就職活動に奔走している学生さんも、多いコトだろう。
売り手市場とか買い手市場という言葉に惑わされずに、就職活動をして欲しいと願っている。
願っているが、企業の会長さんがビックリするようなコトを、中間決算の会見で話をしたらしい。
北日本新聞:不二越「富山生まれは採らない」会長が会見で発言
不二越は、富山が創業の地となる企業だ。
その創業の地である富山の学生を採用しない、という発言を本社がある富山で、してしまったようだ。
採用しない理由は、「閉鎖された考え方が非常に強い」からだという。
富山出身の方が「閉鎖された考え方が、非常に強い」かどうかは、知らないが、以前から「田舎の人は、閉鎖的」というコトは、よく言われてきた。
そのような一面がある、というコトも実感している。
ただ、それは「閉鎖的考え」とは、別のような気がする。
「田舎の人の閉鎖性」があるとすれば、それは人付き合いのことのように思うからだ。
「自分たちのコミュニティーの中へ、よそ者を受け入れることが苦手」という表現のほうが、分かり易いかもしれない。
このことは、私自身が経験したコトがあるので、間違ってはいないと思う。
だからと言って「思考が閉鎖的」なのか?と、聞かれると「違う」と思っている。
この不二越の会長さんが言っているように「思考が閉鎖的」と、「よそ者を受け入れるのが苦手」というということは、まったく別のことだと思うからだ。
「思考が閉鎖的」ということは「頑固で人の意見や考えを受け入れない」というコトから始まり、「現状維持で十分」という、新しいコトにチャレンジオしない、しようとしない、ことを指しているのでは?
とすれば、このような思考の持ち主は田舎の人に限ったコトではない、と思う。
この違う「閉鎖的」を、一つの思考と行動にまとめてしまったことが、今回の問題発言に結びついているのでは?という気がしている。
それを、ステレオタイプ的に一括りにしてしまい、それが「(田舎の)富山の人は、・・・」というのは、「富山の人」に対する、思い込みから発生した「偏見」のような気がする。
そして一度認知されてしまった「偏見」は、なかなか脱出するコトができない。
就活生の皆さんには、このような「偏見」を堂々と述べ、自分が正しいと思っているような企業は「こちらから、ねがい下げ」というくらいの気概を持って、就職活動をして欲しいと思っている。