日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

昔から「ワンぺ育児」が、当たり前だった?

2018-02-08 20:14:32 | ライフスタイル

「あたし、おかあさんだから」という歌の歌詞が、炎上しているらしい。
今日になって、この歌の作詞者と作曲者が相次いで、「謝罪」を発表している。
このニュースを聞いて「謝罪って、一体誰にしたのかな?」という疑問があった。
謝罪の相手は、この歌を聞いて不快に思った人たちに対して、ということなのだと思うのだが、昨年にもあった、おむつのCMなどでも「様々なものを犠牲にして、育児をしているお母さんの気持ちを逆なでしている」などの趣旨の理由で、炎上したコトがあった。

確かに欧州に比べると、日本のお父さんの育児に携わる時間は極端に短い。
短いだけではなく、どこか「気分的な接し方」である、という指摘もされている。
そのため「育児(だけではなく、家事労働を含めた育児)の大変なところだけ、お母さんである私がすることになる」という、事になるのだと思う。
そう考えると、確かに「不公平感」が起きるのは仕方ないだろう。
でも、そもそも日本の育児は「お母さんが一人で頑張る・ワンオペ育児」だったのでは?という気がしている。

それが可能であったのは、男性の多くが「サラリーマン(あるいは、勤め人)」と呼ばれる職に就き、女性が「専業主婦」という、労働分担と収入分担が明確に分かれていただけではなく、夫の収入だけで生活ができ、収入そのものも安定した右肩上がりだったからではないだろうか?
しかし「専業主婦」が登場するのは、実は「高度成長期以降」のことで、それ以前は相次ぐ戦争とその復興期間は、当てにできる男性労働力そのものが、少なかったのではないだろうか?
その環境の中でも、多くの女性は生活をするために仕事をし、育児をしてきた・・・と思うのだ。

そう考えると、日本は「ワンオペ育児」が、スタンダードだったのでは?という気がしてくるのだ。
それでも不満が出なかったのは、「高度成長期」の経済的安定があり、それ以前は周囲の家庭の多くが同じような環境であった、ということがあるような気がしている。

最近の傾向として、「素敵ママの育児」のような情報が、実際の育児をしている女性に「理想と現実」というギャップを生んでいる、ということはないだろうか?
昨年放送されたドラマ「コウノドリ」の中に、育児ノイローゼになったお母さんに「世間は子育てを美化しすぎです。(お母さん)皆、髪の毛振り乱して、必死に育児をしているんです。」という言葉を、働くお母さんでもあるソーシャルワーカーが伝える場面がある。
育児ノイローゼとなったお母さんの姿は、今の「ワンオペ育児」に疲れ果て、仕事と育児の両立ができない自分を、「ダメな母親」と思い込んでしまっているようだった。
何をもって「ダメな母親」というのかは分からないが、「仕事も育児も完璧な女性」という、理想の働くお母さん像を社会全体が圧力をかけているのではないだろうか?
少なくとも「理想の働くお母さん像」という圧力を、お母さんたち自身が感じすぎているような気がする。

炎上した歌の内容について、云々する気はない。
ただ、歌詞の内容にまで食って掛かるくらい、今のお母さんたちは余裕が無いのでは?という気がしている。
おそらく、育児に疲れ果てたお母さんたちが待っているのは、お父さんからの「お疲れ様。育児頑張っているね。ありがとう」という言葉なのではないだろうか?
もちろん、言葉+育児を手伝うという行動があれば、なお良いとは思うが・・・。