日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

読書の秋-「独身手当」-

2007-08-25 21:23:56 | 徒然
先日の明け方の雨から、大分秋らしさを感じるようになってきた。
残暑が厳しい(厳しすぎるのだが)とはいえ、朝夕は大分涼しくなったように感じるし、蝉の声から鈴虫などの「虫のこえ」が夜には聞かれるようになってきた。
昼間見上げる空も、夏雲から秋空へとゆっくりとではあるが、変わりつつある。

昼間の暑さを逃れて涼しいトコロへと移動を図るのだが、そのときの「お供」はやはり本だろう。
最近話題になっている「独身手当」 を早速購入し、読んでみた。
詳細については、実際に読んで頂くとして「羨ましいぞ!国家公務員・地方公務員」と言うのが、民間企業に勤める人間の言い分だろう。
私なんぞは、「この本のタイトルになっている「独身手当」なるモノが民間にあるとすれば、真っ先に支給されたであろう・・・(爆)」などと、思ってしまった。

この本を読み進めていくうちに分かってきたことは、「平等」と言うことだ。
いわゆる「出世コースに乗った人」と「それ以外の人」との賃金格差を「手当」で補い、「給与面での平等化を計っている」と言うのが、公務員の給与支給の基本的な考えなのだろう。
問題は、そのような発想が民間では通用しないと言うことと、結果民間企業と大きな賃金格差が生じていると言うことになるのだろう。
しかし、その「格差」も「民間VS公務員」と言う図式から、「民間VS地方公務員VS霞ヶ関公務員」になってきているらしい。
「霞ヶ関公務員=キャリア官僚」よりも、オイシイのが「特殊法人」と呼ばれる、「官公庁の関連団体・企業=キャリア官僚の天下り先」と言うことのようだ。

この本を読んでもう一つ感じたことは、「平等を求めすぎると、発想力・想像力が低下する」というコト。
例えば、今問題になっている「医療費」。
削減を図るためにお役人さん達が考えたのは、「一番医療費がかかっている、介護老人病床を減らす」ことだった。
本当の医療費増大の理由を分析するよりも先に、「とりあえず目に見えるモノ・コトから手っ取り早く」的発想のような気がなんとなくしてしまうのだ。
もちろん、イロイロなデータから分析をしているとは思うが、本当の現場に行って必要なモノ・コト(=医療サービス)を見てきていない、頭デッカチな印象を受けてしまうのだ。
今の「何でも平等」的学校教育の弊害と、共通しているのかも知れない。

そういえば・・・公務員さんの間に起きる「格差」は「机(=キャリア)>現場」らしく、そこには「ガラスの天井」以上の「壁や天井」が存在するようだ。
そんな狭いトコロにいるから、発想も創造性も低下して当然か?




基本が大事-佐賀北ナインから学ぶコト-

2007-08-25 00:17:01 | アラカルト
夏の甲子園を制した、佐賀北ナインの話題が尽きない。
それはこの春問題(?)となった、強豪校と呼ばれる私立高校の特待生よりも、印象に残る試合をしたからかも知れない。
ナイター設備などがない公立高校でありながら、試合を重ねるごとに力をつけ、最後は劇的なカタチで優勝をしたのだから、当然と言えば当然なのかも知れない。

その佐賀北野球部が強くなった理由の一つとして上げられることが、「基礎体力の強化」だろう。
強豪校に進んだ選手たちよりも、高い技術などがあるわけではない。
それでも「ここ一番」と言う場面で力を発揮できたのは、それまでの走りこみなどによる基礎的体力強化があったからだといわれている。
当たり前と言えば、当たり前だろう。
でも、最近目立つのは「技巧的」なコトのような気がするのだ。
野球だけに限らず、サッカーなども「技巧派」と呼ばれる選手のほうが、何かと話題になり、スポットライトを浴びるような傾向があるようだが、本当は「基礎がしっかりあるから、技術的レベルも上がる」と言うことなのではないだろうか?
「炎天下の甲子園で試合をする=技術以上に体力が必要」と言うことなのかも知れない。
メディア的には、面白くもないし、話題作りにもならないとは思うが・・・。

それではビジネスにおいては、どうなのだろう?
「ビジネスの基本」と言うことだ。
個人的には、「あいさつ」ということになるような気がする。
と言うのも、しばらく前から電話応対で「あいさつ」が減ってきたように感じるからだ。
私が社会に出たばかりの頃、朝10時くらいまでの電話応対では「おはようございます」と言ってから企業名・部署名・自分を名乗りなさい、と研修などで教わったような記憶がある(し、今でもこの通りの電話応対をしている)。
その時間帯が終われば、「いつもお世話になっております」と言う「あいさつ」が必要だった。
ところが最近では、「あいさつ」ナシでいきなり企業名や自分を名乗る人が、多くなってきたように感じるのだ。
「効率」と言う点から考えれば、「あいさつ」の時間はムダなのかも知れない。
しかし、コミュニケーションと言う視点では、必要不可欠だと思うのだ。
それだけではない。
「ありがとう」と言う言葉も、随分と聞かれなくなってきたような気がする。
もちろん、買い物をすれば店員さんが「ありがとうございました」と、あいさつをする。
では買い物をした方から「ありがとう」と言っているだろうか?と言うことなのだ。
外で食事をしたとき「ごちそうさま」と言っているだろうか?
それとは逆に「ありがとう」や「ごちそうさま」と言ってもらえるような、サービス(接客など)がされているだろうか?

佐賀北ナインの活躍の清々しさが基本の上に成り立っているとすれば、ビジネスの心地よさも基本の上に成り立つのではないだろうか?
そんなことを感じ、考えさせられた今回の甲子園だった。