日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

ジェットコースターは、鬼門?-エキスポランドにみる「遊園地」考-

2007-09-17 08:29:00 | 徒然
一昨日、「エキスポランド」のジェットコースターが、再び事故を起こした。
この春事故を起こしたジェットコースターとは別のモノで、点検を終えたばっかりだったようなのだが、それにしても「エキスポランド」での事故が続いているのが気になる。

日本には「遊園地」と名のつく施設がどのくらいあるのだろう?と、思ってしまうことがある。
殆どの「遊園地」は、企業経営によるものなので、人気や話題性のあるジェットコースターが必要なことはよく分かる。
ところがバブル期以降、いわゆる第3セクターなども積極的に「遊園地」事業に参加し始めた。
元々「お役所ビジネス」ということもあり、「第3セクター遊園地」は経営が苦しい状況にある。
最近では、「倉敷チボリ公園」の経営委譲が話題になった。
この「倉敷チボリ公園」など、デンマークのご本家からは、余り良い印象をもたれていないとも聞く。
ご本家のデンマークのチボリ公園に行ったことがないので、ご本家にもジェットコースターがあるのかは知らないのだが、なんとなく日本の場合、「遊園地=ジェットコースター」という志向が強すぎるような気がする。
何か一つヒットすると、「右へならへ」的な施設作りという傾向が、余りにも多いような気がするのだ。

この「倉敷チボリ公園」だけではなく、日本各地にできている第3セクターの「テーマーパーク」とよばれる施設には、ジェットコースターが本当に必要なのだろうか?
それよりも「テーマパーク」ならではの、「テーマ」に合わせた「操り人形のショー」や「大道芸」などがあったほうが、「特徴ある遊園地」となるような気がする。

今回事故のあった「エキスポランド」は、あくまでも企業が経営している「遊園地」であることは、十分承知している。
しかし、元々は「大阪万博」が開催された跡地。
その跡地である「万博公園」内にあるのだが、「エキスポランド」そのものを、「大阪万博」が掲げていたテーマ「人類の進歩と調和」から着想した「遊園地」にしてみてはどうなのだろう?
いずれにしても、「エキスポランド」にとって「ジェットコースター」という施設が、「鬼門」らしいと言うことがわかったのだから。
私たち生活者も、「遊園地=ジェットコースター」という思考から、そろそろ開放されても良いのではないだろうか?






大切にしたい好奇心

2007-09-15 21:50:38 | アラカルト
最近、頂くコメントに対してのお返事をサボっています。
大変申し訳ないと思っていますが、むしろアクセスしてくださるみなさんが、イロイロなコメントをして頂くほうが、ベストなのでは?と思い、私からコメントを差し控えさせていただいています。

今日の毎日新聞のWEBサイトを見ていたら、とても面白い記事を発見した。
それが耳あか:“乾湿型”分布をつめで解明 全国の高校生ら協力と言う記事だ。

大人なら自分の耳あかを気にすることはあっても、他の人はどうなの?と言う発想はないだろう。
ところがこの高校生たちにとっては、興味の対象であり研究材料でもあったわけだ。
それが、遺伝子という世界にまで発展していくと言うのも、面白い。
この高校生たちの好奇心に、拍手を送りたい。

大人になると、イロイロな枠にとらわれてしまうことが多い。
その「枠」も、いわゆる「しがらみ」だとか「他所様の目」が多いはずだ。
それが重なっていくと、発想する前に「どうせ無理」だとか「こんなこと、ムダ」という、ネガティブなコトばかりを先に思い浮かべるようになってしまう。

そのような状態を、個人的には「あたまのコリ」状態と呼んでいるのだが、その「あたまのコリ」が「既成概念」だとか「前例主義」といったモノを、引き起こしているような気がしてならない。
場合によっては、その「既成概念」だとか「前例主義」が、(企業だけではなく、あらゆる組織や社会の)保身のための言い訳となったり、硬直したセクショナリズムを生み出しているような気がする。
だからこそ、この高校生のようなユニークな視点や発想が、大人にも必要なのではないだろうか?

世間では自民党党首=総裁選で賑やかだが、安倍さんの言っていた「戦後(政治)レジームから脱却」や、「格差社会を打開」するためには、「これまでの枠」にとらわれない発想力が必要だ。
その力が候補者だけではなく、総裁を選ぶ自民党員にも求められている。

さてさて、秋の気配を少しづつ感じられるようになってきた。
昼間空を見上げたら、秋の雲の下に夏の雲があった。
私の「あたまのコリ」をほぐす一つの方法が、空を眺めるコトなのだが、いつもの通勤道でも少し視線を上げるだけで、まったく違った風景が目に飛び込んでくる。
高校生たちのような、発想力・観察力はないかも知れないが、いつもと同じだと思っていた風景が、まったく違うモノだという発見をすることで、興味・好奇心を復活させてみてはどうだろう?


ある女性起業家の訃報-ボディショップ創業者・アニータ・ロディックさん-

2007-09-14 17:37:14 | ビジネス
安倍さんの「プッツン辞任」騒動で、なかなか取り上げられることができなかったコトがあった。
それが、ボディショップ創業者のアニータ・ロディックさんの死去だ。

男性諸氏にとって「ボディショップ」といっても、余り馴染みがないとは思う。
いわゆる「自然派化粧品」の先駆者的企業であり、「企業の社会的責任」などという言葉がなかった頃から「企業は社会の一員として、何ができるのか?」ということを、積極的に考え・行動してきた企業でもある。
その一例が、「フェアートレード商品」の取り扱いだろう。
実は私が初めて「フェアートレード」という言葉を知り、その商品を目にしたのは「ボディショップ」だった。
他にも、スキンケア商品などのアレルギーテストでの動物テストの廃止など、当時の化粧品業界では考えられないような発想で、商品開発をしてきた。
化粧品の材料なども、アフリカや東南アジア、南米などの植物などから求めると言うのも、ユニークだった。
そのような企業活動が始まったのが、1976年からなのだ(日本での展開は1990年から)。

特に、「ビジネスと社会的責任の両立」というのは、世界のエクセレントカンパニーと言われる大企業でも、なかなか難しいコト。
それを彼女は、肩の力を抜いて軽やかに実行していた。
顕著なモノは「フェアートレード」だろう。
HIVが世界的に問題になる中、彼女は「女性の経済的自立と教育が必要」だと考え、それを実際のビジネスに組み込むコトにした。
まだまだ「社会的責任」などという言葉がない時だった。

「フェアートレード」の商品は、実際手にとって見ると「???」というモノも少なくなかった。
それは、「日本では見たことがない」という理由からだった。
なら、その商品に「使い方」だけではなく、その商品に「ストーリー(フェアートレードの考え)やその国の事情」をタグにつけることで、生活者に理解を求めるようにした。
もちろん、「化粧品」が持っている「気持ち」と言うコトも大切にしていた。

男性諸氏には馴染みのない「ボディショップ」だが、日本では「ジャスコ」を展開している「イオングループ」傘下企業となっている(他にも女性に人気のある「ローラ・アシュレイ」も「イオングループ」傘下である)。
そこには、「イオングループ」が現在展開している、「木を植える」という社会事業とも深い関係がある。
M&Aが盛んに行われるビジネス界ではあるが、傘下に置く企業理念なども十分に考えて行うことで、グループ企業全体にも良い影響を与えるともいえるのだ。

日本では余り大きく取り上げられることがなかった、アニータ・ロディックさんの訃報だが、日本の企業は今一度彼女の「ビジネスのあり方」を見直しても良いのでは・・・。




急ぐ理由はどこにあるのか?-地デジ放送-

2007-09-13 21:51:44 | アラカルト
13日の中日新聞(東京新聞)に、地デジ難視聴60万世帯 総務省、衛星で番組放送へと言う記事が掲載されている。

記事を読むと、現在の難視聴世帯よりも地デジ放送のほうが多いらしい。
政府が地デジ移行に急ぐ理由は、どこにあるのだろう?
もちろん、地デジによって電波利用上の幅が広がる(らしい)と言うコトはわかる。
でも、それによってどれだけ生活者に、メリットがあるのだろう?
これまでに、言われているような「サービス」は、本当に生活者にとって「メリットのあるサービス」なのだろうか?と、疑問に感じるコトが多いのだ。

テレビと言うかNHKに対して、偏屈な思考を持っている私などは「NHKの受信料値上げ+強制徴収へのステップ」程度にしか思えないのだ。
そもそも、テレビそのものの視聴率は増えているのだろうか?
と言うのも、この夏のドラマ視聴率は全体的に低調だったと言われている。
他にも、低予算で視聴率が稼げると言われていた「バラエティ」も、若い女性を中心に低調傾向にあると言われ始めたようだ。
おそらく、ある程度視聴率が稼げるのは「スポーツ」くらいのような気がする。
実際、安倍さんが辞任した日のゴールデンタイムには、「野球・サッカー・バレーボール」の中継がされていた(名古屋地区)。
(安倍さんの「辞任特別番組」で、視聴率が稼げるのかは大に疑問ではあるが)一昔前なら、野球はともかくサッカー・バレーボールなどは急遽差し替えられ、安倍さんの辞任特別番組になっていたのではないだろうか?
そのスポーツ番組にしても、無理に現在の地上波で見る必要はなく、本当のスポーツファンなどは「スカパー」などで視聴しているはずだ。

地デジに移行する前に「今の生活者にとっての、テレビ」ということを、考える必要があるのではないだろうか?
どうもその点がすっぽり抜け落ちてしまって、税金+NHK受信料が使われているような気がしてならない。
もちろん、ITゼネコンならぬ地デジゼネコンのような企業も、今分からないだけであるのではないだろうか?
そんな気がするのだ。





最後までチグハグだった安倍さん

2007-09-13 18:05:48 | 徒然
昨日突然の辞意表明をした、安倍さん。
辞任記者会見では、「テロ特措法を通すため」だとか、「民主党に党首会談を断られたから」とかと言っていたけど、本当は病気のためだったようだ。

一昔前、二昔前であれば「政治家の病気は、致命傷」と言われた。
「風邪」が「肺炎」になり、いつのまにか「肺がん」とか、「急性胃炎」が「胃がん」と噂されることがあるといわれていた。
本当のトコロは私たち生活者には分からないことだが、逆にいえば重篤な病気を軽い病気と偽るのが、政治の世界での慣例だったとも言えるのかも知れない。

安倍さんは在職中、「戦後レジームからの脱却」と言う言葉を盛んに口にしていた。
「レジーム」とは「政策」という意味だが、個人的には「戦後の政治の枠組み」と言う認識をしていた。
しかし、安倍さんの言う「戦後レジーム」というのは、「憲法九条」だとか「集団的自衛権」などであって、「戦後政治の負からの脱却」ではなかったように思う。
何よりも、今回の辞任記者会見のように病気理由を隠して、他の理由を並べ立てると言うのは、発想そのものが戦後の負的なモノだったのではないだろうか?

今の政治や地方行政は、戦後直後から続く「システム」や「発想」からの脱却を迫られている。
「お上」といわれるような立場ではなく、生活者と同じ視線で「パートナー」という並列関係での発想・思考を迫られているのだ。
その意味で安倍さんは、最後の最後まで「チグハグ」だったのではないだろうか?

昨日のエントリにコメントを下さった「○○県の・・・」さんが指摘されているように、もしかしたら安倍さんの「機能性胃腸炎」の原因の一つは、安倍さん自身の「カネ」の問題だったのかも知れない。
このような問題が出てくると、「入院する」というのも政治家のみなさんにとっては常套手段。
これもまた「戦後政治の負的」だといえるかもしれない。
もちろん「(お体)お大事に」とは、言いたいが・・・。


安倍さんを辞任に追いやったのは・・・S(世間・社会の)K(空気が)Y(読めない)な人たち

2007-09-12 15:54:53 | 徒然
突然、安倍さんが総理辞任を表明した。
余りの事で、しばし思考が停止してしまった。
それにしても、「なぜこの時期に」という疑問は残る。

安倍さんは、「運がない」という印象がある。
確かに、安倍さんが総理になった時「拉致問題の進展」だとか「小泉改革継承」という期待感があった。
特に経済界では、その期待度は高かったのではないだろうか?
ところが「拉致問題」は、一向に進展せず(「経済制裁」の効果はあったようだが、逆に北朝鮮が挑戦的な態度になり「核」というカードを切ったようにも思えるが・・・結果ブッシュさんの態度が、自分の政権運営のこともあり軟化したのかも・・・)、「小泉改革」そのものの歪が少しづつ現れてきてしまった。

それだけではなく、最初の内閣そのものが「お友達内閣」だとか「論功人事」と言われ、起用した大臣たちの「暴言・失言」は後を絶たず、挙句の果てに「政治とカネ」という、ある意味旧態然的思考(年齢は関係ない)の政治家にとっての、「パンドラの箱」を開けてしまうと言うことになってしまった。
その「政治とカネ」という問題は、内閣改造後も連日のように噴出し(おそらく、誰かがリークをしているのだろう)、収拾がつかない状態にまで陥ってしまった。
個人的には「政治とカネ」の問題が、安倍さんを辞任に追いやったように考えている。

先ほどの辞任記者会見で、安倍さんは「(民主党・小沢代表との)党首会談を断られたことにより、「テロ特措法(もしくは、「テロ特措法」に代わる法の提案)」の継続ができないと判断し、その打開のため」という内容のことを言っていたのだが、むしろ、安倍さんを含め周囲の人たちが「世間(あるいは「社会」)の(S)空気が(K)読めない(Y)人」たちだったということではないだろうか?
その例が、今年のはじめにあった柳沢さんの「生む機械」発言だろう。
おそらく、ご本人からすれば「ツカミ」のつもりで言ったコトが、メディアに叩かれ、世間から批難を浴びることになってしまったのではないだろうか?
大臣(=政治家)として、自分の責務と世間からの期待と行動その他における責任感を見られているのか、理解していなかったと言うことなのではないだろうか?
この発言で、陰に隠れてしまった伊吹文部大臣なども「???」という暴言を繰り返しているし、その内容は「この人、本当に政治家として今、何が求められているのか理解しているの????」というモノだった。
その積み重ねが、参議院選挙での大敗を生んだにも関わらず、新しく大臣になった方々は「政治とカネ」ということを含めて敏感ではなかったように思う。

「政治とカネ」という「パンドラの箱」に対して、「世間はどのように見て・感じているのか?」と言うことに対して、鈍感すぎたのだ。
そのことに対して、変にかばい続けた安倍さんもまた「世間の空気が読めていない」人だったということだろう。
もちろん、昨夜のテレビニュースで見た「社会保険職員による横領」に対する社会保険庁全体の対応などを見てみも、世間が求めているような反省した姿ではなかった。

「世間の空気(あるいは、社会の空気)を読む」と言うコトは、決して迎合することではない。
「社会が何を必要とし、求めているのか?」と言うコトに対して、真摯に受け止め対応することなのだ。
それは、一部の人(企業)にとっての利益ではなく、社会全体の利益とならなければ意味がない。
そのことをもっと敏感に感じ取れるだけの、感覚が今の政治家にも行政に携わる官僚・役人、もちろん企業人にも求められているのではないだろうか?




心をくすぐる広告-JR東海・「そうだ京都、行こう」-

2007-09-11 10:47:02 | マーケティング
8月の突き刺すような暑さや陽射しから、少しづつ秋の気配を漂わせる朝夕の涼しさになってきた。
残暑が厳しいと言っても、「あと一息!」という気になってくる。
雑誌などでも、「秋のツアーキャンペーン」がチラホラ見かけられるようになってくるのも、この頃だ。

その中でいつも「巧い!」と感じさせられるのが、JR東海の「そうだ京都、行こう」のキャンペーンだ。
このキャンペーン、14年くらい続いている(1993年スタート)。
長く続いているのに、マンネリ感もなく常に「新しさ」を感じさせる創りをしている。
実際、キャンペーンが始まったときのポスター(秋・清水寺)を今見ても、古さを感じさせない。

これには、京都のもっている「歴史や文化に裏打ちされた(観光)資源」があるからだが、それにしても、その時その時のキャッチコピーなどを読むと「行ってみたい」という気にさせる。
そのキャッチコピーもよく読むと、女性を意識したモノではなく、どちらかと言えばビジネスマン(それも、多忙を極めるエグゼクティブクラスか?)を意識している。
このキャンペーンに連動するかのように、「サライ」などビジネスマン向けの雑誌などで頻繁に京都や小京都などの旅行の提案がされるようになってきた。
そんな広がりをもっている、キャンペーンだと言える。

JR東海のCMで有名なのは、「シンデレラ・エクスプレス」と「クリスマス・エクスプレス」だろう。
「シンデレラ~」は遠距離恋愛を扱った内容で、当時は日曜日の夜9時過ぎ(大阪行き最終・「ひかり」の出発時刻)になると、遠距離恋愛のカップルたちが東京駅で別れを惜しむ光景が多く見られた(「ブーム」と言ってもよいほどだった)。
「クリスマス~」は、遠距離恋愛中の恋人同士がクリスマス・イブに会いに行くと言う内容で、CMソングとして使われた山下達郎さんの「クリスマス・イブ」は、すっかりクリスマスソングとして定番化した。
これらのCMは、「会いたい」という「ワクワク・ドキドキ」感や「別れる」という「寂しさ・切なさ」を等身大でよく現していた。

JR東海の広告の巧さというのは、実はここにあるのではないだろうか?
「そうだ京都、行こう」にしても、コピーにひとひねりありながらも、「そうだよね」と思わせるモノがある。
実は、JR東海だけではなくJR東日本の「その先の日本へ。」と言うキャンペーンでは、タレントさんではなく、その旅先で出会った人たちが登場させることで「旅心」を誘っていた。

「心をくすぐる広告」というのは、小手先でカッコよく見せるのではなく、案外素直なモノなのかもしれない。


新しい「癒しスポット」?-高野山カフェ-

2007-09-10 21:28:42 | ライフスタイル
今日から、国会が始まった。
メディアと政治家のみなさんの間では「ねじれ国会」ということらしいが、果たして安倍さんはどうなるか?

その安倍さんが今一番行きたいところは、雑念を忘れられる「癒しスポット」ではないだろうか?
そんな「癒しスポット」に新しいスタイルが、登場したようだ。

今日の讀賣新聞のWEBサイトに、「高野山カフェ」青山にオープン、瞑想・写経に精進料理と言う記事があった。
昨今の癒しブームで、写経や瞑想などが注目されている。
特に多忙を極めるサラリーマンの間では、「般若心経」の写経が数年前から「癒し」として静かなブームとなっていた。
その瞑想や写経をするお寺が、青山にお店を出したと言うのだ。
お洒落な青山と言う場所に、高野山金剛峯寺がアンテナショップを出したようなモノなのだ。

わずか6日程度の期間限定のアンテナショップだが、観光誘致ということのようだが、これまで「仏教」と縁がなかった若い女性をターゲットとしているようだ。
「お寺もマーケティングを始めた」、ということなのだろうか?少し気になる。
確かに「仏教」には、クリスマスがあるわけでもなく、日本人の生活に密着している宗教だとはいえ、地味なイメージがある。
「色即是空」などといわれても、何を言っているのか良く分からない。
それほど「仏教」とは、日本人が多く信仰している宗教であってもよく分からないし、生活の中にないのだ。
その意味で「仏教(この場合、「真言宗」もしくは「弘法大師の教え」)」に、少しでも興味を持ってもらい、理解してもらおうという狙いもあるのではないだろうか?

世間的な見方は、「新しい癒しスポット」という感じなのではないだろうか?
もしかしたら、「本格的精進料理が、手軽に食べれるお店」程度にしか思っていないかも知れない。
それが、生活者とお寺のギャップを生むことになるかも知れない。
お寺側は「それをキッカケに、興味をもってもらえれば」という、気持ちなのかも知れない。

ただ、法隆寺を建立した聖徳太子の「和を以って貴しと為す」(第十七条憲法・第一条)は、その後の日本仏教に影響を与えたと思うし、その思想こそ今の日本や世界に必要な気がする。
日本はこの考え・思想を、文化として輸出すべき時代なのでは?
その時、日本の仏教は大きな力となって、影響を与えるのではないだろうか?






Keep Your Smile-「笑顔度」測定器?-

2007-09-09 07:08:54 | ライフスタイル
朝日新聞のWEBサイトに、面白い新商品の紹介があった。
それがあなたの笑顔、今何%? オムロンが「笑顔度」測定開発だ。

拙ブログにアクセスしてくださる方ならよくご存知だろうが、私のエントリには「笑顔」という言葉を使っている内容が多い。
「何故?」と疑問に思われるかも知れないが、コミュニケーションの一つとして「笑顔」がある、と常々考えているからである。

その一つとして、笑顔を上手に使ったテレビCMがある。
「明治安田生命」の企業CMや、カルビーのポテトチップスなどが、代表的なモノだろう。
出演者は、一般から応募された「幸せな時間」を切り取ったフォトスナップの人たち。
その効果は、ヘタなタレントさんの作り笑顔よりもズッと素敵で、視聴者にも「幸せ感」が素直に伝わるCMとなっている。

これらのCMを見ると、人の表情や仕草などが言葉よりも強いメッセージを伝えることができる、と言うコトをよく現しているということがわかる。
その中でも一番伝わるメッセージが、「笑顔」という「幸福感」なのではないだろうか?
ところが、最近テレビニュースなどで「笑顔を見る」コトが、減ってきている。
その傾向が強いのは、政治家のみなさん。
それこそ大臣就任時には、「大臣だ~!!!」という笑顔が見られるのだが、その後はドンドンなくなっていき、いつのまにか人相も悪くなってしまっている。
まぁ、「大臣だ~!!!」という時の笑顔も、上述したテレビCMに登場するような笑顔に比べると、相当異質な笑顔で、多くの場合「権力とおカネの臭いがする笑顔」のように感じるコトは否めない。
それでも「大臣になった喜び」という、幸せ感は一応に伝わってくる。

テレビのバラエティー番組などをボンヤリ見ていても、相手を蔑むようなコトを芸風としているタレントさんなどの笑顔は、どこか安直な作り笑いのように見えるコトが少なくない。
まるで、そのタレントさんの「心の貧しさ」を見ているような気がする時もある。
反対に、年齢を重ねても笑顔の素敵な人は若々しく、心の豊かさを感じるモノだ。

この「笑顔測定器」、本当は余り使われないほうがいいのかも知れない。

庶民のささやかな贅沢-給料日の夕食」-

2007-09-07 20:48:35 | ライフスタイル
夕飯を食べながら(「お行儀が悪い」と言わないでください)見るテレビ番組の一つに、「ランキンの楽園」がある。
この番組の面白いトコロは、一般的な市場調査では見られない項目が、調査対象となることである。
例えば、海外からの旅行者のお土産ランキングなどを見てみると、私たち日本人とはまったく違うコト・モノに日本の価値を見ていると言うことがわかる。
その意味で、マーケティング的視点から見ると(?)参考になるコトがある。

そして、今日のランキングは「給料日の夕食」だった。
ステーキなどが上位にくるかと思いきや・・・やはり「家族で食事」と言うコトを考えたメニューが並ぶ。
それも普段は、「マグロの赤身」なのにお給料日は「中トロ」のお刺身になったり、オージービーフが国産になったり・・・家計を預かるお母さんたちの涙ぐましい(?)やりくりと、ささやかな贅沢を楽しむ姿が現れていた。
他にも、普段の晩酌は発泡酒とか第3のビールで我慢していても、お給料日だけは「本当のビール」という家庭も少なくなかった。

おそらく、この調査に協力してくれたご家庭は、ごくごく一般的なご家庭なのだと思う。
それは家族構成や世代と言った「市場調査」で使われる「カテゴリー」や、「市場ターゲット」などという枠とは関係なく、「お隣の家庭」という感覚での一般的な生活志向であり、むしろ「市場調査」が見落としがちな「普通の感覚」を、よく現しているのではないだろうか?

いわゆる20代前半の俗に「ヤンキーカップル」といわれる家庭であっても、お父さんが会社経営をしている家庭であっても、お父さんの働きに感謝しながらチョッと贅沢な夕飯で、家族団欒を過ごすという「特別な日」なのではないだろうか?
だから、豪華なお料理が並ぶと言うよりも「家族で夕飯を囲むコト」に重点を置いたメニューなのだ。

政治家や官僚のみなさん、大企業のトップと呼ばれるご家庭が、どのような「お給料日の夕飯」を食べているのかは知らない。
でも本当の政治や行政の視点は、このような「ささやかな贅沢」を家族で楽しむ人たちのために、あるべきなのではないだろうか?
もう一つ感じたコトがある。
それは、「普段、なかなか家族揃っての夕飯は無理だけど、お給料日だけは家族揃ってだから、これが何よりのご馳走」といっているお父さんたちの笑顔が、とても素敵だったことだ。
この笑顔が、きっとこれまでの日本を支え、これからの日本を支えていくのである。
その笑顔を曇らせるような政治や経済であってはならないのではないか?
そんな気がするのだ。