今日の新聞各紙の「おくやみ」の欄に、山口小夜子さんの訃報が、掲載されている。
山口小夜子さんといっても、「誰?」と思われる方も少なくないのだが、70年代後半~80年代初めにかけて、一つの美の基準を創ったと言っても過言ではないほどのモデルさんだった。
彼女が世界にデビューしたのは、ニューヨークコレクションだったと思うのだが、この時の「おかっぱの黒髪に、切れ長の目」がセンセーショナルな話題となったのだ。
それまでの「ブロンドに大きな目」と言うバービー人形のようなモデルが、モデルのスタンダードだっただけに、市松人形のようなヘアスタイルに切れ長の目、プロポーションもバービー人形とはかけ離れた平板な体つきは、それまでのモデル像では理解できないような衝撃であり、それが「ジャパンビューティー」と呼ばれる一つの基準になったのではないだろうか?
その衝撃は、ファッションと言う枠には収まらずスティーリーダンの「彩(aija)」のジャケットを飾り、ロックと言う音楽の世界でも「日本の神秘美」として注目を浴びることとなったのだ。。
その意味で、ロックアルバムのジャケットを飾った初めての日本人女性でもあるのだ。
他にも、80年代初めのアメリカの服飾専門百貨店などのメインディスプレーには、山口小夜古風のマネキンが頻繁に使われていた。
もちろん、デビューはニューヨークコレクションだったが、直後にはパリコレクションに参加し始めていたKENZOのコレクションのメインモデル・ミューズとして登場し、ヨーロッパでも彼女の存在は一気に注目されるようになるのである。
ただ彼女の凄いトコロは、「日本人」と言うことを強調するのではなく「山口小夜子」と言う自分のキャラクター・存在感でそのトップの座を勝ち取ったことだろう。
現在パリコレなどで活躍する日本人モデルが、増えてきた。
しかし、彼女たちは山口小夜子風ではない。
それぞれが、自分のキャラクターを発揮し、厳しいオーディションで選ばれた人たちなのだ。
その道を切り開いたと言う意味で、山口小夜子さんの力は強く、大きいと感じるのだ。
ここ10年余り目立った活躍がなかった山口小夜子さんだが、その功績は「ジャパンビューティー」と言う美の枠だけではなく、「日本の美=神秘美」と言う衝撃を世界に与えた女性の死は、一つの時代の終わりのような気がする。
山口小夜子さんといっても、「誰?」と思われる方も少なくないのだが、70年代後半~80年代初めにかけて、一つの美の基準を創ったと言っても過言ではないほどのモデルさんだった。
彼女が世界にデビューしたのは、ニューヨークコレクションだったと思うのだが、この時の「おかっぱの黒髪に、切れ長の目」がセンセーショナルな話題となったのだ。
それまでの「ブロンドに大きな目」と言うバービー人形のようなモデルが、モデルのスタンダードだっただけに、市松人形のようなヘアスタイルに切れ長の目、プロポーションもバービー人形とはかけ離れた平板な体つきは、それまでのモデル像では理解できないような衝撃であり、それが「ジャパンビューティー」と呼ばれる一つの基準になったのではないだろうか?
その衝撃は、ファッションと言う枠には収まらずスティーリーダンの「彩(aija)」のジャケットを飾り、ロックと言う音楽の世界でも「日本の神秘美」として注目を浴びることとなったのだ。。
その意味で、ロックアルバムのジャケットを飾った初めての日本人女性でもあるのだ。
他にも、80年代初めのアメリカの服飾専門百貨店などのメインディスプレーには、山口小夜古風のマネキンが頻繁に使われていた。
もちろん、デビューはニューヨークコレクションだったが、直後にはパリコレクションに参加し始めていたKENZOのコレクションのメインモデル・ミューズとして登場し、ヨーロッパでも彼女の存在は一気に注目されるようになるのである。
ただ彼女の凄いトコロは、「日本人」と言うことを強調するのではなく「山口小夜子」と言う自分のキャラクター・存在感でそのトップの座を勝ち取ったことだろう。
現在パリコレなどで活躍する日本人モデルが、増えてきた。
しかし、彼女たちは山口小夜子風ではない。
それぞれが、自分のキャラクターを発揮し、厳しいオーディションで選ばれた人たちなのだ。
その道を切り開いたと言う意味で、山口小夜子さんの力は強く、大きいと感じるのだ。
ここ10年余り目立った活躍がなかった山口小夜子さんだが、その功績は「ジャパンビューティー」と言う美の枠だけではなく、「日本の美=神秘美」と言う衝撃を世界に与えた女性の死は、一つの時代の終わりのような気がする。