先日来から問題になっている「ビッグモーター」の問題。
この問題に関しては、損保会社7社に対しても金融庁の調査が入るようだ。
朝日新聞:減点されたら賞与減「切るしかない」 ビッグモーターの環境整備点検
この「環境整備点検」の中に、街路樹の伐採が含まれていたのだろう。
ビッグモーター店舗近辺の街路樹がことごとく伐採されている。
確かに街路樹があれば、店舗に展示している中古車が見えにくい、ということはあるだろう。
それは、店舗レイアウトを検討すれば、カバーできる問題なのでは?という気がするのだが、どうやらそのような発想がビッグモーター側にはなかったようだ。
何より、街路樹が植栽されている土地はビッグモーターとは関係のない土地だ。
自分たちとは関係のない土地の植栽を勝手に伐採や刈り取るような行為は、法的に禁じられているという感覚が無かったのだろう。
にもかかわらず、そのような行為をしてしまった理由を考えると、「減点されると賞与が減らされる」という理由があったからなのでは?と、想像するコトができる。
いわゆる「懲罰により人を組織に縛り付ける」という、考え方だ。
そしてこの「懲罰的組織」というのは、実は日本企業の悪しき文化だともいえる。
ビッグモーターのような企業と一緒にするのは、おかしな話だと思われるかもしれない。
例えば、「仕事で失敗をすると出世コースから外れる」という人事文化を持っている企業は、案外多い。
「仕事で失敗」と言っても、その内容は様々なのでその理由も問わずに考えるのは、変ではないか?という声もあると思う。
確かにその指摘は、間違っていないと思う。
失敗の内容によって、時には降格や左遷ということはあってもおかしくはない。
問題にしたいのは、企業の言いなりにならないと、懲罰を与えるというビッグモーターのような企業をはじめ、新たな分野に挑戦し、結果が出なかったという理由で、評価を下げるということを指している。
まず、ビッグモーターのような企業文化を持っていると、多くの場合「職務の目的を考えて、仕事をする社員」は育つことは無い。
「人の言いなりになるだけの社員」をつくってしまう、ということだ。
懲罰の内容も生活にかかわる「給与や賞与」を対象としているために、企業トップはもちろん自分の上司にも、「社会的におかしいのではないか?」という企業が犯している社会的問題に声を上げさせないようになってしまう。
いわゆる「ブラック企業」の典型の一つだ。
もう一つは、新たなことに挑戦し、失敗したことに対するネガティブな評価をする、ということで起きる企業の損失という問題がある。
新たなことに挑戦する、ということ自体それ相当の勇気が必要なことだと思うのだが、その「挑戦する勇気」ではなく「結果としての失敗」ばかりフォーカスし、評価をすることで企業内から新たなイノベーションが起きなくなってしまう。
その要因となっているのが、日本企業の「懲罰的人事評価」だ。
このような場合、どこに失敗があったのか?ということを精査し、新たな問題点を洗い出し、再び挑戦するコトでイノベーションを起こすことができる。
例えば、島津製作所のフェロー職をされているノーベル物理学賞を受賞した田中耕一さんの場合、失敗から生まれた研究であった。
企業にとって、「失敗」をどのように結び付け成功へと発展させるのか?その発想が無くては、イノベーションを起こすことはできない。
それより問題なのは、このような「懲罰文化」を持つ企業の特徴として、問題が起きた時トップの座にいる人達の多くが「他人ごとのような釈明をする」ということだ。
「企業のトップにいる」ということは、企業における全責任を負うという覚悟が必要なのだが、そのような意識が持てないまま自分の意にそわないと他者を責めるのも「懲罰文化」の特徴だと言えるかもしれないし、そのような社会はとても息苦しくある意味「独裁的社会」の始まりだと考える必要があるのではないだろうか?
ネットニュース等で少し話題になっている、34年前に米国で制作されたペプシのCM。
Huffpost:マドンナさん、放送2回で中止された出演ペプシCMが34年ぶりに再放送。「ようやく才能に気づいてくれた」と反応
34年前というと、丁度「Live Aid」で世界中の若者を熱狂させ、マドンナの人気が決定づけられた後、ということになるくらいの頃だろう。
この頃のマドンナの勢いはとにかくすさまじく、初来日をしているのもこの頃だったような気がする。
リンク先の動画を見ても、何故このCMがわずか2回の放送で中止させられたのか、疑問を感じる内容だ。
それは34年という月日が過ぎ、価値観が変わったからというのではなく、この内容であれば当時でも問題はなかったのでは?という、印象だ。
しかし、記事を読み進めていると、実はCMが問題であったわけではなく、マドンナがリリースしたアルバムからのシングルカット曲のMVに問題があり、マドンナが出演している媒体に対して、圧力がかけられた、というのが本当のようだ。
記事にもあるが、十字架を燃やしたり、スリップドレスを着て煽情的なアクションを教会でする、というのは確かに、キリスト教の団体からクレームがきてもおかしくはないだろう。
日本でも昨年、政治と宗教の問題が起きたが、それは違う意味で米国での教会の力は強く、巨大なモノだと言われている。
理由は改めて述べる必要もないと思う。
キリスト教という宗教をベースに生活文化が作られてきた国が、米国をはじめとする欧米諸国だから。
今でも大統領選挙を左右するのは、「福音派」と呼ばれるキリスト教の一派であると言われている。
この「福音派」の信者をいかに獲得するのか?で、大統領選の行方が決まると言っても過言ではない、というのがこれまでの大統領選でもあった。
大統領選にまで影響を及ぼすほど、キリスト教は米国文化の根本だとすれば、このようなMVは宗教関係者以外であっても不快感を持つだろう。
まして今から34年前の話だ。
CMとは関係がないとはいえ起用したタレントのMVが、このような内容であれば、今よりも激しい、ボイコットがあってもおかしくはない(と、想像できる)。
ペプシのような飲料水メーカーであっても、生活者からの商品ボイコットが起きるということは、怖いモノなのだ。
まして相手は、米国の大統領選を左右する団体を中心に、米国文化を創ってきた宗教団体なのだ。
ペプシのように、宗教や思想等を問わずにファンがいるからこそ、中止という判断をせざる得なかったのだろう。
そして34年という時間の経過は、人種差別が根強く残っている地域があるとはいえ、表面上は差別的なことが禁じられるようになり、逆に人種やLGBTQの人たちに対する差別的なことがあった事実を受け入れなくてはならない、ということになってきている。
その反省という点で、再放送ができるようになったのかもしれないし、主人公であるマドンナ自身が当時ほどの人気を獲得していない為、社会的影響が少ないと考えたのかもしれない。
もしかしたら、マドンナが現在英国で生活をしている、ということも関係しているかもしれない。
これらはあくまでも、私個人の想像の部分だが、国の文化によって、「CM打ち切り」の理由がそれぞれ違うのだな~と、改めて感じたのだった。
まだまだ尾を引きそうなジャニーズ事務所の問題。
この問題が発覚してから、ジャニーズ事務所所属のタレントを起用していた企業が、相次いでCMやキャンペーンの取り下げを発表している。
取り下げとまではいかなくても、「契約の継続はしない」ということを発表している。
これらの報道を見て驚いたのは、ジャニーズ事務所所属のタレントさん達を起用していた企業の多さだ。
しかも大手企業ばかりだ。
飲料水メーカーに関していえば、全社起用していたのでは?というほどだった。
異常なほどの起用状態のようにも感じたのだが、逆に何故これほどまでにジャニーズ事務所所属のタレントをCMに起用し続けていたのか?という点が、気になった。
CMでタレントを起用する場合、CMをする商品やサービスの顧客として取り込みたい層に対して、どのようにアプローチをするのか?ということを考えなくてはならない。
その為に、顧客層の生活スタイルや需要、好むタレント像等を分析し、CMとしての「物語」を創っていく。
このような仕事を主に行うのが、CMプランナーという役割となるのだがプランナーとともに市場分析やクライアントに対するプレゼンテーションを行う担当が、マーケターということになる。
これほどまでにジャニーズ事務所所属のタレントをCMに起用される、ということは広告代理店にもジャニーズ事務所と深い関係があったのでは?と想像することはできる。
それだけではなく、CMプランをつくる過程で「クライアントを納得させるために、とりあえずジャニーズ事務所のタレントを起用しておけば、納得されやすいのでは?」という、安易な考えがあったのでは?という気がしたのだ。
確かに、ジャニーズ事務所に所属しているタレントさん達は、以前のような「アイドル」だけではなく、難関大学を卒業していたり、スポーツでそれなりの結果を残していた人たちもいる。
その意味でもジャニーズ事務所に所属しているタレントさん達は、CM等の様々な需要に対応できる人達が揃っていた、ということにもなると思う。
だからこそ、固定的なファンがいるため商品やサービスの顧客層と重なる部分も数多い、と考えたのだろう。
もっと広く候補者を探せば、もっと違う生活者アプローチができる可能性があったかもしれないが、固定的で失敗が無さそう、という理由で起用されてきたのではないだろうか?ということなのだ。
そのように考えると、ジャニーズ所属のタレントさん達のCM出演が増えたコトで、どのようなコトが起きていたのか?と、考える必要がある。
それは「商品やサービスの魅力や良さを的確に伝えるコトができていたのか?」という点だ。
一つの芸能プロダクションから数多くのタレントを起用する、というのは上述した通りクライアントにとって「冒険をせずとも一定数の好感度を持ってもらえるCM」ということになる。
しかしそれは「商品やサービスの差別化」になっていないかもしれない、ということでもある。
何故なら、いくら様々な個性を持っているタレントさん達であっても、ジャニーズ事務所という事務所の「色」があるからだ。
あるいは「事務所の個性」と言っても良いかもしれない。
その為「一定数の好感度は簡単に得られるかもしれないが、それ以上は難しい」ということでもある。
マーケターの仕事の中には「ブランド構築・ブランドマネジメント」も含まれている。
他社との差別化ができていないとすれば、それは「商品やサービスのブランド構築やマネジメントが十分ではない」ということにもなる。
その意味で考えた時、安易なジャニーズ事務所所属のタレント起用は、マーケターの敗北なのかもしれない、と感じるのだ。
今日、第2次岸田内閣が発足した。
同時に、この内閣のスローガン?も発表された。
第2次岸田内閣は「変化を力にする内閣」だそうだ。
FNNプライムオンライン: 【速報】岸田首相が命名「変化を力にする内閣」
しかし新閣僚の名前を拝見すると、確かに女性大臣が増えたり、選挙で采配を振るうのが小渕優子さんだったりと、「女性の活躍に期待する内閣」のようにも見える。
しかし、主要大臣と呼ばれるポストは続投だったり、それなりの御歳を召した方だったり…本当に「変化しているのだろうか?」という、疑問を持たないわけでもない。
確かに女性の大臣が増えたコトは、大きな一歩かも知れない。
何故なら、ジェンダーギャップ指数は年々下落の一途をたどり、その要因は政治の分野での女性の参加・登用が圧倒的に少ないからだ。
その視点で見ると、確かに大きな一歩のようにも見える。
その一方で、今回女性大臣の起用が多い理由の一つに、週刊文春が継続的に取り上げている木原前官房副長官問題による、自民党のイメージダウンの回復を狙っているのでは?という、指摘もある。
いわゆる「木原問題」は、木原前官房副長官自身の女性問題のほかに奥様の周囲で起きた事件とその関係性について、政治の中枢にいる人物として不適格である、という指摘がされるようになってきており、グダグダと岸田首相が知らぬ存ぜぬで引き延ばし、木原前副官房長官自身もズルズルと引き延ばしたことで、自民党や内閣のイメージが著しく悪くなったことへの対応、ということらしい。
もし本気で岸田さんが「変化を力にする」というのであれば、海外へのバラマキ、国内に対しては効果に疑問符が付くような補助金バラマキ、本気で女性の活躍を期待するのであれば、「タレント崩れ議員」や「政治家としての志が見えない官僚からの転身議員」等々、身内に厳しい倫理観と高い志を持った人材を選ぶことから始める必要があると思う。
少なくとも、女性を大臣等に登用するコトで「女性が活躍する内閣」というポーズだけは、やめて欲しい。
それでなくても、自民党のお歳を召された方々は「女性は男性を支えるのが社会的役割」という、刷り込みがされているように感じている。
言い換えれば、今回登用された女性大臣たちは、お歳を召された「重鎮」と呼ばれる方々が選んだ、「集票の為の人寄せパンダ」なのでは?という気がしている。
実質賃金が目減りし続けている中、早急に手を付けなくてはならないのは「経済の立て直し」だ。
それも「企業より経済政策」ではなく、「生活者よりの経済対策」だ。
生活者の可処分所得を増やさない限り、「生活が豊かになった」と実感することは、ほぼ無いだろう。
外交も確かに重要だが、海外から見た「日本の生活者の暮らしが(経済的にも)魅力的」だと感じなければ、いくら途上国にバラマキ援助をしたところで、軽んじられるような目で見られてしまうのではないだろうか?
毎日新聞のWebサイトをチェックしていたら、「あ!そうなのか?!」という記事があった。
毎日新聞:ジャニーズタレントのテレビ出演「絶対に影響が出る」その番組は
この問題が大手メディアに取り上げられるようになってから、ある音楽番組は終了だろう、という話がネットニュースなので取り上げられていた。
現在我が家にテレビが無いこと。そして元々音楽番組をテレビで視聴していなかったこともあり、終了するとうわさされている音楽番組に、ジャニーズ事務所がどれほど貢献をしていたのかは知らない。
そもそもジャニーズ事務所の男性グループの歌唱が、上手い!と思ったコトはほとんどない為、さほど気にもしていなかった、というのが本当のところだ。
とはいえ、K‐POPの男性グループに多大な影響を与えたであろう、と想像できる数々のジャニーズ事務所の男性グループの存在を考えれば、今のように音楽番組そのものが数えるほどになってしまった現在、番組終了は活躍の場が無くなることになるのだな~と、漠然と思っていた。
しかし本当のところが逆らしい。
毎週のように、ジャニーズ事務所の男性グループの出演枠を押さえていたので、その「出演枠」が空白になってしまう為、番組制作に支障をきたすだろう、ということらしい。
とは言え、音楽番組ならインディーズなどで活躍しているミュージシャンを積極的に出演させれば、それはそれで新鮮な番組となるのでは?と、思う。
しかし、より問題なのは「ドラマ」だろう。
3か月を1クールとし、制作されるテレビドラマが主流となっているので、今は丁度「秋始まりのドラマ」の順次放送開始、というタイミングなはずだ。
「秋ドラマ」に出演しているジャニーズ事務所のタレントさん達の今後の扱いをどうするのか?という、問題が出てくるだろう。
既に撮影が始まってしまっているので、出演者の差し替えがそう簡単に行えるのか?という、ことになる。
そしてより問題なのは、既に出演者が内定しているであろう「冬始まりのドラマ」だろう。
ドラマの撮影そのものは、3か月余り続くと言われているので、冬始まりのドラマの出演者も、ほぼ決定しているはずだ。
1クールでジャニーズ事務所のタレントや俳優さん達がどれほどいるのかわからないが、端役を入れても相当数なのでは?と、想像する。
だからこそ、ジャニーズ事務所側はテレビ局に対して強気に出ることができたのだろうし、テレビ局側は必然的に「忖度」をするようになったのだろう。
ジャニーズ事務所とテレビ局の力関係が「秋始まりのドラマ」と「冬始まりのドラマ」の出演者(特に主役級)によって、分かるようになるかもしれない。
今回の件は、タレント本人の不祥事や病気によるものではない。
事務所が、問題を起こしているのだ。
被害者心情も考えれば、所属タレントの出演自粛ということも考えられるだろう。
何より、事務所に所属しているタレントさんを起用していた各企業のCMが、どんどん打ち切られ始めている。
現在開催されている、ラグビーW杯フランス大会のアンバサダーに起用された、櫻井翔さんについても、仏高級紙「ル・モンド」が「ふさわしくない」と疑問を呈している。
今更、変更ができるとは思えないが、何等かの対応を日本ラグビーフットボール協会が行わないと、「日本ラグビー」のイメージを損ねてしまう可能性もある。
選手たちがいくら好成績を収めたとしても、「故人とは言え、日本は性加害者に対して甘い国」というイメージを与えてしまう可能性がある、ということなのだ。
「アイドルだけ」を目指していた路線から、SMAPの登場によりジャニーズ事務所に所属しているタレントさん達は、活躍の場を広げることとなった。
その活躍を支えたのも、やはりテレビ局だったはずだ。
そのような「持ちつ持たれつ」の関係が、崩れればテレビ局側にもそれなりの影響が出る、というのは想像できる。
リアルタイムでのテレビ視聴が減りつつある中、テレビ番組制作そのものを考える時期なのかもしれない。
昨日だったと思うのだが、一部新聞に「ホンダがテスラ方式を採用」という内容の記事が掲載されていた。
讀賣新聞:テスラ方式のEV充電、日産に続きホンダも採用…米市場で半分シェア
この記事を読みながら、今では見ることも無くなった「VHS vs β」というビデオ再生方式を思い出した。
30数年前の話なので、ご存じの方は私同様それなりの年齢の方、ということになるだろう。
一応説明をしておくと、ビデオデッキが一般家庭に普及し始めた頃、ソニーが開発をした「β方式」とビクターが開発した「VHS方式」の2つがあった。
画像や音声などはソニーが開発したβ方式の方が、VHS方式よりも優れていた。
しかしレンタル向けのビデオテープは、圧倒的にVHS方式で作られていたため、ビデオテープの市場がVHS方式を選択するようになった。
技術力では上であったはずのβ方式は、市場の選択結果によりソニーは家庭向けβ方式のビデオデッキの製造を中止せざる得ない結果となった、という「技術が良くても、市場は選ばない」という、事例として今でもマーケティングの勉強などでは取り上げられていると思う。
それほど「市場の優位さ」が、優秀な製品を駆逐するという実例だ。
「VHS vs β」という「ビデオ規格の市場争奪戦」を知っているからこそ、ホンダが北米でテスラ規格を採用した、ということにEV充電市場の予想図を感じたのだ。
同時に、これから市場が拡大していくであろうEV充電規格の「世界市場」の行く先が、見えた気がしたのだ。
というのも、記事を読み進めていくと、既に日産がテスラ規格を採用しているだけではなく、BMWグループやメルセデスベンツなど7社でつくられたEV充電ネットワークの構築を進めているようなので、BMWやベンツもテスラ方式の規格を選んだと読み取るコトができる。
これで北米における、テスラ方式のEV車充電規格は半分となる、ということを考えると、将来的には「テスラ方式のEV車充電規格が世界の標準」となる可能性が高い、という予想される。
言い換えれば、今後いくらテスラ社のEV車充電よりも優れた充電システムを開発しても、市場を奪い取るコトは難しい、ということになる。
もちろん、トヨタがどのような方式を採用するのか?という点は気になるところだが、少なくともモータリゼーションの国・北米において既に市場の半分を獲っているテスラ方式に対抗するのは、容易なことではない、ということが分かると思う。
もし「起死回生」の策があるとすれば、EV車そのものが変わってしまう、ということだろう。
例えば、水素エンジンのクルマが市場を獲る、と言った変化だ。
上述した「VHS vs β」で市場を獲ったVHS方式は、家庭用ビデオカメラがデジタル化されるコトによって、市場から消え去ってしまった。
ITの進化が、VHS方式のビデオカメラの市場を奪い取った、ということになるのだ。
そしてそのデジタル化したカメラも、今やスマートフォンが取って代わる勢いだ。
「クルマ」というモノそのものは、市場から無くなるとは思えない。
環境負荷の少ない鉄道輸送が復活したとしても、クルマの持つ利便性などには敵わないと考えられるからだ。
とすれば「クルマ」がどのように変化をしていくのか?
それによって、その「クルマ」を動かすモノが大きく変わり、時代の変化によって「市場の中心となる企業」が変わっていく可能性はある。
ただ今現在の状況で言えるのは、おそらく「テスラ社のEV車充電規格」が、「世界の市場を獲る」であろうと予測される、ということだ。
ここ2,3日ジャニーズ事務所の話題を取り上げているのだが、意外なところでジャニーズ事務所が炎上している。
正しくは、ジャニーズ事務所に所属している木村拓哉さんのInstagramに投稿された「言葉」で炎上している。
Huffpost:木村拓哉さんのインスタグラムでの投稿が消える。ジャニーズ事務所の記者会見後『show must go on!』とつづっていた。
既に削除されているので、現在は見ることができないが、英語の得意な方や洋楽・洋画の好きな方ならこの「show must go on!」という言葉そのものは、よく聞いたコトがある言葉だと思う。
私が初めてこの言葉を知ったのは、英国のシンガーソングライター・レオセイヤ―の楽曲タイトルだったと思う。
TopPop(YouTube):Leo Sayer「The Show Must Go On]」
やや奇抜なピエロの衣装に身を包んで歌う、レオセイヤーの雰囲気を見て分かると思うのだが、歌詞の内容は「人に笑われ、嘲られても、ショーを続けなくてはならない」というピエロの孤独と苦悩を描いている。
ピエロに限らず、「人は生きていく中で、嘲笑われ、いじめられる様なことにいくつも出会い、その苦悩を持ちながらも生きていかなくてはならない」、というある種の「人生訓」のような内容でもある。
そしてレオセイヤ―だけではなく、Queenのフレディー・マキュリーやピンクフロイドも、同じ「Show Must Go On」というタイトルの楽曲を作っている。
それほど、英語圏では一般的な言葉であり、時には勇気を与えてくれる言葉でもある。
日本が英語圏ではない、ということもあるのだが、炎上した理由は「show must go on」という意味が理解されていない、というだけではないように思うのだ。
その理由として挙げられるのは、
①この言葉が加害者である故ジャニー喜多川氏がよく言っていた言葉だった。
②木村拓哉さんがこの言葉を付けたInstagramを投稿したのが、謝罪記者会見の直後であった。
③SMAPの(解散)騒動中のフジテレビ系「スマスマ」での、4人のメンバーのジャニーさん側への謝罪に対し、そのような言葉が無かった木村さんへの違和感や反発が今でも続いている。
等が考えられる。
随筆家の若松英輔さんは、「言葉は贈る人を守るものとなる。だから、大切な人へは言葉を贈れ」と、著書「言葉の贈り物」の中で書かれている。
何気ない言葉であっても、その言葉を使う人・場所・時によって、不快に感じたり、勇気づけられたりするのだ。
それは言葉を贈られた側の気持ちに影響されている、と思われがちだ。
しかし本当は、言葉を使う側に対する信頼や共感性によるところが、大きいのではないだろうか?
昨日あった、故ジャニー喜多川氏の「少年への性加害者行為」の記者会見。
その会見について、様々な意見が飛び交っている。
様々な考えがあるので、多様な意見が出てくるコトは良いことだと思うし、これらの意見から「芸能プロダクション」としての在り方を考え直していけば良いと思っている。
その記者会見で驚いたコトがあった。
そしてそのことが、故ジャニー喜多川氏の「加害行為」を止めるコトができなかったのでは?という、気がしたのだ。
それは、前社長の藤島ジュリー景子氏が「ジャニーズ事務所の株は100%私が持っている」という趣旨の発言だ。
おそらく、藤島ジュリー氏は、叔父である故ジャニー喜多川氏と実母の故ジェリー喜多川氏から、「ジャニーズ事務所」の株を全て受け継いだのだろう。
その結果として、藤島ジェリー氏が100%ジャニーズ事務所の株を取得したのだと思われる。
同族会社であれば、よくあるパターンだと言われれば、それまでだが、このような経営形態の危うさは「企業側と企業で働く側」との関係が、「従属的なモノ」に陥りやすい、と言われている。
株式公開されている株式会社であれば、株主と経営者は基本別の人物だ。
だからこそ、株主は株主総会で企業側(=経営者)に経営についての質問や改善を求めるコトができる。
非公開の株式会社であって、最近では「社外取締役」のような、同族外の人物を経営に携わらせるような傾向が、出てきている。
同族会社が問題なのではなく、同族会社独特の「経営の危うさ」があり、企業の不正などが表ざたになりにくく、隠ぺい体質を生みやすい、という問題がある、ということなのだ。
そのような問題を認識し、意識的に変えようと努力をし続けているのであれば、同族会社という企業の在り方に問題は少ないはずだ。
そして「ジュリー氏が100%、ジャニーズ事務所の株を持っている」という発言から思い出したのが、タレントの郷ひろみさんがジャニーズ事務所を辞めた時の話だった。
当時の郷ひろみさんは、寝る時間もないのでは?というくらいの活躍ぶりで、「新御三家」として毎週・毎月女性週刊誌やアイドル雑誌の表紙を飾り、テレビ出演をされていた。
その活躍とは程遠い金額しか、支払われていなかったのだ。
当時は「銭ゲバ」のように、郷さんが言われたような記憶があるが、おそらくその根本的な体質は、今も同じなのでは?と、想像している。
確かに、小学生の高学年くらいから踊りや歌、時には演技のレッスンを事務所負担でさせ、デビューしたからと言っていきなり「金のなる木」になるわけではない。
「投資に対して似合うだけの回収をする」という考えからすれば、実に非効率的だ。
そしてこのような問題は、今でも若い所属タレントが事務所を辞める時に問題となっている。
その所属事務所の経営と株式保有をしているのが、同一人物であるということは、タレントが稼いだお金や人気、ブランド価値など全てを一人の人物が有する、ということになる。
グループ会社についても、ほぼ同じだと思われる。
すなわち、所属タレントさんは「貢だけの立場」、ともいえるのではないだろうか?
当然その先にいる、ファンの存在が「金のなる木」ということでもある。
そのような関係性の中で、所属タレントさんが理不尽な行為をされたとしても、声を上げられなかったのは当然かもしれない。
今年の春、BBCがネット配信をした「JーPOPの捕食者 秘められたスキャンダル」が切っ掛けとなり、故ジャニー喜多川氏の性加害行為が、表沙汰になった。
ネット界隈では、このニュースが報じられたが、日本の主要メディア(テレビや新聞など)は、極力この問題を避けてきた。
しかし、海外記者クラブで被害にあった、という男性の記者会見が切っ掛けとなり少しづつ、話題として取り上げられる機会が増えていた。
それでも、主要メディアの動きが無かったのは、ジャニーズ事務所との関係の深さがあったからだろう。
少なくとも、ネットなどで情報を得ていた人たちの多くは、そのように考えているはずだ。
そして今日の午後、ジャニーズ事務所側から正式な記者会見が行われた。
ジャニー喜多川氏の銘であるジェリー藤島氏は、このような事実を知らなかった、と「お約束のようなお話」をされたようだ。
というのも、1960年代にジャニーズ事務所からデビューをし、大人気となっていた「フォーリーブス」の北公次さんが、約35年前に「告発本」を出版されているからだ。
このような「告発本」を出版され、当事者に近かった人物が知らないとは思えないからだ。
それだけではなく、この「告発本」を切っ掛けに、北さんはテレビなどから干されるように姿を見かけなくなった(ように記憶している)。
結局、北さん側がジャニーズ事務所に謝罪するようなカタチで、コトがおさまったという印象を持っている。
ただ、その頃のジャニーズ事務所に1990年代のような勢いがあったのか?と、言われればそうではなかったように思う。
確かに次々と10代の少年アイドルグループをデビューさせテレビの歌番組などにも出演をさせるのだが、コアなファンはいても「国民的」と呼ばれるほどのアイドルグループはいなかったように思う。
SMAPが登場するまでのジャニーズ事務所というのは、「少年アイドルグループ」専門芸能事務所という感じだったと思う(だからこそ、故ジャニー喜多川氏の性加害行為の温床になったのだが)。
それよりも、ジャニーズ事務所の「時代感のズレ」のようなモノの方が、強く印象として残っている。
実は、ジャニーズ所属のアイドルのCD化というのは、10年以上遅かったはずだ。
理由は「レコードジャケットよりも、顔写真が小さい」という理由だと、まことしやかに言われていたからだ。
CDジャケットは、確かにレコードジャケットよりも遥かに小さく、レコードジャケットのように部屋に飾るには、小さすぎる。
「ファンはアイドルの顔が見たいのだから、その顔が小さければ、意味がない」とも言われていたように思う。
今にしてみれば、信じられないと思う方もいらっしゃると思うのだが、ジャニーズ事務所のアイドル達が音楽配信などをするのが遅かったのも、おそらく同様の理由なのでは?と、想像していた。
もう一つCD化が遅かったのは、「アイドル」なので「歌も演技力もそこそこ」であった、ということも大きく影響しているかもしれない。
その意味で、SMAPの存在はジャニーズ事務所を大きく変容させたかもしれない。
バラエティーからドラマ、自分たちの冠番組では料理も披露、提供される楽曲のライターチームは歌謡曲のスタッフではなく、シンガーソングライターを積極的に起用したからだ。
それは「昭和のアイドル」というビジネスモデルとの、決別だったのかもしれない。
このSMAPのビジネスモデルは、K-POPにも影響を与えているように感じている。
というのもK‐POPの男性グループは、SMAPをはじめとするジャニーズに戦略が似ていると、感じているからだ。
ただこれらのビジネスモデルは、ジャニー喜多川というカリスマがいたからこそできたのではないだろうか?
ジャニー喜多川氏が行った製加害行為は、許されるモノではない
とすれば、今回の記者会見は「ジャニーズの終わりの始まり」のようにも思えてくるのだ。
ファッション専門誌、WWDにファッションとは関係のない話題がピックアップされていた。
WWD Japan:「モス越」が9月6日オープン!三越銀座店が「モスバーガー」を指名した理由
9月6日ということは、今日から期間限定で「モス越」がオープンしたということになる。
「モス越」で販売される、ハンバーガーはファーストフード店で提供されるような感じのものではなく、どちらかと言えば米国の「ホームメイド系ハンバーガー」という、印象だ。
と言っても、私が知っている米国の「ホームメイド系ハンバーガー」は、40年位前に米国で食べたっきりなので記憶としては定かではないのだが、バンズと呼ばれるパンに、パテがこじんまりと挟まれている従来のハンバーガーのイメージとは随分違っていて、バンズからはみ出たパテと野菜があふれんばかりに皿に乗っていて、ナイフとフォークで食べた記憶がある。
掲載されている写真を見ると、手を汚さないようにワックス紙には包まれているが、バンズに挟まれているパテなどの具材はあふれんばかりだ。
このような盛りだくさんな具材を提供できるのも、期間限定とはいえ三越という百貨店とのコラボ企画だからだろう。
街中にあるモスバーガーの店舗で、このような商品を提供するには、価格的にも店舗の雰囲気やお客様の回転率などを考えても、難しいだろう。
むしろ「百貨店」で「銀座」という場所だからこそできる企画、と言っても過言ではないと思う。
そして興味深いのは、三越側がモスバーガーを選んだ点だ。
というのも、日本で初めてファーストフード店・マクドナルドを開店させた場所が、三越銀座店だったからだ。
マクドナルド:日本マクドナルド50年の歴史
おそらくこの時の出店理由の一つが、「歩行者天国」だったのでは?と、想像している。
ご存じの通り、「歩行者天国」は大通りに車の進入を止めさせ、自由に人が歩くようにしていた。
週末の「歩行者天国」という場であれば、作りたての食べ物を手軽に食べたりできる場所もあった。
パラソルの下、簡易テーブルとイスが容易されていれば、外で食べても行儀が悪いとは言われずに済んだからだ。
そして「歩行者天国」が、全国に広がるようにファーストフード店も全国へと広がっていったような気がする。
記事の中で注目すべき点は、やはり「三越がモスバーガーを選んだ理由」だろう。
上述した通り、マクドナルド日本1号店は、三越銀座店だった。
その後、マクドナルドは三越銀座店から撤退しているにせよ、代わりにライバル企業であるモスバーガーを選んだ、ということに注目すべきだと思う。
そして「記事中にあるコトだけだろうか?」という、疑問のようなモノもある。
全国展開とまではいかなかったようだが、10年ほど前「モスバーガー」は「ミスタードーナッツ」と、共同店舗という形態で展開をしていたコトがある。
その名も「モスド」だったように記憶している。
このようなコラボができたのは、どちらも「店舗内調理」を重視しているからだろう。
チェーン店なので、「店舗内調理」と言ってもマクドナルドと大差ないだろう、という気がするかもしれないが、モスバーガーの場合使う野菜などの食材は店舗に比較的近い産地のモノを使っている。
このような「使用する野菜などの地産地消」は、ここ数年のコトではなく随分前から実施しているはずだ。
それが、子育て世代の女性に「安心感」を与えているのだろう。
モスバーガーは、以前から子育て世代の女性に人気が高い。
この「子育て世代の女性からの人気の高さ」もまた、三越がモスバーガーを選んだ理由のような気がしている。
というのも、子育て世帯にとって買い物などに行く優先順位としては、大型スーパーがあるショッピングモールの方が高いと、思われるからだ。
当然銀座のような場所には、子ども連れでは行きづらいだろう。
「モス越」のようなメニューを子供連れのお客様が、価格を含め選ぶとは思えないが「銀座に行く」という心理的ハードルが、下がるような気がするのだ。
ただ、爆買いインバウンドによって、かつてのような銀座の風情が失われつつある今、様々な世代の人たちを「銀座に呼び戻す」という仕掛けの一つのようにも思えるのだ。
「銀座」だから認められる価格と商品、そしてサービスの提供によって、「(日本人の中間層家族が)おしゃれをして出かける銀座」復活のきっかけづくのようにも思えてくる。