真公を主祭神として
お祀りしている全国約1万2千社の天満宮・天神社の総本社で、
福岡県の太宰府天満宮と共に天神信仰の中心です。
1587年、豊臣秀吉によって北野大茶湯が
催されたことでも知られています。
今でこそ北野天満宮の主祭神の菅原道真は、
学問の神様と敬われ讃えられ信仰されてと人気がありますが、
菅原道真公を陥れた左大臣藤原時平を呪い殺し、
口車に乗って左遷を決定した醍醐天皇と皇太子までも
病にかけて弱らし殺し、京の都を落雷でボコボコに攻撃したりと
とんでもなく恐ろしくお人なんですよね。
なので不敬で不遜な態度で境内に足を踏み入れると
なにかの災いに見舞われるかも。くわばら くわばら。
北野天満宮 ニノ鳥居
2017年1月の初参拝のことを懐かしく思いつつ
新鮮な気持ちで参道を歩きます。
北野天満宮では、
主祭神の菅原道真の誕生日と命日の25日には、
天神さんの日として毎月、縁日が開催されています。
キリストの誕生を祝う日も25日。
これはもう菅原の道真公は
キリストの生まれ変わりに間違いない。知らんけど。
北野天満宮 三ノ鳥居
伴氏社(ともうじしゃ)
三の鳥居の手前にある伴氏社。
主祭神の菅原道真公の母を祀っています。
蓮の台座の石鳥居は、『蓮の鳥居』と呼ばれ
国の重要美術品に指定されています。
太閤井戸
北野大茶湯で水を汲んだとされる井戸。
北野天満宮 楼門
菅原道真公を称える『文道大祖 風月本主』の扁額が掲げられ
両脇には、平安時代に貴族の護衛を務めた官人『随身』の像が
門を守護するように安置されています。
楼門 随身
北野天満宮 手水舎(梅香水)
コロナ禍の影響で不特定多数の人が使用する手水舎を
使用中止とする神社や寺院が増え、
その代わりに目で見て心を清めてもらうことを目的に
手水鉢に花を飾る神社や寺院が増えました。
コロナ禍が終わると花手水も無くなるのだろうか。
北野天満宮 絵馬所
元禄12年(1699年)に建てられたもので
規模、歴史は現存する絵馬所の中でも随一とのことで
京都市指定有形文化財。
絵馬所の内外には、時代を感じられる絵が
多数掲げられているのでかなり楽しめます。
北野天満宮 三光門
多くの神社の参道は、鳥居から本殿まで真直ぐで
北野天満宮の参道は、絵馬殿の所で左にクイッとズレています。
これには何らかの理由があるんでしょうね。
北野天満宮 撫牛
全国の天満宮・天神社にお馴染みの臥牛像。
北野天満宮において神使は牛とされていて
境内には、数多くの臥牛像があります。
境内の牛の像が立ち姿ではなく
座り込んでいる姿になっているのは、
大宰府で生涯を閉じた菅原道真公は、
『人に引かせずに牛の行くところに留めよ。』
との遺言を残します。
その遺言通りに道真公の御遺骸を牛車で運んでいると
ある場所で牛が座り込んで動かなくなったため
近くの安楽寺に埋葬されることになったという
故事にちなんだもの。
北野天満宮 三光門
御本殿前の中門は、江戸時代初期1607年に
関白・豊臣秀頼によって建立されたもので
1898年12月に国の重要文化財に指定されました。
三光門は、日・月・星の彫刻があることから
三光門と呼ばれているのですが
どうした訳か星の彫刻だけが見当たらず
星欠けの三光門とも言われています。
一説によると、星は彫刻ではなくて
実際に天上に輝く北極星とのことらしい。
門柱の間隔に比べて大きな屋根が印象的だったので
私の場合、北野天満宮と言えばと問われると
真っ先に浮かぶのが三光門なんですよね。
三光門に掲げられている勅額「天満宮」は、
後西天皇の宸筆。
北野天満宮 拝殿・本殿
現在の北野天満宮の本殿と拝殿は、
1607年(慶長12年)に豊臣秀頼の寄進により
造営されたもので国宝に指定されています。
北野天満宮の神使である牛の像の殆どが臥牛像ですが
拝殿の欄間にだけ立ち姿の牛が彫られています。
その理由は、謎だそうです。
北野天満宮 宝物殿と神楽殿
宝物殿は、まだ入ったことがないので
次の拝観では歴史的に貴重な品の数々を
拝見させてもらおうかと思っています。
神楽殿
社務所
拝殿 東廻廊
北野天満宮 本殿
本殿の東側。右奥に見える朱色の社は地主神社。
御后三柱(裏の社)
御后三柱(裏の社)
本殿の祭神・菅原道真公の神座の真後ろに
背中合わせの北向きに建てられている社で
天穂日命、菅原清公卿、菅原是善卿の三神をお祀りする社。
文子天満宮
菅原道真公が大宰府で没して40年後の942年に
巫女の多治比文子に菅原道真公の神霊より
『我が魂を現境内地の右近の馬場に祀れ』とのお告げがあり
文子の自宅に道真の御霊をお祀りしたのが
北野天満宮の発祥とされています。
老松社(右)と十二社(左)
老松社の御祭神は、島田忠臣は道真公の家臣。
一説には、夫人の父とも言われている人物で
太宰府天満宮の老松社では、
道真公の父君『是善卿』と母君『伴氏』として
お祀りしています。
絵馬掛所
学業成就、合格祈願などの願いが込められた絵馬は、
毎年数十万枚にも及ぶそうで
まるで藤の花のように絵馬が掛けられています。
これ京都の神社の中でも一番多いんじゃないかと。
北野天満宮 石の間
一段低く建てられ本殿と拝殿を繋いでいます。
本殿西側 四社・七社
北野天満宮 紅梅殿
1916年(大正5年)に調理所として建築。
大宰府に左遷されることになった
道真公が京との別れを惜しんで
東風吹かば にほひをこせよ 梅の花
あるじなしとて 春を忘るな
と詠んだ御邸宅の『紅梅殿』の名を付けられた建物では、
ご祈祷や神前結婚式や曲水の宴等を行います。
北野天満宮 船出の庭
2015年(平成27年)に作庭された紅梅殿『船出の庭』は、
道真公の邸宅に実際にあった庭園を
北野天神縁起絵巻等を参考に再興されたました。
北野天満宮 摂末社
北野天満宮の初拝観の時を懐かしく思い出しながら
境内の主だった場所を一通り巡り終えて
いよいよ、今回の目的のもみじ苑へと足を踏み入れます。