SNSの一般化に伴い、頻繁に言われるようになった言葉がある。
「映え」と「リア充」だ。
ご存じのように「映え」というのは、InstagramやTikTokのような映像や動画のSNSに投稿する時、「写真映え(動画映え)する」という意味のことだ。
「見栄えの良さ」をお求めて、飲食店などに行き注文をした食べ物が運ばれてくると、まずスマホで写真を撮り、ツイッターなどのSNSへ投稿する、というのが今では当たり前のようになっている。
この「映え」ているのは、写真などを撮ったり動画にしたりするときの対象物(例えば、食べ物など)を、いかに美しく・時には美味しそうにスマホで撮影をするのか?というのが重要なポイントだと言っても過言ではないだろう。
その一方、最近ではすっかり聞かなくなった感があるのが「リア充」かもしれない。
「リア充」というのは、「自分の充実した生活の一コマ」を切り取り、SNSに投稿するということを指していた(と、記憶している)。
この「リア充」状態を SNSに投稿するコトは「素敵な私を見て!」という自己アピールの一つだと言える。
「リア充」は、SNSの投稿者の生活を切り取り、SNS仲間に自分をアピールするための事であった、ということは違いないだろう。
その「リア充」アピールをするために、経済的にも相当無理をしていた人も少なくなかった、という話があった。
個人的には、「何故そこまでして、『リア充』アピールをしなくてはならないのか?」わからなかったのだが、もしかしたら最近の言葉でいう「マウント」をとりたかった、だけなのかもしれない。
とはいえ、「虚構のリア充」などは、すぐに見破れれらてしまう。
そんな「リア充」のSNSが、パタリと無くなったのは「新型コロナ」の感染拡大が始まった頃のような気がする。
社会的行動が規制された事で、「リア充」を撮る場所が無くなってしまったのだ。
強いてあげるなら「盛る」と言われるような、スマホのアプリで写真を加工する程度になったのだ。
とはいえスマホのアプリで「盛る」のも、限度があるしそもそも「盛るためのアプリを使ってSNSに投稿している」と、分かることがカッコ悪い事のように感じる人達が増えたように思う。
そのような社会変化の中で登場したのが「BeReal」というSNSだ。
Huffpost:”盛らない”SNS「Be Real」は、”映え”社会の救世主なのか
上述したように「映え」を求めて「盛った」画像や動画をSNSに投稿する、ということに飽き始めた人たちにとって「Be Real」というのは、目新しさがあるSNSだと思う。
だからと言って、例えば「寝起きの顔」をInstagramなどに投稿できるのか?と言えば、それは無理だろう。
「寝起きの顔」等は、日々の生活の中でもプライベート度が高いからだ。
むしろ「寝起きの顔」を不特定多数がアクセスするSNSに投稿できる人がいるとすれば、相当強靭な精神の持ち主だと思う。
とすれば、「Be Real」でつながる相手というのは、相当親密度が高い相手に限定される、ということになるのでは?
まして今は「Digital Tattoo」という言葉がある通り、SNSなどに投稿されたものが拡散され、自分の知らないところで保存され、拡散され続ける、というリスクがあるのだ。
「映え」るために「盛る」必要はなくても、SNS上では様々なリスクがある、ということを考えれば、「Be Real」は企業向きなのかな?という、気もする。
少なくとも「素の自分」であっても、「本音と建て前」のような使い分けがSNSには、必要なのではないだろうか?